「それにしても随分買ったわね」
「人数が多いからな。これくらい、すぐになくなるさ」
「そうね」
遠坂凛はくすりと笑う。それに衛宮士郎も笑い返してみせた。ほのぼのとした空気が漂う。台所までスーパーのビニール袋を運び、しこたま買いこんだ食料品をそれぞれの場所へとしまう。そしてそういえば遠坂、聞きたいことがあるんだけど……あら、なに?それじゃあわたしの部屋に来る?
なんて、話しながら廊下を歩いていたそのとき。
「遠坂?」
突然ぴたりと足を止めた遠坂凛に、衛宮士郎は怪訝そうな表情を浮かべてみせる。一体どうしたんだよとたずねる彼に彼女は、しいっと人差し指を赤い唇の前に立ててみせた。
眉を寄せたその真剣な表情に、自然と衛宮士郎の顔も引き締まる。
「どうした遠坂。なにか異変でも……」
「静かに」
ささやくような小声を出して、遠坂凛は衛宮士郎の頭を押さえこんだ。まるで少女の力とは思えない強い力で上から押さえつけられて、なすすべもなく潰れる衛宮士郎。とおさか、と抗議の声を上げようとして、ちょうどそこが誰かの部屋の前なのに気づいた。
気配はふたつ。聞こえる声は―――――
「ランサー……と、アーチャー?」
そう。いつのまにか衛宮邸に住み着いた、青と赤の英霊ふたりのものだった。どうやらなにか言い争っているらしく耳を澄ませばかなり正確にその会話の内容が聞き取れた。盗み聞きはよくないことだけど、どうも気になってしまって衛宮士郎は遠坂凛に押し潰されながら耳を澄ませてしまう。
だって、気になるじゃないか。
「ずいぶんと激しいわね」
衛宮士郎を押し潰したまま遠坂凛が言う。あっさりとした物言いは彼女ほどの年頃の少女には似合わなくて、だけど妙に似合っていて、衛宮士郎は何も言えない。ただ、その言い方はないんじゃないかと思う。
激しいって。
「と、遠坂」
「あら、衛宮くんは気にならない? あのふたりがこんなに声を荒げて喧嘩するなんてめったに、いえ、まったくないことじゃない」
そうなのだ。
ランサーとアーチャーはつまりはそういう仲で、軽い言い合いはあるものの、こんなに外に漏れ聞こえるほどの大声でディスカッションするなんて本当にめったにどころじゃなく、まったくない間柄なのだ。
ほとんどはどちらかが折れて、やれやれという感じで終わってしまうから後を引くこともないし。
だから、こんなことは本当にめずらしい。
遠坂凛が興味を持つのも当然か―――――と衛宮士郎は苦笑いした。獲物を見つけた猛禽類のような遠坂凛の瞳。
これは付き合うしかない。そう思って、衛宮士郎は中の声に耳を澄ませる。


―――――君には関係のないことだと思うが
―――――だから、なんでおまえはいつもそうなんだよ
―――――これが私だからだ
―――――この強情っぱりが


遠坂凛の手から解放されて、横に並んだ衛宮士郎は彼女と顔を見合わせる。
「……アーチャーが原因なのかしら」
「俺にはそう聞こえる」
彼らはまた耳を澄ませる。


―――――いい加減、自虐はやめろ
―――――悪いが、それは出来ない
―――――なんでだ
―――――これが私なのだよ


「…………」
「…………」
「なんというか」
相変わらずなのね、あいつ、と遠坂凛はあくまで小声でつぶやくと額に手を当てた。その優雅なしぐさに衛宮士郎は苦笑するしかない。なんといっても相変わらずなあいつ、は彼の未来の可能性のひとつとしてありうる姿なのだ。
今の自分はアーチャーにはなりえないと証明はされたものの、やはり気にはなる。
どんな道を辿れば自分はああなるのか。気にはなるけれど、今は目の前の事柄だ。
少年少女はそろって耳を澄ませる。
ごちゃごちゃと言い合うふたりの男の声。突っぱねる一方に食い下がる一方。拒絶するアーチャーと追求するランサー。理由は知れないが、どうやらアーチャーが自分を自嘲し、自虐の道へとひた走っているらしい。一度そちらに考えが向かってしまうと、止まれないのがアーチャーだ。そんなときは他の者は時間が解決するのに任せて放っておくが、ランサーだけはがむしゃらに向かっていく。
今回もきっとそれなのだろう。
と、中でがたりと誰かが立ち上がったような物音がして、衛宮士郎と遠坂凛は見つかったかと一瞬だけ身をすくませる。だがそれは杞憂だったようで、彼らはほっと息をついた。
誰にでも聞こえるような大声で喧嘩をしているのが悪いとはいえ、盗み聞きしている立場である。やはり見つかるのは避けたい。
あくまで平坦なアーチャーの返答に、目が座ってきた姿が脳裏に浮かぶほど物騒さを帯びてきたランサーの声にとおさか、と衛宮士郎が遠坂凛の制服の裾を引こうとしたときそれは発せられた。
部屋の外に、廊下に、おそらくはセイバーやライダーの部屋にまで響き渡ったろう。


「いいから、おまえはオレに大事にされてりゃいいんだよ!」


なによ、と振り返りかけた遠坂凛はその大声に目を丸くして固まる。衛宮士郎も目を丸くして、固まった。
しん、とそれきり辺りは静かになって、部屋の中からも声は聞こえなくなった。
しばらく顔を見合わせて固まって、遠坂凛と衛宮士郎は部屋の前から動けなかった。
きっかり一分経って、遠坂凛がぽつりとこぼす。
その顔は、眉間に皺が寄り、かすかに赤くなっていた。
「どうしてかしら。わたし、いま、すごく恥ずかしい……」
なんでわたしが恥ずかしくならなきゃいけないの、といらいらと爪を噛む遠坂凛。それは衛宮士郎も同じだった。
「ああ。俺もなんだかすごく恥ずかしいぞ……」
頭を抱えてしゃがみこむ。なんだか、すごく、無性に恥ずかしかった。
わたしは恥ずかしくないわたしは恥ずかしくないわたしは恥ずかしくない。
俺は恥ずかしくない俺は恥ずかしくない俺は恥ずかしくない。
ふたりでそろって呪文のように唱えるが、効果はなかった。
日頃から飄々としていて何事にも執着しないような男、ランサーの放った大告白。
それだからこんなにも無性に恥ずかしいのだ。きっと。
ふたりはそう結論づけると、一度大きくうなずいてぐっと拳を握りしめる。


それから数日間、アーチャーとランサーの姿を見ると顔を赤くしてそれを避ける衛宮士郎と遠坂凛の姿があったという。
ちなみに英霊ふたりは理由がわからない、というようにきょとんとして、それだから余計に彼ら彼女らは恥じ入った。



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