体にまとわりつく腕に、起きることをあきらめた。


時計の針は未だ夜中を示している。だからというわけではないが、アーチャーは起きることを二度重ね、あきらめた。
まだ起きなくてもいい。朝食の支度をするなど早すぎる。いいだろう、まだ、布団の中にいたって。
我ながら自堕落だなと思わずにはいられないのだけれども仕方ない。体を白い腕が縛るのだから。
「…………」
まったく、自堕落だ。長く白いランサーの腕がちょうど自分の動きを封じているのを見て、アーチャーは薄闇でひとり思う。誰も見てはいないからいいものの――――もし見ていられたらと思えば。
その“誰か”の反応を想像するだけ無駄だ。だがアーチャーは考えずにはいられない。
なのに許してしまうのはランサーだからだ。ランサーがここにいるようにと望むからこうしている。たとえ意識がなくともこうしてまとわりつかれては無下に出来ようもない。
自分も甘くなったものだ。ひとりごちて、ため息をついた。
体を繋ぐばかりかこうして心を許してしまうまでになった。意識がある間だけではなく、意識がない間も。ランサーに抱きしめられ払いのけることがなく体ばかりか心まで許してしまうのは甘い。わかってはいるが、許してしまうのだ。
預けてしまう。体ばかりでなく、心でさえ。
おまえのことが好きだ。
いっそつたなく言ってみせるランサーを拒むことが今は想像できない。内側に向けて閉じていた心を今は開いてしまっている。わかっているのに。
そんなことは愚かだと、どうしようもなくわかっているのにだ。
愛してる、ではなくて好きだ、と言われるのが最近は辛い。胸が痛くなるほどに。すきだ、おまえがすきだ。そう繰り返されるのは辛く、ひどく、自分を女々しく思う。
もしかしたらと思ってしまうからだ。もしかしたら、自分は存在していてもいいのではないかと。消滅願望を遠ざけてしまう。
アーチャーはため息をついた。手放してはいけないとわかっているのに。知っているのに、何故、と。
自分はいつか還らないといけない。赤く鉄錆びた、あの場所へ。そこには誰も連れて行けない。きっと記憶という形でさえ。
望めないのだ。ランサーを連れて行くことなど。
アーチャーは独りで行かなければならない。そして全てを忘れて再び役目に殉じるのだ。それが約束だから。
世界という名の意思との。
「ランサー……」
吐息に似せてそっと名を呼ぶ。かすかに震える指先を伸ばして彼の、ランサーの額に触れた。
青い髪がかかる白い額。秀でた額に出来ればくちづけを落としたい。けれど、自分をそこまで許せない。
誰を許すことになってもいつまでも、自分は許せないのだと思う。たとえ衛宮士郎を許すことになっても、本当の自分自身はいつまでも。喉が震える。ランサー。繰り返そうとした言葉を呑んだ。

ごくり、と喉の奥が鳴る。
シーツだけを滑らせる肌に視線を落とせば、数々の痕があった。ランサーがつけた痕だ。ランサーの痕。
ランサーの。
「――――」
……、彼を、拒むことなど、想像できない。
しかし彼と永久に共にいる自分も想像できないもので、だから仕方なかった。自分は還る。あの場所へ。
たったひとりきりで還るのだ。誰を伴うことなく、誰の記憶も付き添うことなく。
こうして自分を留めようとする腕さえ、本当は。
「…………、!」
薄闇の中、赤いひかり。
ランサーの瞳が開いて、彼はじっとアーチャーを見つめていた。腕を離さず、指先を引いたアーチャーをじっと見つめて、視線は決して逸らさずに。
「アーチャー」
はっきりと、彼は言った。
「どこにも行くな」
アーチャーは、震える声でささやいた。
「どこへも行かんよ」
「どこにも、行くな」
ランサーは二度そう言うと、アーチャーに絡んだ腕の力を強くした。
光の御子である彼の力は強い。わずかに苦痛を覚えたが、軋む内側ほどではなかった。
ランサーは瞳を閉じない。アーチャーをじっと見つめている。
不意にアーチャーは泣きたくなって目を閉じた。散々泣かされはしたのだが、本当に泣いてしまうことだけはまだ耐えられる。
「どこへも――――」
夜明けはまだ遠い。ランサーの視線を感じながら、アーチャーはゆっくりと呼吸を繰り返した。



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