「ねえ、知ってるかしら」
幼い姉がにこにこと笑う。ちょうど誰もいないときを狙ってやってきた姉。
“たまにはシロウとふたりっきりになりたいんだもの”
そう言って。手土産を持って。
まさにその手土産を口にしようとしていたアーチャーは「何をだろうか」短く聞いてみる。
「チョコレートにはいろんな効果があるの。たとえば精神を安定させたりその逆で興奮させたり。不思議よね、まったく同じものなのにどうして真逆の効果が出るのかわからないわ。シロウはわかる?」
「―――――私にも、よくわからないな」
ごまかしたアーチャーだったが、なんとなくわかるような気がした。目の前の姉。幼く見えるのに内面はひどく大人びている。つまりは、そういうことだ。
ふうんと幼い姉は唇に指を当てて宙を見る。そして、流し目でアーチャーをちらり。
「まあ、そういうことにしておいてあげる」
「…………」
苦笑するしかない。
古来から、弟は姉に勝てないように出来ている。
蟲惑的な笑みを浮かべていた幼い姉は、打って変わってぱっと外見相応の笑顔になると手をぱたぱたと振って急かしてきた。
「ね、ね、早く食べてみて。シロウのために一生懸命選んできたんだから。ほっぺたが落ちちゃうわよ?」
「わかった、わかった」
「“わかりました”!」
でしょうと腰に手を当てて言い放つ幼い姉。するしかない。苦笑するしか。選択肢は、他にない。
「ほら、あーん」
白く細い指が丸い一粒をつまんでアーチャーの前に差しだしてくる。ふわりと香る甘い匂い。
逆らう理由もない。アーチャーは素直に口を開けた。
これを衛宮士郎だとか遠坂凛だとかが見れば、目を見開いて絶句するだろう。
「いい子ね」
舌の上に落とされるチョコレート。とたんにとろけて、匂いがさらに強くなる。口を閉じて溶けていくそれをこくん、と飲み下す。
甘いばかりかと思ったが意外に苦味があり、こくもある。大人向けの味だ。
「美味しい?」
「ん」
「だったら、もうひとつ」
同じように口を開ける。入れられるチョコレート。
ころころと口の中で転がしていると、幼い姉が頬杖をついてじっと見つめてきていた。上目遣いに。
「知ってる?」
きらめく赤い瞳はまるで宝石。
そう言うと幼い姉は少し沈黙して、言う。
“うん。でもね、わたしはシロウのその目も好きだわ”
「何を?」
「チョコレートにはいろんな効果があるってさっき、言ったでしょう」
いたずらっぽく声が跳ねる。こういう時は企んでいるときだ。何か。
「イリ……」
「チョコレートにはね。媚薬の効果もあるのよ」
視界がぐらんと揺れた。急に体の自由がきかなくなる。白い手が伸びてきて、頬を両側から挟まれた。
膝の上に小さな軽い体。乗り上げて、幼い姉は言う。
「ほら。つかまえた」
やっぱりシロウはシロウねと軽やかに笑う。蝶か何かでも捕らえたかのように優雅に。
「これでシロウはわたしのもの。大好きよ、シロウ」
頬をすりよせてくる。そっと吐いた息はカカオの匂いがしただろう。
「イリヤスフィール」
「なあに。他人行儀に呼ばないで」
「なら、姉さん。残念だがこの秘薬に効果はないよ」
「え?」
ぱちぱちとまばたきをする赤い瞳をまっすぐに見返して、言った。
「私……オレは、姉さんを元々好きだから」
幼い姉はぽかんとした表情を無防備にさらした。呪縛は解けて、動けるようになったがアーチャーはそのままでにこりと笑ってみせる。
「そんなものなくても。オレは姉さんが好きだ」
「…………だけ?」
「うん?」
「それだけ?」
アーチャーは幼い姉と似たような表情を浮かべる。だがすぐにその意図を察して、困ったような笑みを浮かべた。
「言わないといけないかな」
「言わなくちゃ駄目よ」
ゆるさないんだから、と見つめてくる赤い瞳に降参して、アーチャーはその言葉を口にする。


「大好きだよ、姉さん」


言うが早いか首っ玉にかじりついてくる幼い姉。子猫のような体温と、長い髪がくすぐったい。
耳元にささやかれた言葉に、アーチャーはひそやかに笑ってみせた。



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