「辛くはないんだ。慣れているから」
あきらめているわけでもない、絶望しきっているわけでもない、さらりと口にされた言葉に頭がかっとなった。
未来の自分。けれど決して今の自分では成りえない未来。それに安堵したのか、しなかったのか。ただ許せないと思った。そんなことを言うなんて、卑怯だと。
決められた未来に手出しが出来ないということで、こんなにも自分を悔しがらせるなんて、と。そう、思ったのだ。
「慣れてるって……なんでそんなこと」
言えるんだ。
続きは言葉にならず、絶句したようになってしまう。それに未来の自分は笑って、慣れてるんだ、ともう一度、繰り返した。
「だから辛くはない。誰にも同情されたくはないんだ」
「じゃあ、じゃあなんで」
なんで、そんなこと言うんだ。
言わなけりゃ誰も気づかない。いや、気づくかもしれないが気づかないふりもしていられる。だけど、口にしてしまえばそれは。
「馬鹿だ、おまえ」
「知ってるさ」
なんで。
なんで、そんな顔で笑うんだよ。同情されたくはない?じゃあどうして自分にだけは……、あ。
わかった。わかってしまった。
“自分”だから。
相手が“自分”だから、言えてしまうんだ。過去の自分だから、言えてしまう。他人に言うのは怖いから。知られてしまうのは怖いから。けれど自分なら怖くない。馬鹿だと知っていて告白出来る。
だけど、馬鹿だな。
本当に馬鹿だ。
「ッ」
伸ばした手に未来の自分がびくつく。何を、言いかけた言葉を指先で塞いだ。唇は乾いていて、固有結界として展開される未来の自分の心象風景に似ていた。こんなになってまで、守りたかったものは何なんだろう。この世の全てを守りたかったのだろうか。知っている。自分もそうだから。
けれど、思うのだ。
自分がぼろぼろになってまで戦うことで、悲しむ人たちが確実にいるのだということを。
「馬鹿だな、本当に」
「…………ッ、何を――――」
「おまえは、……俺は、本当に馬鹿だよ」
辛くはない。慣れている。それを言ってどうしたかった?
自分に打ち明けて、どうされたかった?
跳ねつけてほしかった?自分には関係ないと蔑まれたかった?けれど、残念だな。本当におまえは、そして俺は馬鹿だよ。
俺たちは本当に馬鹿だ。
「おまえが辛さに慣れてたって、周りの人間たちはちっとも慣れやしないんだ。いつまで経ってもな」
セイバー。
遠坂。
桜。
イリヤ、藤ねえ。
ライダーだってそうだろう、それから?ああ、数えきれない。
エミヤシロウは、そんな人たちを踏みつけにして生きてきた。だけど、その代わりに自分はもっとぼろぼろになって。
そうして、最期には。
そんな人たちのことを思い出せずに、刑に処された。
そんな悲しいものに、衛宮士郎はならない。
目の前の男は、未来の自分は、成ってしまったエミヤシロウだ。今後決して彼が救われることはない。だが、せめて。
この瞬間でも、今だけでも、幸せでいてほしいと思うのはわがままだろうか。
「…………!」
薄く開いた唇に指を差し込めば、大柄な体がびくりと戦慄く。
「怖いか?」
「だ、れが」
「怖がってるくせに」
意地っ張り。それは自分も同じだが。
だって、自分たちは元が同じ。成長してその結果が違う、単にそれだけのこと。元はどうしたって一緒なのだ。だからわかる。
何かを暴かれそうなときの怖さ。得体の知れない恐怖感。硬い殻の中に、薄膜に包まれた本心を隠している。いつでも怯えているんだ。ぞっとするような悪寒を他人と接するときに知らず感じている。大丈夫だろうか?知られずにいるだろうか?
だから、慣れていると。
そんな、振りをする。
突き詰められればばれてしまいそうな、嘘をつく。反対に言えば密に接しなければばれない嘘を。
大丈夫だと自分自身に言い聞かせて、安堵する。
「だけど嘘は駄目なんだ。他人だけじゃなくて、自分自身も傷つける」
つぶやいて、口内の指を引き抜いて唇をなぞる。嘘つきな唇。この口が本心を語ることは少ない。
「なあアーチャー、いい加減に素直になれよ」
それでもわかっている。そう簡単に素直になんてなれないこと。だって目の前の男は未来の自分だから。頑固さが増した、未来の自分。
今だって頑固だ頑固だと周囲の人間に叱られているのに、さらに増してしまったらどうすればいいのか。
「……アーチャー」
少しだけ、背伸びをした。
目の前の男がうなだれていたせいで、すぐに目的は果たされた。
「――――っ、……!?」
軽く唇を奪って、すぐ離れる。殴られるかな、そう思ったけれど目の前の男は呆然としていて、そんなこと思いもつかないようだった。
「な……」
何故、とその唇がつぶやく。ぺろりと触れただけの唇を舐めて、さあ、と無責任極まりない台詞をつぶやいていた。
「しいて言うなら、安心させたかった。からかな」
「安心……?」
「そう。解けただろ? 緊張」
「……何を!」
かっ、と。
褐色の肌が赤くなって、その中でもさらに耳が目立った。
「なあ、アーチャー。認めろよ、慣れてなんかいないって。本当は辛いんだって」
そして泣けばいい。そうすれば自分はその体を抱きしめてやれるから。
身長差、体格差はかなりあるけど、それでもせいいっぱい抱きしめてやるから。
「アーチャー……」
手を握る。その手は震えていて、熱かった。いつも冷たい手なのに、そのときだけは。
「アーチャー」
今度はしっかり名前を呼ぶ。
目前の男はうつむいたまま。
うつむいたまま、体を小刻みに震わせて――――。



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