「あ、」
一時停止。
解凍。
回れ、右。
「悪かった」
背中でそう言うと、ランサーは扉を閉めた。
かぽーん。
「…………は?」
首を捻る。一瞬後、ざばりと湯を揺らして上げたのは怒鳴り声。
「貴様! なんだその反応は!」
「え、だってよおまえ」
「ええい男同士で気色の悪い! それも私と貴様の間柄で遠慮することなど何かあるか!? ないだろう! いいから、」
入ってこい!と絶叫が遠坂邸に響き渡った。ちなみに遠坂凛は衛宮邸に宿泊中だ。
よかったですね。


そういうわけで、男ふたりが猫足のバスタブに膝頭をつきあわせて入っている今の状況に陥っている。
アーチャーはこめかみ辺りで濡れて落ちた髪を押さえながら目を閉じて眉間に皺を刻んでいた。とんとんとん、とせわしなく浴槽の縁を自由な方の指先で叩く。
「失策だったか……!」
「失策っておまえ」
「貴様が気色の悪い反応をするから私もだな、つい!」
「いいじゃねえかもうよ、それは。風呂くらい楽しく入ろうぜ」
「狭いわたわけ、縮まれ」
「楽しくって言った矢先にそれかよ」
さて、褐色の顔が赤いのは苛立ちのせいか、羞恥のせいか。それはアーチャー自身にもわからない。
双方腰にタオルを巻いて入浴しているもののほとんど、というか完全に裸の状態だ。それを見られて恥ずかしがったり怒ったりする前にいいから入ってこい、と絶叫してしまったのは確かに失策だったと言えよう。
「あのよ」
派手に湯が溢れた。
「な、なんだ」
「―――――おまえこそなんだその反応」
まさかいまさら照れてるのか?と首をかしげられ、赤かった顔がさらに赤くなる。にんまり、と遠坂凛直伝のあくまの笑みでランサーが笑んだ。
「……寄るな触るな笑うなこの……っ」
「駄犬、か? おまえの罵声もいい加減パターン化してきたな」
「……っく!」
かわいいかわいい、と下りかけた髪をぐしゃぐしゃと掻き乱されてアーチャーはこぶしを強く握った。殴ってやろうかと思いかけ、次に言われた言葉にそれを思いとどまる。
「ガキみてえだ」
ここで殴ったらますます子供扱いされる……!
耐えろ、耐えるんだと自らに言い聞かせ、アーチャーは撫でてくる手を振り払った。ぴしゃりと濡れた音が鳴る。
くつくつと笑う声が聞こえる。
「今度はなつかねえ猫みてえだな」
喉をくすぐられて、変な声が漏れた。
「ほれ、鳴いてみろ。ごろごろごろってな」
「鳴くかたわけ!」
また、盛大に湯がこぼれる。あーあーもったいねえ、とどこか他人事のように言うランサーの声が浴室内に反響した。
アーチャーはかっとなって手に湯をすくい、
「―――――」
ばしゃん、とランサーの顔にぶちまけた。
鋭角的なラインを持った前髪がへにゃりと垂れ下がり、ぽたぽたと雫が落ちる。真顔になった彼を見て、さすがにこれはなかったか、とアーチャーは思った。
「ラ、ランサー……その、」
すまなかった。
言おうとした瞬間に、
「ッ!?」
顔にぶちまけられた湯。完全に前髪が下りた。ぽたぽたと雫が落ちる。呆然としてランサーを見やる、と。
「隙ありだ」
あくまの笑みで笑う彼が、そこにいた。
「こ、の!」
「ぼーっとしてるのが悪りいんだよ!」
楽しそうに言い、シャワーまで持ち出し始めたランサーにやめろと声を上げながら、いつしかアーチャーも笑っていた。
降り注ぐ湯の中で、声を上げて。
「アーチャー!」
「なん、だ……」
と。
聞く前に、くちづけられて言葉が浮く。思わず動きを止めてまじまじとランサーの顔を見た。
笑っていたその顔がまずい、という顔になるまでそう長くはかからなかった。アーチャーはじっとその顔を見つめて、
「…………!」
自分から、くちづけをした。
ランサーは目を白黒させている。その顔を見て大いに笑った。
何故だかとても晴れやかな気分だった。


その後、ランサーが湯あたりしてその気分もだいなしになったり、するのだけど。



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