「へえ、似合うじゃねえか」

“アーチャー!”

突然に衛宮邸を襲った白い竜巻。小型だが強力なそれに、あれよあれよとアーチャーは巻き込まれてしまった。
「笑ってくれてかまわんよ。……年甲斐もなくと思っているだろう」
「サーヴァントに年甲斐もなにもねえだろ。似合ってるって言ってるんだから素直に受け取れよ。それと、白い嬢ちゃんからの愛もな?」
くくくと喉を鳴らすランサー。こういった性格は元来彼の持つものだが、確実に悪い方向に強化されている節がある。一体誰にと言えば、遠坂凛だ。
あかいあくまとあおいもうけんはアーチャーを挟んで火花を散らすときもあるが基本的に相性は悪くない。気の強い女は好きだしというのがランサーの持論である。もちろん愛してるのはおまえだけだけだがな、と余計な主張までついてくるのだが。
ウインクとスマイルがセットで。
さて話を元に戻す。アーチャーはどうも力なく、投げやりに座っていた。着ているのはどちらの黒い上下でもなく、赤いパーカーと白いチノパン。アーチャーの小さな姉であるイリヤスフィールが持ってきたかわいい弟へのプレゼントだ。
“アーチャー、いつも同じ服ばっかりよね。だからわたしが新都まで行ってね、選んであげたの。きっと似合うと思うわ”
“……イリヤスフィール。気持ちは有り難い。しかしだな、これは私には”
“きっと似合うと思うわ”
すこぶる愛らしくイリヤスフィールは微笑む。どんな賛辞を尽くしても足りないであろうほどの愛らしさ。
だがその微笑みを向けられたアーチャーはというと、目を閉じ、眉間に皺を刻んで、肩を落とし、肺から二酸化炭素をすべて吐き出さんばかりの様子だった。簡単に言えばひどく憔悴した有り様だったのだ。
微笑んでいるイリヤスフィールにアーチャーは、
“イリヤ……”
大柄な成人男性に哀願するように小声で愛称を呼ばれたイリヤスフィールは目を丸くする。ぱちくりと瞬きを繰り返していた、が。
“駄目よ―――――シロウ。わたしのかわいい弟。そんな困った顔をして、最後の手段に出たって駄目。すごくかわいいけれど許さないわ。黙って、おとなしく、お姉ちゃんの言うことを聞きなさい”
愕然とするアーチャーにイリヤスフィールは告げる。外見にふさわしい無邪気な様は魔法のように消え失せ、ライダーにも負けない……いや、もしくはそれに勝るかもしれないほどの妖艶な笑みが唇を彩り。
“セラ。逃げ道を塞いで。リズ。あなたは着替えを。大丈夫よシロウ、すぐに済むから”
予防注射、もしくは虫歯の治療なんてすぐに終わるからといったようなニュアンスのことを言い、イリヤスフィールは指を鳴らした。
一秒後には彼女の赤い瞳が妖しく輝き、アーチャーの動きは完全に封じられていたのだった。
南無。
女性三人の手によってあっけなく着替えさせられてしまったアーチャーを見てイリヤスフィールは再度ぱちくり瞬きをすると、手を組み合わせ満面の笑みを浮かべた。そうしてさんざんかわいいかわいいと連呼し、抱きつき、頬をすり寄せ、大きな弟を心ゆくまで愛で倒すこと一時間半。
“じゃあまた今度ね、アーチャー。あなたにもっと似合う服を探しておいてあげるから!”
メイドたちを引き連れて城へと帰っていった。例の外車に乗って。
入れ替わるようにタイミングを計ったように出かけていたセイバー以下ご一同が帰宅し、騒動の中ランサーが戻ってきたのである。
「それにしたってなあ、なんでこんな美味しいときにオレはシフトなんて入れちまったのかね。おまえの生着替えなんてもんはめったに見れねえってのに、ああ、つくづくオレはついてねえ」
「何を。君はそれ以上のものを見ているではないかね、ランサー?」
拗ねるようにそっぽを向いたアーチャーに、思わずランサーは視線を投げた。くわえた煙草の灰が落ちそうになる。
なる前に素早く灰皿を手に取った。
未だにそっぽを向いているアーチャーを見、癖になった動作を実行。つまり煙草のフィルタを噛む。
