冷蔵庫を開けて、入れ物を取りだす。すっかり場所を覚えた棚からグラスを出して中味を注ぐ。
とぽとぽとかすかな音に耳を傾けていると、居間の方から声が聞こえてきた。仲がいい姉妹の会話だ。
「……くしゅん!」
「やだ、桜、風邪?」
「いえ、そうじゃなくて……もしかしたら、なんですけどね」
妹の答えを聞いて本当に、と叫ぶ姉の声があまりに大きくて少し目を丸くする。ふと気づけばグラスはいっぱいになりかけていて、手を止めた。冷えたそれを一気に飲んで、姉妹の会話に耳を傾けながら考える。
「…………」


「……ランサー、」
耐えられなくなったのか、無視しきれなくなったのかアーチャーが声を上げる。ライダーに借りた本を閉じてため息をつく。
ランサーは何が彼の気に障ったのかわからないといった顔でしきりにそれを続けている。
「私は子供でも動物でもないからそんなものを目の前で振られてもじゃれつくこともしないし面白くもなんともない。むしろ、邪魔だ」
「なんだ、つれねえなあ」
そう言うがランサーは手を止めない。どこで調達してきたのか小さな花一輪を、アーチャーの顔の前で振っている。
その動きは巧みだが、だからどうしたといった風のアーチャー。半眼でじっとランサーの手を見つめたかと思うと、
「っと」
花を奪い取ろうとしたアーチャーの手はむなしく空を切る。さすが最速のサーヴァント、だなんて称号をこんなところで思い知らせなくともいい。
そんな風にむすっとした顔のアーチャーはまるで今のしぐさが猫のようだと笑うランサーを睨みつける。鋼色の瞳はまっすぐに、青色を見た。
「いい加減どういうつもりか話してもらおうか。ただの暇つぶしか、それとも他に理由が?」
「あー、いやあ、よ。一昨日嬢ちゃんたちが話しててな?」
「凛と桜か」
ランサーはうなずく。そうしてその状況を思いだすように指を一本立てて宙を見て、
「どうもマキリの嬢ちゃんが“花粉症”のケがあるらしいんだわ。まだ病院に行ってねえから判然としねえんだがな」
「……それで?」
「大変らしいな、花粉症ってやつはよ。くしゃみは止まらねえし、涙もぼろぼろ出るそうだ」
姉妹の間に割って入って、話を詳しく聞いたらしいランサーは、つらつらと花粉症の脅威を語る。アーチャーは一応まともに聞いているふりをして「だからなんだ」という顔でもってランサーを見ている。ただ口に出さないだけで、顔には思いきりそう書いてあった。
「……で?」
先程より簡略化された言葉でもってランサーの真意をたずねる。また顔に近づけられだした花を手の甲で払いのけながら。
「おまえがそうだったら面白れえなって思ってよ」
「は?」
「だから、花粉症だよ」
―――――。
アーチャーはなんともいえない顔をしてから、深く刻まれた眉間の皺に指先を当てる。
「忘れているようだから教えてやろう、ランサー。私たちは……」
「サーヴァントだ、って言いてえんだろ? わかってるさ。だけど試してみなきゃわかんねえじゃねえか、何事も挑戦だろ」
けろりとそう言うランサーは自分がそうだからといって無茶を言う。暗い闇、深い夜、情交のときにも「やってみなけりゃわからない」とアーチャーの想像もつかないようなことを言い出してはまんまと達成して悦んでいる。
出来てしまうのが問題なのだけど……いや、言い出す方が悪い。そうに決まっている。
「マキリの嬢ちゃんのくしゃみがまたかわいくてな。おまえで想像したら、なんかこう……」
「欲情したと?」
「あー、そうそう」
「変なところで盛るな、たわけ!」
「普段隙のねえ奴の隙がまたそそるんじゃねえかよ」
なあ?ととたんに目を細めて野性を漂わせる、その様にぐっと言葉を呑む。
「だからオレはおまえを好きなんだ。まあ、それだけじゃねえがな?」
そう言ってアーチャーの顔の前で振っていた花をいったん引き戻すと、ランサーはその小さな花にくちづけた。
そして再度アーチャーの前に差し向ける。
物言えず、固まるアーチャー。
なんとか、ようやく、「たわけ」の最初の一文字を口にしようとしたとき、ランサーが大きなくしゃみをした。
瞠目するアーチャー、ランサー。鼻をぐすぐすと鳴らしてから、ランサーは言った。


「あれ?」



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