「アーチャー」
名を、呼ばれた。仮初めの名を。
とっさに剣を投影し、ちゃりんと鳴らして目の前の侵入者と対峙する。けれど、目の前の男は自分が手を下さなくとも、あっという間に死んでしまいそうだった。
「いや……エミヤ、だったな。前にお前が教えてくれたっけ。よおく覚えているんだぜ、オレは」
偉いだろう?と言いたげに男はくつくつ笑う。血を吐きそうな声で。
痛々しい、というのだろうな、とそれを見て思った。特に何も感じなかったが。
――――下ろされた男の長い髪にべったりと血がこびりついていようとも、
――――男の上半身が大きく袈裟懸けに斬られて向こう側が見えていようとも、
――――険しい表情でこちらを睨みつける男が立っているのがようやっとそうでも――――。
特に、何も。
「侵入者が何故私の名前を知っている。ますますもって怪しいな」
「そう言うなよ。こんなになってまでここに来たオレの根性を少しくらいは称えてくれてもいいんじゃねえのか」
「さあ。私は君など知らない」
その瞬間、男の顔が歪んだ。憤怒?哀愁?いや、これは……。
これは?
いつの間にか男の手には紅い魔槍が握られていた。男はそこから動くことなく、腕だけを動かしてそれを振りかざし、体中から威圧感を放つ。端に血がこびりついた唇を動かして、
「知らない――――だと?」
がらがらとした声だった。絡み付いてくるような。
それが無性に嫌で仕方なくて、首を左右に振った。振って、から、剣を強く持ち直す。首を。首を狙おう。一発でおしまいだ。すぐだ。 話し合うなどやめにしよう。この男の声は、聞いているだけでどうにも神経に障るのだ。
びりびりと痺れるような。毒を少しずつ少しずつ浸透させられているような、そんな。


そんなのは、嫌だ。


「私は殺すよ。殺さなければいけないと、世界が命じるから」
「――――ハッ。世界、世界、世界、か。随分とつれねえじゃねえかエミヤ。オレとお前はどんな仲だった? 思いだすことももう出来ねえのか?」
「どんな仲?」
彼と私の間柄に、何かあったと?
彼は侵入者で私は守護者。ただそれだけの、ただそれだけの話だろう。何をとち狂ったことを言いだすのか。
力に訴えることしか出来ない輩はこれだから。
……言ってから、思う。
それは、自分も同じか。
「なあ、迎えに来たんだぜエミヤ。帰ろう。オレとお前の場所へ。嬢ちゃんも坊主も、みんながみんな待ってる。こんな“世界”なんてうっちゃって一緒に帰ろうぜ。なあ、エミヤ」
「馬鹿な、ことを」
言っている。思って、狂人のレベルだ、と男をカテコライズする。自分と同じ位置にあったなどと己をカテゴライズする男を。
だって、知らない。自分は男のことなんて知らないから。嬢ちゃんとやらも、坊主とやらも。知らない知らない知らない、知らないから。知らない知らない、知りたくない!
…………。
今、自分は何を?
「忘れたって言い張るんなら無理矢理に犯して思いださせてでも連れて帰るぜ。お前は嘘が得意だからな」
やっと、といった感じでつぶやいてみせた男の顔は、笑っていた。苦笑の類いだった。
自分がつまらない冗談を言っていることを、知っている類いの。
なら、言わなければいいのに。思ってから気付いた。


自分の口角が、上がっていることに。


「……まったく……君は、野蛮だな……」
言葉が。
流れだして、くる。
「クランの猛犬だからな」
男が、笑う。その拍子にごふり、と、新しい血を吐いた。
「ラ、」
呼びかけて止める。言い直したのは、


「クー・フーリン……!」
男は、クー・フーリンの体はかすみかけていこうとしている。世界に、アーチャーの“座”に溶けてなくなりそうに。
駄目だ、と瞬時に思った。
だから前回の戦の時に折れて崩れてぼろぼろになった足で駆けて、駆けて駆けて駆けて辿りついて。
彼の体が消え去る寸前に到着して、深い深いくちづけを、交わした。
「ん……」
「…………っ」
「……ふ、」
「は……」
唾液を、体液を交換し合うくちづけ。魔力を分け与えるくちづけ。とろりと口端から垂れ落ちる唾液すら惜しくて舌を出して舐め取って、現界する糧とする。やがて霞のようだったクー・フーリンの体は実体を得て。
アーチャー、エミヤの折れて曲がった足も治っていた。
顔を離した、離したふたりはどちらからともなく手を伸ばす。震える指先で触れあって、何度もその指先は弾かれあって。
組み合ったときには額を合わせて、まるで祈るように彼らの姿は見えた。
「迎えにきてやったぜ。……約束通りにな」
「――――たわけ」



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