「サーヴァントが風邪など、聞いたことがない」
まったく、とアーチャーは肩をそびやかす。ランサーはなにも言えない。咥えた体温計がぱんと音を立てて割れて、中味の水銀がだらりと流れだした。
「っ、とと」
「なにをやっているのかね、君は……!」
「やっぱ、あれだな。人間の使うもんは脆い」
「物のせいにするのではない!」
額を叩いたアーチャーは、その熱さに驚いてとっさに手を引いた。その反応を見て辛そうにランサーは笑う。悪いな、とつぶやいて。
「……君が謝ることではない」
その、呪いをかけた輩が悪いのだろうと。慎重に体温計を片づけながら、アーチャーはつぶやく。呪い。
ある魔術師がいた。
その魔術師は英雄クー・フーリンを恨み、彼に命を賭した呪いをかけた。本来ならそんなもの成功するはずがない。
だが、執念のせいか。
呪いは成功し、クー・フーリンに災いが訪れた。
クー・フーリン、サーヴァント・ランサーに。
「魔力も大半が持っていかれちまって、ろくに動けやしねえ。どこかに吸い取られてる感じだな」
まあそれで大体の魔法陣の位置もわかるんだけどよ、とはランサー。
「まあ、セイバーやライダーたちに任せるっきゃねえか……」
あと、嬢ちゃんにもな。
そう言って期待してるぜ、と布団に大の字になるランサー。アーチャーはうなずく。特に凛からの連絡はない、今のところ。それはまだめぼしいものを見つけられていないということだ。
「その、ランサー」
「あ?」
「辛いか?」
ランサーはその言葉にぱちくりと目をまばたかせると。
うーん、と唸りを上げた。
「辛いっちゃあ、辛いのかもな」
なにしろ初めてなもんだからな、と生真面目な顔で言う。そうか。アーチャーは気づいた。
ランサー、クー・フーリンは光の御子だ。風邪なんてものには縁がないはずだろう。それは……きっと。
「ランサー」
「なんだよ」
「なにか、してほしいことはあるか?」
なんだ突然。
そんな顔で見つめられてもアーチャーは真顔で枕元に正座している。軽く首をかしげて、その姿勢でも問うように。
「なにかって言われてもなあ……」
「粥が食べたいとか、そうだ、林檎でもすりおろそうか?」
「いや、そういうのは別に……」
どうせなら肉辺りの方が力になりそうだ。
けれどそんなことも言いだせず、ランサーは静かに戸惑う。
「アーチャーよ」
「なんだ?」
してほしいことが見つかったのかと身を乗りだすアーチャーに違う違うと手を振って、ランサーはつぶやく。
「なんで急にそんな態度取り始めた? さっきまではサーヴァントが風邪など聞いたことがない、なんて言ってたくせによ」
その言葉に、アーチャーの表情が変わる。
どこかしゅんとした、さびしげな。
ランサーは慌てる。辛いのも忘れて身を起こすと、下ろした髪がさらりと揺れた。
「悪い、なにも責めるつもりじゃ―――――」
「昔を、」
「は?」
「昔を、思いだしてな」
アーチャーは苦々しく笑った。磨耗した過去、それでも残っているセピア色の記憶。
「私が幼いころ熱を出したとき、切嗣が看病してくれたんだ」
それがとてもうれしかった、と。
照れたような、さびしそうな笑顔でアーチャーは笑う。
額を撫でてくれたり、タオルを取り替えてくれたり。
いろいろとしてくれたのだと語るのを聞いているランサーの瞳が細まる。
「キリツグか」
「ああ」
駄目な人だったけれど、やさしい人だった―――――とつぶやくアーチャーの視界が回って、天井が映る。そこにぬっとランサーが顔を出す。押し倒されているのだ、と気づく前に、起き上がって大丈夫なのかという思考が先に立つ。
「ランサー!」
駄目ではないかと叫ぶと、何故かランサーは悔しそうに顔を歪めた。
だがそれも一瞬だ。
「おまえ、オレのこと好きなんだろ」
「あ、ああ?」
「はっきり答えろ。曖昧にするな」
「…………」
答えられず下を向いたアーチャーに苛立ったように歯噛みすると、ランサーは枯れた声で、それでも大きく。
「馬鹿げたこと言ってるって充分わかってるけどよ! ……わかってるけどな、オレのことが好きなんだったら、オレの目の前でうれしそうに他の男のことなんか話すんじゃねえ!」
「―――――!」
「……妬けるんだよ」
みっともねえことだがな、と。
赤い顔で言ったランサーは、ぷいとそっぽを向く。
「……本当によ、馬鹿らしいことだがな」
「……ランサー」
「悪い、」
「いや、私も……」
「や、そうじゃなくて。限界だ。悪い」
ぷしゅう。
白い蒸気を噴きだしたかと思うと、ランサーはぐったりとアーチャーの上に倒れこんだ。ひどく熱い。まるで、マグマだ。


「む、無理するからだぞ……! タオル……ああ、そんなものでは間に合わん! 冷凍庫だ! 業務用冷凍庫を用意しなければ!」


アーチャーもいい感じに混乱していた。普段の冷静さなどどこへやら、といった感じだ。
ちょうどそこに凛からの定時連絡が入り、事態はますます混迷を極めることとなる。



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