無言で不機嫌らしい己の恋人を見、だというのに笑んだ。
「本当にかわいいなあおまえ。そりゃあ白い嬢ちゃんだってかまいたくなるに決まってんだろ」
「世辞は結構だ。あとかわいいかわいいと連呼するのは止めてほしいのだが。連鎖的に悪夢が蘇る」
「ったって、かわいいものは仕方ねえだろうがよ。現にセイバーだって」
「私と君の話をしているのだランサー。セイバーの話は今はいい」
獅子の仔のようだ!
アーチャーを見るなり、目を輝かせて叫んだセイバーの反応を思いだしたのか、アーチャーはため息をついた。獅子の仔。獅子……ならともかく、仔、とは。
端的に言えば“かわいらしい”ということなのだ。セイバーのその評価は。
「……ランサー。顔に締まりがないぞ。さすがにアイルランドの光の御子がその顔はどうかと思うが」
「ん? 緩んでるか。けど仕方ねえ、目の前にこんな」
「こんな、何だと言うのだね」
鋼色の瞳。
ランサーは灰皿をおもむろに畳の上へ。真っ向からアーチャーへ視線を合わせると。
「―――――!?」
今度は青い突風に襲われて、アーチャーはまたもやあれよあれよ。
髪を掻き乱す手を認識するのに数秒。それがランサーのものだと認識するのにさらに数秒。まさに最速、と結果を弾き出すに至っては十数秒かかった。慣れているのに。慣れているのにだ。
武人の手。指先。槍を握る当然の代償―――――いや、勲章としてごつごつと節くれだったランサーの指は、だというのにやさしかった。 奥底に沈んだ、忘れられない遠い過去。頭を撫でた手が重なる。
名を呼びかけ、目前の端正な顔に引き戻される。
「ラ、ンサー、君は、一体!」
声を張ったというのに笑顔にぐ、と抗議は詰まってしまう。ずるい。それは、その顔は、卑怯である。たとえランサーが自覚していたとしてもいないとしてもその顔を見せられてしまえばアーチャーは。
「思ったとおりだ。やっぱり似合う。ほらよ、おまえはっきり言ってガキじゃねえか。変なところで抜けてるし、隙を突かれると弱いし、馬鹿みてえに強がるし。まあな、そこがオレとしちゃ放っておけねえんだが」
……あんまりな、いいぐさではないだろうか。
「聞かなかったことにしてやろう。それで? 一体それとこれと何の関係があるのだね」
「オレよ、おまえの髪下ろした姿がすげえ好きなんだ」
かわいいと思う。
ランサーは笑ってまだ髪を掻き回して言う。
「普段のおまえだってもちろん愛してるぜ。だけどよ、なんていうんだっけか……」
考えて、腑に落ちたような顔をして、特別なんだとランサーは言った。
「でもって、その格好がすげえかわいいもんだからよ。こうやって、もっとかわいくしてやろうと思った」
あたたかい。
ランサーの指が、アーチャーの髪を掻き回す。うん、とランサーはうなずく。卑怯だ、とアーチャーは内心で唸る。実際に声に出たかもしれない。
「赤。似合うよな」
「取り繕うように言ってもだな、」
「脱がせてえって少し思ったんだがやめとく。もったいねえ」
「ろくでもないな」
素の口調がつい出てしまう。オレと言わなかっただけましか。
アーチャーは髪を掻き回す手をどうしようかと思案する。かわいいかわいいと笑うランサーをどうしようかと思案する。
「……こんな服、子供の着るものだ」
明らかに幼いデザイン。
アーチャーが自分から選ぶことはない。そうなのかとランサーがたずねてくる。そうだ、と答えた。
「へえ」
ランサーは髪を掻き回す手を止めて、代わりに頭を何度か叩いた。
「なら、白い嬢ちゃんに感謝しねえとな」
おまえに似合う服を見繕ってきてくれたんだからよ、といっそう明るく、笑ってみせた。
それでもうアーチャーの反論の道は閉ざされる。
下りてしまった前髪を指先で摘み眉を八の字に。眉間の皺は大人になってから。
子供扱いなんてされてかわいがられているうちは、作れない。



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