「気が済んだか? 衛宮士郎」
だなんて、余裕の表情で言うからさらに憎たらしくなった。気が済むか、馬鹿、なんて叫んでもう一度胸ぐらを掴んでキスをする。アーチャーの唇は拒まない。
ただ、受け入れてそのまま外へと流してしまう。いつでも許容量いっぱいのコップのように、注いだらこぼれてしまうのだ。
それがわかっててキスをする。
だって、したいんだ。しょうがないだろ。
(目くらい閉じろ、馬鹿野郎)
慣れてるみたいでなんだか嫌だ。
初めてであってほしいとかそんなことは言わない。アーチャーだって立派な成人男性だ。本当の年齢はわからないけれど、少なくとも青少年なんて時期は通りすぎている。
初めてこの唇を奪ったのは誰だろう?
……なんて、ろくでもないことを考えたら、それを見透かされたように唇を合わせたままふ、と笑われた。
「他のことに気を回している余裕があるのか?」
「う、るさい!」
かっとなって舌をねじこむ。やっぱり、抵抗はなかった。花が自然に開いて受け入れるみたいに、アーチャーは受け入れる。
サーヴァントでも舌はやわらかいんだ、なんて思ったのは最初の頃だったろうか。
まるで生きてる人間みたいに、やわらかくてぬるぬるしている。
この舌を、なんて、考えるな。
目を開いて、まっすぐに鋼色の瞳を見据えながらキスしてやる。アーチャーは目を逸らさない。揺らがない瞳で見つめ返してくる。
歯並びは整っている。
舌はたぶん標準の長さだ。
唇は、意外にやわらかかった。
は、と気づく。ひとつひとつ確認している自分に。だからやや乱暴に舌を入れて中をまさぐった。唾液が音を立てる。いやらしい音だ、そう思った。
それでもアーチャーの瞳は揺らがないのだ。
自分の瞳は、どうだろう。
―――――自分は青い。
こんなことですら、気になって仕方なくなるくらいに。キスから先へも進めずにいるのに。
悶々と考えて、悩んで。気づけば、ほとんど暴力的に唇を合わせている。
殴りつけるようなキスだと思う。アーチャーはそれを黙って受け入れる。殴りつけるこぶしを避けずにそのまま。
だったら、もっと自分がひどいことをしたらどうなる?
たとえば、口では言えないようなことをしたら?
暴力では収まりきらないくらいの、ひどいこと。
それでもアーチャーは黙って受け入れるのだろうか。自分を馬鹿にするくせに、なにかしら文句をつけるくせに、キスだけは受け入れるその従順さで、それさえも。
ゆらりと腹の奥底から何か、黒いものが沸き起こってくる。もやもやとしたそれには形がない。名前もなければ、目も、鼻も、口もない。 正体すらない何か。
それがアーチャーに向けられているのだと知って、とっさに唇を離していた。
濡れた唇でアーチャーが見つめてくる。さんざんもてあそんだ……と言えば聞こえは悪いが、その唇で。
「衛宮士郎?」
皮肉に。
「どうした、怖気づいたか?」
薄く笑いを浮かべて、自分の名前を呼んだ。
それに何故だか激情して、混乱した。
怖気づいた?
おまえはそう思うのか。
俺はただ、おまえを××たいだけだ。そうだ、知ってるんだ。おまえは脆い。皮肉ぶって笑ってるけど、その奥は誰にも見せないでいるだろう?
それがその証拠だ。
そう、たとえばこの胸の。
「―――――」
手を伸ばして触れた胸板は厚かった。己が成長してこんな姿になるとはとても思えない、とあるひとつの可能性だとしてもだ。
だけれどこの奥には決定的に脆いものがある。触れてはいけないものが。まだ、誰にも触れさせていないもの。
「衛宮士郎?」
怪訝そうに問う声が聞こえる。けれどそれを無視して、手をいったん離すと今度は唇を近づけていった。
かすかに、押し殺すような声が聞こえる。
「ッ」
そのとき、初めてその男の押し殺した苦痛のような、快楽のような表情を自分は見た。
大事にしまってあったものを暴いて、そっと触れたことでそれを得た。
心臓の上にキスされたアーチャーはく、と呻き声を上げて顔を軽く下へとうつむける。その顔を両手で挟んで上げさせて、複雑に歪んだ表情を堪能した。
そっと、何度もくちづける。離れるたびにほっとしたようなため息が聞こえ、触れることでまたそれは引きつる。
「アーチャー」
くちづける合間に、ささやいていた。
「ここ、はじめてなんだな」
黒いものはすっかり失せていて、それでも腹の底からの熱は止まらない。何度もくちづけて声を聞くたびにそれはふくれあがった。
まるで性衝動のようだった。少し風変わりな性衝動。
心を侵すことで男を犯す。そんなようなものだ、とどこか冷めた頭で思う。アーチャーが声を上げるごとに頭は冷静になっていくが、熱はふくれあがっていく。
このままだとどうにかしてしまうかもしれない。
ぼんやりと、他人事のようにそう思いながらふとアーチャーの顔を見る。
唖然とした。
泣きそうな顔だった。もちろんこの男が泣いたりするわけはないのだけれど、今にも泣きだしそうな、そんな。
「アーチャー?」
呼ぶ。子供に語りかけるような声が出た。すると一拍の間があって、突き飛ばされて地面に転がった。
「な、に」
するんだよ、と言いかけてやめる。それは今までの自分に言うことだろうから。
アーチャーは毅然と立ち、自分を睨みつけている。
「相手が私でよかったな。その辺の少女などにやれば一発で虫けら以下に落ちるだろうよ」
「そん、なこと、するかよ!」
「現にしたではないか、衛宮士郎?」
「誰にでもすると思うな、馬鹿!」
おまえだけだ、と叫んでいた。その瞬間、劇的に、一瞬だがアーチャーの表情が変わった。
「……たわけが!」
叫んで、姿を消す。あ、と口を開けてそれからのろのろと立ち上がる。そうだ、こうやって逃げられたんじゃないか。
それなのに逃げなかったのは。
……考えても仕方のないことだろうか。
だってアーチャーは今いないから真実を知る手立てはない。それにたとえアーチャーがいたとしても、あの男は決して真実なんて言わないだろう。
だけど。
「……だけどさ」
地面を見つめてひとりつぶやく。風が冷たい。


じゃあどうして、あいつはあんな顔したんだ。


答える者はいない。風さえも嘲笑うかのように音を立てて吹いている。目に残るのは、赤い残像。
それを振り払うように振り返って、ゆっくりと歩みだしていく。
唇にごく自然に触れながら、その唇で触れた鼓動を、いまさらながらにせつなく思い返しながら。



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