洗濯物を畳むその後ろ姿。
腹の底から沸き起こる衝動を衝動とも思えなかったから、ごく自然に噛みついていた。
振り返るのはスローモーション。やけにゆっくりと喋ってるなこいつ、とのんびり思っていたら、足の指先が突然冷たくなった。驚いて見下ろせば濡れた髪から滴った雫が落ちていたので、そう感じたらしい。
「―――――あ、え?」
とたんに世界は元の速度を取り戻す。それと同時に殴られていた。頭を。脳天に一発。
「ってえ……!」
しゃがみこんで頭を抱え、唸る。痛い痛い痛い。何で殴られたんだそれはおまえが奴を噛んだから、だって、それは、仕方のないことで、目の前にあんなものをさらしておくのが悪い。
美味そうな首筋。
「なにすんだよ」
「なにすんだよ、ではないわ! 突然何の挨拶もなしに背後から噛みつきおって、一体どういうつもりだ!?」
「挨拶すりゃいいのかよ」
えーと、今ならコンニチワー?
「そういう問題ではない!」
「うっせえなあじゃあどういう問題なんだよ」
「うるさいとはなんだ! このたわけ!」
「だからどういう問題なんだって聞いてんだよ、たわけはどっちだ」
ななななな、と五連続で「な」と言うと、奴は見る見るうちに苦虫を噛み潰したような顔を怒りの表情に変えた。
胸ぐらを掴まれる。顔をかなり近づけられた、このままキスしてやったらどんな顔するだろうと思ったけれど、確実に悪い方向に向かうだろうからやめておいた。
わけのわからない衝動はとりあえずおさまっていたし。
ああ、だけど。
「食らいつきてえなあ……」
ぽつりと漏れた独白を聞いて、奴が目を白黒させる。薄く開いたその口に、食らいついて舌を差しこんでそのままなしくずしに。
駄目だ。
全然おさまってない。
「ライダーでもあるまいし、第一魔力は充分足りているだろう!?」
「そういう問題でもねんだわ。これはなんつうか……心の問題だな」
「心。ほう……やましい心の表れだと自分で認めるわけか」
「おまえ風に区分けすりゃそうなるのかもな」
つぶやく。
きっと顔には表れていない。だから奴は少し変な顔をしている、無表情でおかしなことをつぶやいているように見えるからだ。
だけどそうじゃない。そうじゃないんだ。
「正直に言うとだな」
おまえに欲情した。
素直に言えば、鋼色の目をこぼれ落ちそうなほど見開く。この、とか不穏な前置きが聞こえた気がしたが仕方ない。
それしか言いようがない。遠くから見た褐色の肌と、そこに浮き出た血管。
ちっともやわらかそうに見えないそこに歯を立てたらどんな感触がするだろうかと。
そんなことをふと、考えていたら―――――噛みついていた。
本当はもっと感触を味わいたかった。噛んで、舐めて、すすって、それからどうしようか。
違う。まずは肉を噛むだけでいい。力を入れずに噛んで、一気に力をこめる。犬歯が皮膚を食い破って、ひょっとしたら血管も食い破るだろう。
そうしたら口の中に濃厚な味が溢れだす。奴は身悶えて、やめろと叫ぶ。
だがやめてやるはずがない。むしろ今だとばかりにむしゃぶりついてやる。やめろと叫ぶ声はうるさいだろう、けれどそれもいい。
抵抗はあった方がいい。なすがままなど萎えるだけだ。
少しくらい血をもらったって死にはしないはずだ、奴だってサーヴァントのはしくれなのだから。
そのわずかなあいだに見せてほしい。身を捩って必死に抵抗する様を、悔しそうな顔を、常とは違うように色づいた肌を。
聞かせてほしい。
罵声と喘ぎを。
それで、この欲情が充足するとは限らないけれど。
「なあ」
真顔のままで、いつのまにか胸ぐらから手を離していた奴の顎に手を伸ばす。くいと持ち上げればなんともいえない表情を見せた。
「試してみるかい?」
「な……にを」
「どっちが先に泣きを入れるかだよ」
もうやめろ、と泣くのが先か。
もっとよこせと泣くのが先か。
きっとぎりぎりの瀬戸際は楽しいだろう。ぞくぞくしてくる。
「オレはおまえが結構いい線行くんじゃねえかって思ってるんだけどな」
「さっきから何を言っている! ひとりで納得してひとりで喋るな!」
「説明の時間がほしいか? だけどなあ……」
想像するだけで楽しそうで、我慢出来そうにない。
悪いな、とつぶやいて。
罵声を吐こうとする、その口を奪っていた。
ぽたぽたと雫が落ちた。



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