がっ、とありきたりな音が響いた。辺りと脳内、頭蓋のなかに。
口腔が唾液でなく水っぽいもので急激に湿りだして、その鉄臭さにああ、と気付く。すると至るところから訴えだすのだからまったく認識というものは。
「へえ。一応、拳も使い物になるんじゃねえか」
垂れ落ちてくるものを甲で拭いながらいやらしく笑う。我ながら悪趣味だ。抵抗されて、殴られて興奮するなどと。
「万が一平手で打ってきたりなんかしたらそれ相応の対応をしてやるところだったぜ?」
「―――――」
「優しく優しく。暴力は控えて、極力な? そうやって犯してやろうかって思ってたんだ」
女みてえによ。
途端に鋼色の双眸が燃え上がった。ああ、いい、と背筋がぞくぞくする。これを今から屈服させるのだと思うと間違えばそれだけで満足してしまいそうだ。
「……下衆が」
押し殺した声にまさか、と返す。
「愛してやる。オレはそう言ったんだ。全身全霊で、おまえを愛してやるって。……オレのやり方でだ。それのどこが下衆だ」
手を広げる。まるで出来損ないの役者のように。ちらりと見えた褐色の拳。そこに付いた赤。血の、色にさらに興奮した。
思った通りだ。何より赤が似合う、おまえには。
およそ人の軽い跳躍一度分。その程度開いた距離から足を上げて、
「―――――ッぐ……!」
踵を、鍛えられた肩へ落とした。
押さえようとしてそれでも押さえ切れなかった呻きに顔が歪む。悦が滲むのを隠せない。なんて声を出すんだろうか。
「次」
短く告げて素早く爪先に切り替え、肩口を突く。とん、とかわいらしくしたつもりだったのだが大きく目の前の体は揺らいだ。
回避行動を取ろうとするのに余計に笑んでしまって付いた手を足で払う。崩れる。翻弄される、あっけない。
「どうした、不意打ちでねえと駄目なのか」
わらう。
その間も背筋はぞくぞくとしっぱなしだ。口の中は血の味。垂れてくる鼻血を拭いつつ話す。粘膜というのは柔い。
―――――目の前の、男の。
中だってそうだから、ようく知っているのだ。
だからいつも丹念に傷付けないように慣らして。濡らして。解して。最後には汚して。
そういえば。
初めてのときも、これほどではなかったけれど、血が出たっけ。
「ふ、」
高揚した。
「こ、の」
低い声。腰に来る。別の意味で鼻血が出そうだ。これ以上どうしろっていうんだ、本当にいやらしい。
不自然な姿勢から立ち上がったかと思うと一気に薙ぐように腕ごと振り払ってくる。即頭部をめがけて。避けられる、が、
「……ちィ」
避けなかった。さすがにまともに喰らうと効く。視界がぶれ遅れて熱さと鈍い痛み。
だがそれが狙いだ。
間近で瞬く鋼色の双眸を見返し、
「いくら殴り合いだってな。見え見えの隙に飛び込んでくるなんざ浅慮だ、弓兵」
間合いを知れよ?
ことさら優しく、言い聞かせるようにささやいて顔を近付けた。その気になれば唇を奪えたけれど、そうしなかった。
気付いたという顔をするが遅い。引き戻そうとするが誰が許す?
「馬鹿が」
唇を奪う代わりにやはり優しく優しくささやいて、しなった竹のように即頭部に喰らいついた腕を捕らえていた。あとは簡単。
「ぐ、っ……」
「声。出せよ。聞きてえ」
「っは、く、」
「……強情だな」
腕を捻って反転させ、叩き付ける。関節の喘ぐ音。体は正直だとは、こういうときに使うものだったのではないかと記憶しているが。
一旦口を閉じてだくだくと流れ服を湿らす鼻血を拭うと、その手を服で拭った。意味のない行動。
「その頭の中味、いっぺん覗いてみてえよ」
灰色の脳細胞。
似たような色の鋼色のふたつの目がこんなにも欲情を煽ってやまないのだから、脳味噌を見たって欲情するんじゃないかと思う。
まあ―――――中、を見るのはいつだって出来る。
今日はこっちの中でいい。
「あぁ!」
終始低かった声が若干高くなる。捻じり上げた腕はぎりぎり、ぎりぎり。眉間に皺が出来て、正しく苦痛の表情だ。 ただ、反転させて伏せさせたせいで奇妙な角度からしか見えない。多少それが惜しかった。
男は視覚で性欲を高めるシステムを組み込まれてるっていうのにこれではとんだお預け状態だろう。
拗ねたように思ってから、二度目は前から抱けばいいかと自分を納得させる。どうせ抱いてしまえばこの体は大幅に抵抗力を失う。
今でこれだ。なら、問題はない。
掠れた、赤黒い跡が残った指先をちろちろと舐めて考える。考えて―――――
「っ、な、」
着衣を、下肢だけ一気に剥ぎ取った。露わになったそこに顔を近付け、軽くくちづけてから首をかしげる。
「さてどうやって慣らしてやろうかと思ってたんだが、指か、直に舐めちまうか……」
愛しているので、慣らさない。無理矢理に、という選択肢はない。……まあ、結果的にこうなってはいるがそれもまた事象のひとつだろう。仕方のないことだ。
故意に語尾を濁らせて、続きを止めればしばらくして思い当たったのか背が跳ねる。何かを言ったようだが聞こえなかった。
よく喋るくせに不意の事態に弱い。
思いながら、口元を吊り上げ垂れ落ちるものを拭う。今だ水っぽく止まらないそれを甲から指へ絡ませて、
「……―――――……ッ!」
「せっかくだから、有効活用しようと思ってな」
受け入れる場所へ、突き入れた。
すると面白いように背が、体が跳ねる。ぽたり、と滴ったものを掬って直に入り込んだ指先へ含ませると、さらに。
嬌声という、人の。人のかたちをしたもの、が出す声すら出せずにほとんど病的な息を吐いて髪を乱し、伏せた顔を歪ませ、懸命に首を振る。あまりにも過剰な反応に一体どうしたことかと指を動かしながら眺めていると、ふと気付いた。
「……ああ」
そうか。
「悪りいな。とんだ毒を盛っちまって」
この身は。
同存在の体液を貪欲に取り込んで摂り込む。唾液、精(初めてのときあまりに刺激が強すぎる、と霞んだ目で虚ろに語られた)、そして血液。
「中から味わうのは、さぞかし効いただろ……?」
興奮に上擦った声で問えば、返事の代わりに指がきつく締め付けられた。ぁあ、とかすかにどうしていいのかわからないような声が聞こえて一気に。
もういい、もう充分濡れた。もう充分濡らした。
見れば白い下生えからの―――――だって、濡れて。鋼色の双眸も。
何もかもが。
ぐちゃぐちゃじゃないか。
鋼色の双眸は見えなくなった。角度的な問題ではなく、きつく閉じられたせいでだ。
指を引き抜いて収縮する暇も与えず一気に貫けば息が吐き出されて、首が激しく振られた。取れてしまうんじゃないかと思うくらいに。
こっちの方は正直、下着の中におさめておくのが窮屈かつ気持ちが悪いほどぬめっていたので侵入に手間は取らなかった。
「……―――――ッハ、ハハ、ハ…………!」
わらう。
わらう。
ああもう本当にぐちゃぐちゃだ。繋がっている部分からは早くも粟立つような泡立つ音がする。いやいやと振られる首。
いやじゃねえだろうが、と、頭の中だけでつぶやくことしか出来なかった。
口からは笑いがこぼれるばかりだ。
上げた髪が崩れて、眉間に皺を寄せて泣きそうな顔、食いしばった口元に火照った肌色。
どうしようもない。
どこまでも奥まで飲み込まれるような気がして突き入れれば片腕を捻り上げられたまま必死に身を捩った。
その拍子に変な具合に中が絞られて制限時間が縮まる。馬鹿野郎と罵る。
もっとおまえを抱いていたいのに。


