「甘酸っぱい恋がしてえ」
ぽつり、と漏れた言葉はいやでも気を引いた。士郎は洗濯物を畳む手を止めて振り返る。
「は?」
そこにはアーチャーの膝枕で優雅に寝転がるランサー、顔は真面目で女の子ならちょっとドキっとしちゃうんじゃないかな、という感じだ。だが生憎と士郎はそういう趣味はないので、なにいってんだこいつ、みたいな目でランサーを見つめてもう一回、「は?」と言ってみた。
「なんかこう……胸がキュンとなるような心臓貰い受けられたような甘酸っぱい恋がしてえんだよ」
余計ひどくなった。
後悔した。首をかしげる。理解不能だ。したくもないし。
そもそもなんで膝枕だよ。
なんでさというツッコミももはや遠く、士郎は無言でランサー&アーチャーを見つめることしか出来ない。
ランサーはおそらく筋肉質な膝に頭を乗せたまま、のぞきこむアーチャーの顔を見上げて訴える。甘えたような口調で。
「なあ、してみてえんだけど」
「…………」
うん、そうだよね、無言になるよね、スルーしたくもなるよねと士郎は生ぬるく微笑む。そのまま流してくれ。この話題を。
なかったことに。
安易なリセット世代。
アーチャーはランサーの顔から視線を外して顔を上げ、宙を見つめ、さらりと
「そうか」
「そうか!?」
受け入れた!
士郎は驚愕する。とたんにランサーの顔が笑みに崩れて、デレデレと口調がデレる。ご機嫌ご機嫌上機嫌、しっぽを振る幻影が見えた。確かに見えたのだ。嘘じゃないったらねえ信じて。
「しかし……甘酸っぱい恋、とはどうすればいいのかな。私にはよくわからないのだが」
「いいじゃねえか、いろいろ試してみようぜ。いつもみてえによ」
「ふむ……」
「付き合ってくれるよな? おまえオレのこと好きだもんな?」
「ああ」
ゾル状だかゲル状だかとにかくデレッデレにデレたランサーとは対照的に、淡々とした口調で答えるアーチャー。なんだよ。夫婦かよ。めおとかよ。番ってんのかよ。以心伝心かよ。
心の中にわだかまる黒いもの、それを吐きだしたくて吐きだしたくてたまらなかったけれど士郎は耐えた。口を押さえて必死に耐えた。
手が震える。嫌な汗をかく。鳥肌が立つ。トラウマになりそうだ。
「なあ坊主、甘酸っぱい恋って具体的にどうしたら出来るもんなんだ?」
「普通に振ってきた!」
「だってオレもアーチャーもよくわかんねえんだもんよ」
青いおまえなら少しはわかんだろ?そう言われて殺意がよぎる。青いってなんだ。おまえの方が青いだろ。このブルー!ブルー、ブルー、ブルーブルーブルー!
吐き散らしそうになるのを両手でぐっと押さえて一時停止して、士郎はクールダウンに努めた。がんばれ。がんばれ俺。負けるな俺。
セイバー俺を見守っててくれ遠坂俺頑張るから桜の味方に俺はなる。
手をどける。
息を吸って、吐いて、吸って、吐いて。
「―――――さあ、どうかな。俺もそういうの、よく、わかんないから」
「役立たずが」
「吐き捨てるように!」
無表情であさっての方向を見てつぶやいたアーチャーのリアクションで、一気にゲージが上がった。最初から最後までクライマックスでマックスハートだ。いろいろとやばい。血管とか。この年齢で。
「普段から役立たずなのだからここぞというときに役立て衛宮士郎。私はそんな軟弱な男だった覚えはない」
俺だっておまえになりたかねえよ。
とは。
言わなかったけれど。
少し呪った。
「そうだよなおまえ意外と耐久力あるもんな、この前なんか一晩で七か」
「アーアーアーキーコーエーナーイー」
「そうかな。バーサーカーには負けるよ」
「はにかんだ!」
「はは、十二回はさすがにキツいか」
「さわやかな笑みで!」
「坊主は忙しいな」
「騒がしいぞ小僧」
誰のせいだと思ってんだよ。
もういい。もうやだ。このひとたちこわい。
ぶるぶるわなわながくがくがんがん震えて、士郎はその場にあったハンカチを引き裂かんばかりに引っ張った。心の平穏が保てません。助けてくださいだれか。
「しろー、今日のおやつどこー? ……って、あれ」
誰か来た!
というか藤ねえだ!虎だ!さらなるぐだぐだの予感!
「ランサーさんにアーチャーさん。今日も仲いいわね!」
「おう!」
「ああ」
ずびーん、と親指を下に向ける三人。違う。それ違う。果てしなく違う。例えるならそう……関東と関西、みたいな?
