「待てよ、アーチャー!」
呼び声に答えて顔は振り返るけれどそれはどこまでいったって無関心。突っかかるのは一方的にこちらの方で、喧嘩になんてならないんだ。殴り合いどころか罵声の応酬にだってならない。
それに気づいて唇を噛む、いまさらだけど、だって、だって悔しいじゃないか。
高い位置にある顔を睨みつけながら近づいていく。ざっざっという自分の足音、鋼のような“無”の顔、翻る赤、身長差、開かない口。
ああ、
憎たらしい。
間近まで近づいて無言のままその顔を見上げる。サーヴァントなんていう人間とはまるで違う存在のくせに、まるっきり見た目は人間だ。だけど反応は機械的。壊れた物を直すのは得意だ、けれど元々正常に動いている機械相手には手が出せない。
ない。ない。ない。ないないづくしだ。
いっそなんにもなかったらよかったんだ。それならよかった。
けどそうじゃない。気になる自分がいる。目で追ってしまう、存在を探してしまう、突っかかっていってしまう。
遠坂凛。彼女は不思議がる。
“ねえ衛宮くん”
鋼色の瞳。
“あなた、どうしてそんなに”
褐色の肌。
“むきになってアーチャーのこと、”
赤と黒が目に焼きついて離れない。
教えてくれよ遠坂、俺にだってわからないんだ。
こいつのことがどうして気になるのか、腹が立つのにどうして追いかけていくのか、こいつは俺を気にする様子さえ見せないのに、一体なんだって、たまに煮えたぎるような目で俺を見ているのか。
「わからないと思ってたのか」
「何の話だ」
「俺はそんなに鈍くない」
「おまえのことなど知りたいとも思わんさ」
「なあ、教えろよ」
「教えることなど何もない」
「全部暴いて、俺に見せてみろ」
「血迷ったか? 衛宮士郎」
「そうだっていうなら、おまえがそうさせたんだ」
言い放って、無機質な顔を睨み上げる。そうだ。
おまえのせいだ。
「おまえのせいなんだ、アーチャー」
ほら、また。
一瞬、鋼の瞳に炎が揺らめく。それは飴のように、頑強な檻を溶かして曲げて、中をあらわにしてしまう。その一瞬に見えるものを知りたいのに、すぐに蔓が伸びるように茨が茂るように蔦が這うように全部隠れて見えなくなる。
「……話にならんな」
背中を向ける。その真っ赤な布に手を伸ばそうとして、
「―――――」
ぱし、と。
掴んだのは、自分よりずっと大きく節くれだった男の手だった。それはさっきの炎を思いださせる熱さを持っていて目の前によぎる過去、自分を決定した、いいやちがう、そんなじゃない、これは体温、感情によって変化する、裏返しにして全部、肉と皮膚を裏返しに、赤、それは赤いだろう、血のように赤い、鼓動のように強く熱く赤い赤だ。
気がつけばその手に舌を這わせていた。爪は滑らかな石の舌触り、皮膚は荒く男のデータが刻まれて。
そのデータに連結して情報を得ようとするかのように大きな手に舌を這わせる、解析、湿っていく褐色の肌を離さない自分の黄色い手、無音、シャットアウト、ただ真摯に、それだけを求めて、男の奥へ、まだ誰にも見せたことのない、壊れそうに脆い、見たこともない、砂の薔薇、硬質でそれでも。
危うい、はかなさを持った。
目の前に星が飛ぶ。
倒れそうになってなんとか堪えた。震える手の先を見ると、それはもうどこにもつながってはいなかった。頬がじんじん痛む。口の中に鉄の味。舌で辿ってみれば裂けた感触、傷跡だ。
殴られた。そう理解して目の前の男を見る、見上げたとたん、口元が笑いに吊り上がった。
「は、はは」
揺らめく炎。隠そうともしない敵意、殺意に近い、嫌悪、いやより近いのは憎悪だ。
「ははは、はは、」
上擦った笑い声が風に乗って流れていく。
つかまえた。
そう、思った。
「さあアーチャー、全部俺に見せてみろよ」
笑うたび、話すたび口の中が痛かったけれどそれがなんだ。目の前の男の方がよっぽど深手を負っている。
鋼色の瞳の檻はすでに破られた。後は中を覗いてみるだけだ。
「アーチャー」
名前を呼ぶ。男がぎりりと奥歯を擦り合わせる。無駄な抵抗は無駄なだけだ。
さあはやく。
すべてを見せてくれとおとぎ話をねだる子供のように、無邪気な笑みを浮かべて手負いの相手に一歩、近づいた。



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