「アーチャーさん、これ、よかったらどうぞ」
ころんと少女の手の上に転がされたのは、桜色のセロファンに包まれたキャンディ。小さめのそれは目の前でにこり微笑む少女にこそふさわしいものだった。
アーチャーは戸惑った様子で洗濯物を畳んでいた手を止めると、桜、と彼女の名を呼ぶ。
「私には、不必要なものに思えるが」
「そんなことないですよ。甘いものは心を安らがせてくれるんです。アーチャーさん、いつも気を張ってるでしょう。わたし知ってるんですから」
だから、と言いつつアーチャーの手にキャンディを押しこむ少女。アーチャーは意外に力強い少女の手にいまだ戸惑いながらも、それを受け入れた。
「それじゃ、わたし買い物に行ってきますね。アーチャーさん、あんまり気を張りすぎないように。……め、ですよ?」
「ああ、わかったわかった。気をつけて行ってくるんだぞ」
「はい」
ふわり、と長いスカートをひるがえして桜は玄関まで駆けていった。さくらー、と名を呼ぶのはアーチャーのマスターの声。姉妹仲良く買い物、か。
苦笑して、どこかほっとしながらもアーチャーは手の上に乗せられたキャンディを見やる。ほんのりと、それは桜の香りがした。
アーチャーは黙ったままがさがさとフィルムを剥ぐと、表れた丸いキャンディをしげしげと眺めた。
ぽい、とそれを口に入れる。それはやわらかく、淡い味がした。
「今帰ったぜ―――――って、今日も家事かよ。ご苦労さん」
聞きなれた声。
「ランサー」
男は笑うとくん、と鼻をひくつかせた。怪訝そうな顔をするアーチャーの首筋に、鎖骨に鼻先を寄せてまるで懐こい犬のように匂いを嗅ぐ。
「なんだ、一体」
「いやよ。なんだか、美味そうな匂いがするんでな」
なにかと思って。
「ああ、桜に貰った飴だ。生憎ひとつしかないぞ」
「―――――んだよ、ずっりいなあ。オレにもよこせよ」
「だからひとつしかないと言っているだろう」
「んなもん、どうにかならあ」
そう言うと、男は屈みこんでアーチャーの両頬を挟むようにとらえた。ゆっくりと顔をかたむけて、羞恥を煽るように近づけていく。
「な、ランサー」
「喋るな」
やりすぎちまう。
そう、つぶやくと男は当然のようにアーチャーの口端にくちづけを落とした。焦らすようにか、ちゅ、ちゅう、と音を立ててそこばかりを吸う。
くすぐったい、とアーチャーは目を細めて男の体を押し返そうとした。けれど、出来ない。
それは本当に嫌がっているわけではないからだ―――――と、この傲慢な男なら言うだろう。……そうなのだろうか?
まさか。
「ん」
べろり、と口端から、唇にかけてを舐められた。熱く厚い舌の感触に背筋が甘く、そう、口内のキャンディのように甘く痺れるのを感じつつアーチャーは不満の言葉を口にする。
「……ランサー、君な」
「ぼうっとしてるからだ。それに、こん中にオレの目当てが入ってんだろ?」
そう言うと男は舌先でアーチャーの唇をつついた。そのノックに思わずうっすらと口を開きそうになってしまって、無言のままつぐんだ。
男は不満そうに眉をよせると、
「―――――ん」
力任せにアーチャーの顔を掴んで、唇を寄せてきた。あっけなく奪われて、ああ、無駄な抵抗だったかとアーチャーは思う。所詮無駄なのだ。ゆるしてしまっているから。
もちろん無体に対する処罰は心得ているけれども、こんなわがままならゆるしてしまえる自分は終わっている、とアーチャーはひとり内心で考えた。
「……ふ、う」
舌がぬるぬると唇の輪郭をなぞる。たっぷりと唾液で表面を湿らせた後で、男は濡れた唇の隙間から舌をねじこむようにして侵入を果たした。
溢れる唾液で口内はちょっとした飽和状態だ。それを飲み下すにも苦労する。
こくこくと動く喉仏が立てる音にやや恥じ入る。けれど、日頃していることに比べたらそう恥ずかしいことでもない。そう思わなければやっていられない。
ぬめる口内を満たす唾液がうすら甘い。男は最初の目的を忘れたかのように、アーチャーの口内をその舌で翻弄する。
ふと、ぴちん、とかすかな音が鳴った。
上顎をなぞるように舐めてから、男は唾液の中で泳ぐその音の発端を聞いて笑った。アーチャーは少しの息苦しさに荒く喘ぎながら割れた飴の、その半分を舌先に乗せて差しだされた男の舌の上に乗せてやる。
その舌と、半分に割れた飴の両方をまとめて舌で味わってから、男はゆっくりと唇を離した。ちゃっかりと、飴の半分を持っていって。
とたん、甘い甘い香りがふんわりと狭い空間に漂う。
甘い、粘性の強い唾液。男のそれとまじりあった。
口端を伝う透明なそれをこぶしの甲で拭いながら、まったく、とアーチャーはつぶやく。
「……君な」
「な、どうにかなっただろ」
甘くて美味いな、と悪びれもせずに言う男に、毒気を抜かれて言う言葉が見つからない。
はあ、とため息をついたアーチャーに、男が顔を寄せてきた。
「だけどよ、アーチャー」
「…………?」
耳元に、吹きこまれるように。
「こいつだけより、おまえと一緒に味わった方が断然美味かったぜ」
なあ、だからと。
にやり笑って頬を撫でる手に再度ため息をついて、アーチャーは呆れたように言った。
「ならば、最初からそう言えばいいものを」
そうして、落ちてきた甘い唇を逆らいもせずに甘受した。



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