「そうだ。虎の姉ちゃんならわかるかもな」
「そうか。彼女は教師だからな」
「ん? なになに、なにかな?」
藤村大河こと大河は頬に指を当てて首をかしげる。そのしぐさが実に彼女のキャラクターに合っていて微笑ましい。だがそんなの知ったこっちゃねえ。
昔から言います。騒動に虎を立ち向かわせるな、と。
「なあ虎の姉ちゃん。甘酸っぱい恋って具体的にどうしたら出来るもんかな?」
「藤ねえ、答えなくていいか」
「わー、なんかすっごく心ときめく質問ねそれ!」
ほら。
大河は目をきらきらさせて手を組むと、うずうず笑いを押さえられない顔でランサーとアーチャーを見た。虎の好奇心おそるべし。
士郎は絶望した。
「そうね、甘酸っぱいと言えば……はじめて、とか? ファースト、とか? そういう感じの単語が連想されるんだけど」
「意味一緒だし藤ねえ」
「はじめて……か」
「はじめて……か」
「え、なんでふたりで同じこと言うんだよ」
「だってよ、オレたちいつでも新しいことに挑んでるから大抵のことは“はじめて”じゃねえんだわ」
「日々限界突破までマッハ5の速度でひとっ飛びだな」
「そんなことに励むなよ頼むから!」
「そのチャレンジ精神やよし!」
「よくないから藤ねえ!」
もう頭の中はカオス。いやそんなのすら生ぬるい。混沌?は、これで。は、これが。…………。
やってらんねえ。
「そうねえ……とすると、あとは」
「うんうん、あとは?」
「あとは?」
まるで童話の続きをねだる子供たちのように無邪気にたずねる英霊ふたり。ちなみにランサーはまだ膝枕に甘えかかったままだ。平然とアーチャーはそれをゆるしている。
なんでだよ。
やめろよ。
頼むからやめてください。士郎は叫ぶ、心の中で。
「ドッキリイベント! ……愛しの恋人のあんな姿こんな姿! わあ目を覆っちゃうけどそれでも指の隙間から見ちゃう! ……的な?」
「藤ねえ頼むから感性で喋るのやめてくれないかな」
「なるほど、新しい刺激ってやつか」
「マンネリ化の打破というやつだな。勉強になる」
「もっとためになること学べよ! 磨耗してる暇があるなら!」
「うるさい息をするな小僧」
「いやそれくらい許そうぜ未来の俺!?」
「ああ、ちょうどいいや」
からっとした口調でランサーは言うと、膝枕体勢から身軽に上半身を起こしてみせる。ついでにアーチャーの唇をナチュラルに奪って。
……キスした。こいつら、今非常にさりげなくだがキスをしたよ。
「外国人さんはやっぱり違うのねー」
「感心しなくていいから藤ねえ! というか見ないでー!」
ああ俺の聖域が穢された、と嘆きわっと顔を覆う士郎。でも不思議だな。もう涙も出ないの。
そんな士郎を呼ばわって、ランサーが言うには。
「坊主、ちょっとアーチャー襲ってくんねえか。そんで危なくなったところにオレが駆けつけておまえぶっ倒すから」
「なにさその俺になんの見返りもない提案! どうして俺がそんなことしなくちゃなんないんだよ!」
「いや、ほら新しい刺激だよ刺激」
「おまえらの恋愛のスパイスになんで俺がならなくちゃいけないんだよ! 山椒は小粒でもぴりりと辛いんだぞ!? わかってんのか!!」
「ああ……確かにおまえは小粒だな。人間的にも」
「なんでおまえはさっきからそんなに俺に対して辛口なんだよ! おまえが辛くてどうするんだよ!」
「士郎ファイッ!」
「藤ねえ今の状況わかってんのか!? いやわかっててください頼むから!!」
喉が張り裂けんばかりに絶叫した士郎の耳に、襖を開ける音が聞こえた。
四人の視線が集まる。
「あ……ごめんなさい。あの、藤村先生が戻ってこないから、見てくるようにって姉さんが。……お取りこみ中でしたか?」
おずおずと上目遣いで問う間桐桜。あらやだと口元に手を当てる大河。
「もしかしてわたしお邪魔しちゃったかしら?」
「いや、虎の姉ちゃんは悪くねえよ」
「ああ、悪いのはそこの小僧だとも」
「だからさ!」
再度絶叫した士郎の剣幕に、身をすくめて桜が目をまばたかせる。……あの、せんぱい。と控えめな声で。
「どうしたんですか?」
「! そうだ嬢ちゃん! 嬢ちゃんでもいいやこの際!」
「え?」
「嬢ちゃん、オレの一生のお願いだ。アーチャーを触手責めに遭わせてくれ」
「桜になんてこと言うんだよこのハレンチ英霊! 英雄の誇りはどこに忘れてきたんだよ!」
「触手責めはまだ受けたことがないな。なるほど」
「おまえはもっと危機感持てよ! 触手だぞ触手!」
「あ……その、あの」
「ほら桜だって困って」
「わたしで、よければ」
「桜!?」
まさに桜の花びらがほころぶように微笑んで髪をいじる桜。それからガッツポーズを取って、勇ましく叫んでみせる。
「間桐桜! 華のように咲き誇って華麗にはばたいてみせます!」
「桜―――――! 戻ってこい桜―――――!」
「え、わたしはここにいますよ先輩?」
「触手出すの早ッ! 早い! 桜! しまってくれ! その触手しまって! あああ髪の色がどんどんどんどん白く白く白く」
「……ぶるぶると震えてゴーゴー、です。ふふふ」


ふう、と。
乱れた衣服を直すアーチャー。その横で煙草を噴かすランサー。
「……刺激的、だったな」
「……刺激的、だったが」
甘酸っぱくはなかったな?と首をかしげあう英霊ふたりの横にヒーローショウを見たようにはしゃぐ大河とやりとげた顔の桜と真っ白に燃え尽きた士郎の姿があったという。
これはある平凡な、昼下がりの話。



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