びくん、と雷に打たれたように揺さぶっていた体が跳ねる。
―――――ぁ、と呆然としたような声が聞こえて、見れば下にぽたぽたと白濁したものが滴っていた。
男は視覚で。
その通りに目にした光景に最後のトリガーが引かれた。
声を詰めて迷うことなく吐き出す、全部、中へ。
征服感と虚脱感。それでも口元を吊り上げ絶えず笑い声を漏らす。呆れるほどに大量の精液が放たれ、当然に
おさまりきらなかったものはあふれて褐色の足を伝って、何滴かは足の指、甲の上に落ちてきた。
どさりとその体躯に似合う音を立て体が完全に倒れ伏す。薄く開いていた瞳はすぐに焦点を失い閉じられる。
目尻に滲んだ涙、口端を汚す涎は小さな池まで作っている始末だ。
伝う感触に鼻の辺りを拭いかけ、血はもう止まっていることに気付く。伝ったのは、汗だった。
荒く息を何度かつき、深く一度吸い、長く長く吐き出した。
倒れた体を抱き起こしまじまじとその顔を見る。意識を飛ばした。そう思い、見ているとうっすらと目が開いて
紫色をほのかに帯びた鋼色が覗き、


―――――も……


それだけをつぶやいて、再び閉じた。
そうして、もう開くことはなかった。
だからそれが“もっと”と求める類いの言葉なのか“もう嫌だ”と拒絶する類いの言葉なのかはわからなかった。
自分は愛しているのだからどちらでもかまわず抱いてやろうとして気付く。


白い己のシャツが、血の色に斑に染まっていたことに。



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