朝。夜明け頃。ベッドの中。
「…………」
目を覚ますと隣には、青い獣が眠っていた。
それは形容詞ではなくまるっきりそのままの意味で、青味がかった毛の色をした獣がアーチャーの隣で寝息を立てているのだ。大きな獣。
一体どこから入ってきたのだろうと呑気にそんなことを考えた。
とりあえず、起きよう。そう思って身じろぎをすると、獣が目を閉じたまま唸る。ぐるぐると地の底から響くような音。黒い鼻を、ぴくぴく動かして。
獣は目を開けた。
だんだんと現われてくるのは赤、赤色、赤い瞳。アーチャーは目を丸くした。
「ランサー?」
思わず声を出して名を呼ぶと、獣は視線をアーチャーの方へと向けた。そして痛いほどじっと見つめる。凄みのあるまなざしで。
「ランサー、」
もう一度名を呼んだところで、アーチャーは獣に飛びかかられた。シーツをまとったままでベッドから落ちる、ちょっとしたショックに揺れる視界、頭、すぐに矯正して前を向くと視界いっぱいが青。べろん、と大きな舌が顔を舐めて、思わず声を上げる。
それに喜んだように獣は鳴き声を上げ、アーチャーにのしかかってきた。
ふさふさとした毛並みはあたたかい。見た目はややおそろしいが、ずいぶんとひとなつこい獣だ。これは、やはり、
「君なのか……?」
まさか、と脳の常識担当部分がつぶやく。
獣は喋れない。
けれど、吠えた。
アーチャーに答えるように、一声。
擦り寄ってくる鼻先は湿っていて黒い。太陽の匂いがする、とアーチャーは思う。きらきら宝石のような赤い瞳。
狼か大きな犬か。わからないけれど、これはランサーなのだと認めるしかなさそうだった。
「っ、」
また顔を舐められる。
何度も何度も顔を舐められて、アーチャーは呆れながら声を立てて笑った。やめないかランサー、といつものように、笑いまじりの声で言い、返事が返ってこないことを不思議に思う。
目の前を見れば、獣が尾を振っていた。
ああ、そうか。
「喋れないのか、君は」
答えるように獣が鳴いた。
だがそれはアーチャーの勘違いかもしれない。獣は、ランサーはただ吠えたいから吠えたのかもしれない。
何だろう、急に胸の奥が冷えてくる。アーチャーは下半身にシーツを巻いたままゆるく立ち上がって、獣の頭を腕の中に抱きこんだ。
顎を乗せて目を閉じる。
あたたかい。
せわしない呼吸音がする。アーチャー、アーチャー、と呼ぶランサーの声が聞こえる、けれど獣は口がきけない。
アーチャー、アーチャー。
なら呼んでいるのは誰なのだろう。
「ランサー」
誰かが聞いたなら“さびしげ”と評するような声でアーチャーはつぶやき、目を開けた。


「アーチャー」
目を丸くする。そこには普段と変わらぬ人のかたちをしたランサーの姿があった。
「やっと起きやがったか」
髪をぐしゃぐしゃとかきまぜられる、普段は抵抗するのに今は出来ない。ランサー、とただつぶやく。
「寝てるときまで眉間に皺寄せて、呼んでも呼んでも起きやしねえ。一体どうしたかと思っただろうが」
心配させるなとランサーが言う。心配したという顔で。
「……どうしたよ、黙りこんじまって」
「いや、」
「なんだ」
「よく喋るものだと、思ってな」
「はあ?」
いつもこんなもんだろ、とランサーが呆れた顔で言う。まだ目が覚めてないのかと顔の前で手を振られた。
「起きているさ、君に心配されずとも」
「それならいいんだが」
ランサーはそう言うと真面目な顔になって、アーチャーを見つめてきた。穴の開くほどじっと見ている、なんだろうと思う間に唇を奪われていた。
ゆっくりと食むように唇が動く、丹念な愛撫。絡まる舌は器用に快楽、心地よさを引きだしてくる。
目を閉じてそれを感じていると、時間はあっというまに過ぎていった。
「ランサー」
唇がわずかに離れた瞬間、アーチャーはそっとランサーの裸の胸に手を当てて距離を開けるように押しやる。
赤い瞳が疑問を持っているようだったので、下を向いたまま答えた。
「皆が起きる前に、朝食の支度をしなければ」
そんなの坊主に任せときゃいい、と普段言うはずのランサーは何も言わなかった。ベッドから降りて、昨日脱ぎ、畳んでおいた服に袖を通していると、背後から声がかけられた。
「なあ」
「何だ」
「おまえ、やっぱり首輪は赤がいいか?」
怪訝げに眉を寄せて振り返る、するといたずらな顔でベッドにあぐらをかいてランサーが笑っていた。
「鈴のついた赤い首輪、今日バイトの帰りに買ってきてやるよ」
あっけらかんとした声になにを言っているのだと言いかけて、アーチャーは理解した。
きっとランサーも、同じような獣の幻を見たのだと。
ただし、アーチャーに比べてランサーはずいぶんとかわいらしい獣を見たようだけれど。



back.