「ち……くしょ、」
この野郎、と呻く。肩を貸した相手は重くて意地だけではとても支えきれないように思えた。だけど、出来てしまうものだ。
この辺でいいか―――――どさりと暗がりにその身を投げだして、深くため息をつく。その傍らではまるで壊れた人形のように弓兵が転がっていた。
赤い聖骸布はところどころがどす黒く血に汚れている。誰がやったのかは、知らない。自分は見つけただけだ。
“衛宮、士郎か”
喉を潰されたのか、その声はひどく歪んでいた。それでも弓兵は笑っていた。くつくつと自嘲的に。
“よりによっておまえに見つかるなど、私の不運もここに極まれりだな”
相変わらずの口調。吊り上がった唇。薄い色のそれさえも、赤い死化粧のように血で彩られて。
―――――いっそ、美しかった。
ぼんやりと立ち尽くす目の前で、弓兵は意識を失った。
それも当然だ。普通の人間なら即死するほどの傷を負って、どうしたのかその身を満たすはずの魔力さえ枯渇している。
「…………」
立ち尽くす。弓兵は動かない。アスファルトに咲いた赤い華のようなその体。
「―――――!」
舌打ちすると大股にその華に近寄る。血に汚れた顔をしばらく眺めて。
服が染まるのも気にせずに、自分よりも相当大きな体を担ぎ上げた。


だって放っておけないじゃないか―――――
嫌いなんじゃなかったのか?
そういう問題じゃない―――――
それじゃあ、どういう問題なんだ?


内から響く声には答えられなかった。けれど、担ぎ上げた体を打ち捨てていくことなど出来ようもなかった。
完全に意識を失った体を引きずって、一歩一歩歩きだす。
自分のテリトリーへ。
まずは、それが第一だと思えた。
はあ、と息をついて汗を拭う。気づけば服も手も顔も血に汚れていた。ぐいと汗とまとめてそれを拭うとごしごしと腹の辺りの布地で拭き取った。
なに、服一枚くらいどうってことない。これだけ汚れていれば捨てるしかないだろうけど。
今はそんなことにかまっている暇はない。
暗がりに転がした弓兵はやはり、動かない。アーチャー、とその名を呼んで頬に触れてみたが応答はなかった。
完全に落ちている。
(起爆剤を)
壊れた人形のように不自然に曲がった足。
(火を、入れろ)
「アーチャー」
答えはない。
「アーチャー」
答えはない。
「……アーチャー!」
答えはなかった。
(足りないのならば、与えればいい)
鉄の味。裂けた唇に一瞬ぎくりとして身を離しかける。だが、次の瞬間それがやけに痛々しく思えてきて、癒すように再度唇を落とした。 結ばれた唇を舌先でなぞり、治癒を望むかのように何度も繰り返す。
かたくなに閉じた唇はどこもかしこもささくれて、くちづけるたびに痛みを感じた。
それが、体の痛みだったのか。
それとも、心の痛みだったのか。知れない。
そんなことは途中からどうでもよくなった。
地面に転がされた体に覆い被さるようにして、何度も裂けた唇にくちづける。体液交換が魔力の回復には有効だと知っていたから―――――他人のサーヴァントにそれがどれだけ通用するのかはわからなかったけれど―――――息継ぎのあいだに閉じた唇を指でこじ開けて、舌を差しこんだ。
それを媒介に、唾液を流しこむ。こく、と喉が動いたような気がしたが、とにかく必死だったので、そんな光景は目に入らなかった。
あんまりにも必死に繰り返したものだから、弓兵の口端からは唾液が溢れて伝い、地面に黒い染みを作った。それを指先で拭い取り、口に含ませる。
ごくり、と大きな音を立てて自らの口内にも溢れた唾液を飲み下した。その音がやけに大きくてどぎまぎする。
舌を絡めるだとか、そんな技量は知らなかった。ただ与えるだけ。そこにいる存在に。無償の施しを。
―――――施し?
違う、と言いかけて、誰も聞いていないことに気づく。そうだ。誰も聞いていない。誰も見ていない。誰も知らない。
だから安心していいはずなのに。
どうしてこんなに、後ろめたいのだろう。
血の匂いが濃く香った。閉じていた目を開ければ、そこにあったのは鋼色の瞳。
ぎょっとして身を引こうとするが、首に回された腕がそれを邪魔する。
気がついたのか―――――そう、言おうとして鋼色の奥に揺らめく炎に気づいた。
それはちろちろと細くはあったが、確かに燃えていた。
「……りない」
「え……」
「足りない、」
エミヤシロウ、と裂けた唇が形作る。
「欲しい」
頬に触れられる。血に汚れた手は、かすれた跡を残していく。濃く香る血の匂い。
「もっと―――――」
夢のようだった。
悪夢のようだった。
気づけば起き上がりかけていた弓兵の体を地面に押し倒して、その唇にくちづけていた。
鉄の味がするはずのくちづけは、何故だか甘い。
そうだ、これは悪い夢だからだ―――――。
どこかで逃避しようとする声が聞こえる。これは現実ではないと。
エミヤ、シロウ。
おまえが欲しい。
気づけばその導きに溺れて、地面に倒れた体を組み伏せていた。
弓兵の目はじっと見つめたまま、動かない。
鋼色の瞳。
揺らめく炎。
それに逆らうことなど、どうして出来ただろう。
「ちくしょう……!」
それなのに何故か口は悪態を吐いて、与えられるままに求める唇にかぶりつくようにくちづけていた。



back.