「こんなところにいたか」
突如聞こえてきた呼びかけに、アーチャーはびくりと体を大きく震わせた。雑木林の奥。ひっそりと静まり返ったそこに男は足音もひそめずざくざくと歩いてくる。箱の中の存在がそれに怯えるのを感じ取って、アーチャーは慌てた。
まったく男―――――ランサーには思いやりというものが足りない。このような小さな存在に気をつかえないでどうする。
頭の中でぶつぶつと不平不満をつぶやいていると、ランサーは大股にアーチャーの傍までやってきて隣にしゃがみこんだ。
「へえ。ネコ、か。ちっちえな」
「……まだ幼い子猫だからな」
「へえ」
触ってもいいか?と言うのに思わず身を引く。……猫だよ。面白そうに笑いをかみ殺しながら言うランサーに軽く嘆息してアーチャーは答えた。
「君は、荒っぽいからな。うっかり潰されでもしたらたまらん」
「しねえよそんなこと。……な? いいだろ?」
興味津々といった目つきでアーチャーと猫を交互に眺めるランサーはまるで子供だ。うっかりそれに心を許してしまったアーチャーは、渋々と箱の中から子猫を抱き上げ、ランサーに手渡す。うれしそうにそれを受け取ったランサーは次の瞬間目を丸くした。おそらくは、そのやわらかさとあたたかさに驚いているのだろう。アーチャーも初めはそうだった。
これを。
この存在を、己が抱いていいのかと心配になったものだ。
今では子猫の方もアーチャーになついているし、額や耳元をくすぐればごろごろと喉を慣らすからそんな心配は消えてしまったが。
「……あったけえな」
やはり驚いたように言うランサーに、アーチャーは低くおさえた声でくつくつと笑った。怪訝そうに見てくるランサーの方へと手を伸ばして、子猫を渡すように促す。駄々をこねるかと思っていたが、案外あっさりと子猫は引き渡された。
ランサー曰く、変な気分になる。とのこと。
「慣れるまではそうだろうな」
笑ってアーチャーが子猫を抱き上げると、ランサーは気のない返事を返してその光景を眺めやった。
おかしくなって声を立ててアーチャーが笑いだすと、それが楽しかったのか子猫は小さな舌を出して褐色の頬をぺろりと舐めた。思わずアーチャーが笑うのをやめて驚きの声を上げれば、子猫はますます楽しくなったのかぺろぺろとその顔を舐めだす。
「! こら……!」
本気で叱咤することも出来ずに抱き上げたまま慌てた声を上げる。子猫は傍若無人に舌を伸ばして、叫ぶアーチャーの唇をしゃりしゃりしゃり、と舐めだした。
くすぐったい。小さくうごめく赤い舌。こら、と叱咤しても当然子猫は聞かない。楽しそうにしゃりしゃりしゃり、とアーチャーの唇を舐めている。
どうしよう。
本気でアーチャーが混乱の中でそう思ったころ、
「その辺にしとけ」
ランサーが、ひょいとあっけなく子猫を抱き上げていた。
「あ、ああ……ランサー……助かった」
「奪われちまったな」
「は?」
「おまえの口。猫に」
「…………」
む、と黙りこんだアーチャーに、ランサーが身を寄せてくる。不思議そうにランサー?とたずねたアーチャーに満面の笑みを見せて、ランサーは言った。
「オレにも舐めさせろよ」
「は?」
思考回路はショート寸前。むしろショートしてしまったほうが幸せではないだろうか。ランサーは地面に膝をつくと少し考える顔をして、それから、わん、と一声鳴き声を上げる。
どうやら犬のつもりらしい―――――呆然とそれを理解したころには、ランサーの熱い舌がアーチャーの唇を舐めていた。
子猫の小さい舌とは比べ物にならない大きな舌がべろり、とまったくかわいげのない音を立てて閉ざされた唇を舐める。
「ラ……!」
口を開けかけて慌てて閉じる。でないと、舌が口内に入ってきてしまう。子猫の舌ならば問題はないが相手は猛犬だ。そんなものの舌が入ってきたらどうなることか。考えたくもない!
後ろ髪をしっぽのように振って、ランサーはアーチャーにのしかかってくる。
「ランサー!」
手をつっぱって舐めてくる舌から懸命に逃れようとするアーチャーに、ランサーは何故?といった様子で首をかしげる。
「愛情表現だぜ? さっきの猫と一緒だ」
「あの子猫はおまえとは違う!」
「同じだって」
「違―――――」
「愛してんだろ」
おまえをよ、とささやいて、ランサーはまた熱い舌でアーチャーを舐めまわす。今度は唇だけでなく、首筋、鎖骨、ありとあらゆる部分。 鎖骨のくぼみを舐め上げられて。体を震わせたアーチャーはたわけ!と叫んで青い髪を掴む。いてて、とランサーは笑ってこんなんじゃ足りねえか?と胸元に噛みついた。
予想だにしない攻撃に、アーチャーが裏返った声を上げる。子猫がそれを聞きつけひょいと箱から顔を出したが、ランサーが素早くどこからか取りだしたハンカチをその頭の上にかぶせた。
「子供は、この先は見ちゃいけねえ。な? アーチャー?」
「知るか……!」
駄犬が、と罵るのに、うん、と素直にうなずくランサー。
「そうだな、オレは駄犬だからおまえの命令は聞けねえな。……というよりわからねえのか」
「貴様……っ」
「おまえがちゃんと躾けなかったのがいけねえんだよ」
な?と快活に言い放ち、首筋に鼻先をうずめる駄犬、もといランサー。焦るアーチャー。私が悪いのか?ならば……いや、そんなはずがない!
「ランサーっ!」
もぞもぞと絡みあうふたりを、頭にハンカチを乗せた一匹が不思議そうに眺めていた。



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