泣きながら。
「だから君は……!」
その続きは聞こえなかった。いろいろとまわりがやかましくて。


泣かしたら、保護者に殴られた。
一体どこの教科書に載せりゃいい話なんだ?
「嬢ちゃんのパンチは師匠並みだな」
「ランサーおまえ、遠坂怒らせてその程度で済むってかなりの幸運だからな」
隣で坊主が頬に湿布を貼ってくれながらしみじみと言う。ぺたぺたと上からテープも貼って。
本来ならそりゃアーチャーがやってくれることなんだが、奴は保護者と一緒に別室だ。というか無理矢理に引き剥がされ連行されてった。もちろんオレが。
(だから君は……!)
ぼたぼたと感情にまかせて涙を流し叫ぶアーチャーというのはかなりのレアものなので咄嗟の横からの攻撃に反応が遅れた。というか、普通の状態でも反応が間に合わなかったと思う。それほど嬢ちゃんのパンチはとてつもないものだったのだ。
こう、魔力さえ乗せてんじゃねえかという勢いで抉るように、ゴシャッと。ゴシャッ。
自分の骨が砕ける音を聞いたような気がする。砕けていたらオレの自慢のマスクは無事じゃ済まなかったわけだが。いやこれは冗談。
というか、なんでアーチャーは泣いちまったんだっけ。
ええと。
始まりは何でもない会話だった気がする。それが発展していって、何だか雲行きが怪しくなって。
あれ、これヤバいんじゃねえの、そう思ったら奴の鋼色の目から水分がぽろっとこぼれ落ちていて。あ、きれいだな、だなんて、呑気なことを思っていたら。
奴は声を詰まらせて、泣き始めて。どんどんどん泣き崩れていって、止まらなくなって。
そうしたら嬢ちゃんが飛んできて、襖を思いっきり、全力で開け放った。スパーン!というキレのいい音、思わず反射でびくっ、となるオレの肩、泣き続けるアーチャー。
そしてアーチャーは言った。泣きながら。
“だから君は……!”
後はご覧の通り。


「嬢ちゃんの顔仁王像みたいだったな」
「なんでそんなもの知ってるんだよ。というかそれ、絶対遠坂本人に言うなよ。死亡フラグだから」
はいおしまい、とパシンとオレの頬を叩いて坊主が言う、つい「いてっ」と言ってしまうが坊主からの反応はない。あれ?これ、坊主も何か怒ってねえか?
「なあ、坊主何だか怒ってねえか」
「別に。ただ、俺も鈍い鈍いってよく言われるけどランサー、おまえも時々俺と同じくらいに鈍くなるんだなって思ったってことだけは言っとくよ」
「怒ってんじゃねえか」
「うるさい」
やっぱり。
いつもいつも仲が悪いと思わせといて、こういうところで仲の良さを見せ付けてきやがるんだもんな、ずるいよなあ。
「アーチャー、何で泣いたんだろうなあ……」
誰からも答えが欲しかったわけじゃないが、ぽつりとひとりつぶやいてみるとじろりと坊主から視線が返ってくる。それは言っていた。
俺は知らないからな、と。
「本人に聞いてみたらいいじゃないか」
「そんな地雷踏めるかよ」
「ふうん。そういうところだけはわかるんだな」
それにしてはいきなり泣かしといてケロっとしてるみたいだけど。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……なあ、やっぱ怒ってんじゃん坊主」
「……別に」
解せぬ。
「仕方ねえな、本人に聞いてくっか」
「忠告だけはしとくけど、今はやめといた方がいいぞ。遠坂に殺される」
「嬢ちゃんにはきちんと詫びるさ」
保護者だし。
言えば坊主は何とも言えない顔をして。
「……まあ、そう言えないこともないけどさ」
だってそうだろ?
普段はアーチャーの方が嬢ちゃんの保護者みたいな顔してやがるけど、本当は嬢ちゃんがアーチャーの保護者だ。地雷だらけの硝子の心とやらを持った従者を一生懸命守る王女様。
オレは坊主に“忠告と手当てサンキュな”と言って立ち上がり、襖に手をかける。すらりとそれを開けて、廊下に出ようとしたそのとき。


「……もうひとつ忠告しとくけど。ああいうときのアーチャーには搦め手じゃなくて真っ直ぐぶち当たっていった方がいいぞ」
「……何から何までサンキューな」
もうひとりの「アーチャーになるはずだった奴」の忠告は、本当に有り難いものだった。


「嬢ちゃん。……いるか?」
ドアをコンコンとノックしてお伺いを立てると、一気に中の殺気が膨れ上がるのがわかる。
廊下にいたときから既にバシバシに体を刺してきていたそれが膨れ上がったのだ、そりゃもう殺人鬼レベルってもんである。
だがオレは面食らいも引きもせずにけろりとした顔で、
「開けてくれよ。アーチャーと話がしてえ」
「返答によってはそのまま殺すわ。……答えなさい。何をしに来たの」
「アーチャーと話しに」
「何を話しに来たの」
「ありのまま隠さず。全てを」
「それはわたしが聞いていても問題はないの?」
「まったく。かけらもねえよ」
「…………」
しばらくドアの向こうからは、沈黙。
「……入りなさい」
きぃとそれが開く音。その向こうには鬼のようにでもないが険しい顔をした嬢ちゃん。の、背後には目元をうっすら赤くしたアーチャー。オレはかまわずスタスタと中に入り、扉を閉める。
そうしてがちゃり、と自分から鍵を閉めた。
「あら。自分から檻に入ったのね? 躾の行き届いた猛犬だわ」
「それくらいは自分で出来るんでね」
軽い応酬。こんなときすかさず横から入るアーチャーのフォローはない。まあ当然か。
オレは嬢ちゃんとアーチャーの前に正座すると、さっそく話題を切り出す。
「アーチャー。まず聞きたいが、オレは何かおまえにまずいことを言ったか」
「…………」
「いきなり核心に触れるなんて恥知らずよランサー。相手はレディじゃなくてもそれなりの柔い心を持った奴なんだから、そういう風に扱って」
「生憎とオレは“もうひとりのオレに、搦め手だなんてもんは通用しねえ、真っ直ぐぶつかっていけ”って言われてるもんでな」
「……そう。士郎が、言ったのね」
済まねえな坊主、二次災害を被るかもしれねえが勘弁してくれ。
心の中でそう言って、オレは会話を続ける。
「何か言ったなら言ったでそう言ってくれ。オレはおまえと隠し事なんてもんはねえ付き合いをしたい。それともそう思ってるのはオレだけで、おまえは――――」
「君は」
「ん?」
ぽつり、と漏れた言葉につい聞き直す。すると奴は堰を切ったかのように、
「君は、いつもそうなんだ。私の気持ちも考えないで、自分のしたいようにするばかり。……それが悪いことだとは言わない。けれど、たまには悪い結果も招くのだと知ってくれ。そう、そうだ、自己犠牲に近い振りをして私なんかを、」
「ちょっと待てアーチャー」
「…………っ」
また泣き出しそうになったアーチャーの片手首を掴んでたずねる。顔を覗き込もうとしたら逆に睨まれた。目が赤い。
「自己犠牲? オレが?」
「ああそうだ。私なんかのために君は自分を捨ててしまおうとする。そんなこと、あってはならないのに。君のような人物が私を……」
「アーチャー!」
怒鳴れば肩がびくりと跳ねる。悪かっただろうかと思うが止まらない。
「何を言ってんだ、おまえは」
「だって、言ったじゃないか。“どんなことがあろうとオレはおまえを守ってやる、たとえ命を捨てることになっても”って」
ああ、この喋り方、素になっている。
そう思ったところで、また嬢ちゃんに殴られやしないかとつい我に返った。だが嬢ちゃんは無言で、オレたちをしばし見つめた後でふい、と視線を外すとドアの方へと向けて歩いていく。
がちゃり。
「嬢ちゃん?」
「ここから先はわたしが聞いていいシーンじゃないわ。あんたたちふたりっきりで決着をつけなさい」
だなんて。
自分から鍵を開けてついでにドアも開け、大変に男前な台詞を残して嬢ちゃんはその場を後にした。ただし――――。
ただし、アーチャーをもう一度くだらない理由で泣かしたりなんかしたら今度はぶっ殺すわよ。
と、ドスの効いた声でそう、言い捨てて。
いささか乱暴にドアが閉められて、嬢ちゃんが遠ざかっていく気配。しん、となった部屋の中で、オレたちふたりは見つめあっていた。
声がこぼれる。
「言ったか、オレ。そんなこと」
「言った。……軽々しく言ってしまえるほど、君は大きな人物なんだ」
「ちょっと待て。おまえ、さっきからオレを神聖視しすぎだぞ」
「だって、そうなんだから仕方ないだろ!」
「ちょっと待て、落ち着け! ……おい、アーチャー」
両肩を掴んで、今度こそ顔を覗き込むことに成功する。鋼色の目にうっすらと朱が差して、ああそれがきれいだな、なんて思って。
そういえばこいつの目から水分がこぼれ落ちたときもそんなことを思ったな、だなんて呑気なことをも思っていた。
「オレはそんな大層なもんじゃねえ。いやらしいことも考えるし、下種なことも時には考える。それなりにそれなりの普通の男だ」
「それは、君が自分のことを全然わかってないから言えるんだ……っ!」
だから君は。
奴はそう言って、その言葉はさっきも聞いた、と、そう思う。
「だから君は、自分の価値に気付いていない。私なんかの……オレなんかのために君の命、存在なんてものを捨てていいはずがないんだ。わかってくれランサー、頼むから……」


ったく。
こっちこそ頼むから、だ。


「アーチャー」
声をなるべく柔らかくして、触るタッチも柔らかくして落ち着かせる。息が荒い、それも肩を押さえることで落ち着かせる。
落ち着かせてから、座ったままで抱きしめた。
「ラ、」
ンサー、と声を詰まらせて言うのに、何でもない調子で答える。
「おまえがそんなだから、オレは何を捨ててでも守ってやりたくなるんだよ」
「いけないんだ、いけないんだよランサー、そんなことをしたら……!」
「いけなくなんてねえ。このオレが言うんだから、いけなくなんてねえんだよ」
「……――――〜!」
ぶんぶんと首を振る、その様が駄々っ子のようで笑ってしまう。
そうすれば耳元がくすぐったかったのか、アーチャーが体を震わせて。
「ラ、ランサー、ッ」
「そんなだからよ。……オレは、おまえから離れられねえんだよ、阿呆が」
一見罵倒のような。
愛の言葉を、オレは口にしていた。


後日、嬢ちゃんに「まあ、あの程度なら合格点ね。でもわたしのアーチャーであることに変わりはないのよ」と言われた。どこから見てたんだ。
あと坊主に「ランサー、台詞が気障すぎやしないか? 俺は何も言わないけど」と言われた。言ってるじゃねえか。



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