「こんにちは。こちらから過剰に幸福の匂いがいたしましたので、取り立てに参りました。カレン・オルテンシアで御座います」
衛宮邸、昼食時。
突如現われたカソック姿の少女の発言に賑やかだった居間がしんと静けさに包まれる。おかしい。言ってることがおかしいし、あと言葉遣いとかもおかしいですよ?
とりあえず。
「逃げろランサー!」
「言われなくとも!」
ツーカー、阿吽の呼吸で士郎が命じランサーが脱する。あまりの瞬発力に座布団がすっ飛んでいって壁にべちっとぶつかったけれど気にする者はいなかった。このくらい魔術師と英霊がたむろする衛宮邸では珍しくない、というか日常茶飯事だ。
それはどうなのかという意見もなくはないが。
しばらくして庭の方からアー、とかいう情けない声がした。そして赤い布に包まれたランサーがずるずると引きずられてくる。マグロの水揚げ。誰がぽつりとつぶやいた。
「……ゲット」
口端を上げて笑う少女、カレン。なんというか。すごく。ものすごく、禍々しい。
「このマグダラの聖骸布から逃れられると思ったのですかランサー? だとしたら愚かだわ。ええ、とても愚かです。てっきり猛犬だと思っていたのですが……駄犬に格下げしてもいいのかもしれませんね」
「…………!」
「けれどあの逃げ様はなかなか見事でしたよ。はしたないことにわたし、ぞくぞくしてしまいました。無駄だというのにあがく者の姿はそそるものがあります。そうですね、嫌がる相手に無体を働く男性というのは皆、こういう気持ちを持つものなのでしょうか。……あなたのように」
「…………!」
「カレン、口元の布は外してやってくれ。いくらなんでも死ぬと思うぞ」
言い返せないのもかわいそうだし。
士郎がそうつぶやくと、カレンはあらと色素の薄い瞳をまばたかせた。そうして首を傾け。
「忘れていました。わざとです」
「どっちさ!?」
しゅるん、と腕を振るって聖骸布を緩めた。ランサーの第一声。
「オレとアーチャーは合意の仲だ!」
「衛宮士郎。スコップを持ってこい。庭に埋めてくる」
「やーだアーチャー、顔が赤いわよ? 真っ赤よ真っ赤」
「ね、姉さん」
言っちゃいけません、本人は平然としてるつもりなんですからっ!
可愛らしい声でひどいことを言う間桐さんちの桜さんだった。
「さて、カレン嬢」
アーチャーが腕を組んで、赤い顔のまま口火を切る。まだ顔赤いわよ、赤い赤いとささやく姉妹に関してはスルーだ。あえてのスルーだ。
「どうしたのですか? アーチャー」
「その、私と彼がそういう……仲なのは置いておいてだ」
「否定しないのですね」
「聖母のように微笑まないでくれ……」
こういうときばかり。
負け負けなアーチャーだった。
「置いておいてだ。幸福取り立てに来たとは、一体何のことだ?」
「そのままの意味です。過剰な幸福が感じられたので、こう、くいっと」
くいっと、で手を捻る仕草をするカレン。だがその手にはマグダラの聖骸布。くいっと、なんて可愛い表現では済まないことうけあいだ。
「なあカレン、前も幸福そうな人間を見ると皮を剥がしてみたくなるとか言ってたけど……それ、やめにしないか?」
士郎が見かねたように言うが、途端にくたくたとくずおれたカレンを見てぎょっとする。
しくしくしく、と言いたげに肩を震わせるカレンに慌てる士郎、にわかに殺気立つ姉妹。
「カ、カレン、なんで泣くんだよ!?」
「だって……あなたがあまりにも酷いことを言うのですから仕方ないでしょう?」
「酷いことって何さ!?」
「わたしの…………だけでなくライフワークまでをも奪おうとするなんて、なんて酷い人……」
「衛宮くん?」
「先輩……?」
「誤解だ! なんかよくわかんないけど誤解だ、ってうわー!?」
桜の影で引きずられていく士郎の額に突きつけられたガンド充填済み人差し指。ドナドナドーナードーナー。奇しくもそれは先程までのランサーと同じ様であった。
「さあ、これで味方はいなくなりましたよランサー、アーチャー。おとなしくわたしにその幸福を差しだしなさい」
カレンが告げる。むちゃくちゃだ。
というか幸福低ランクのふたりからやっと得た幸せを奪うのはどうなのかっ!?
「カレン……どうしてもあきらめねえつもりか」
「はい。正直これほどまでの幸福を目の当たりにしては空腹で帰ることなどできはしません。是非取り立てて帰らせていただきます」
「帰る気は……ないというのだな」
「繰り返しになりますが、ありません」
アーチャーはため息をついた。観念しましたか、とカレン。
だが彼女の思惑は否定されることになる。
「幸福があるから取り立てる。では、幸福がなくなればおとなしく帰るのだな?」
「アーチャー、おまえ何言って」
「あら」
面白いことを言いますね、とカレンは口元に手を当てた。色素の薄い瞳がきらきらと輝く。
「ですが、どうやって幸福を打ち消すつもりです? お言葉ですが今のあなた方は過剰に幸福で溢れている。それを無くすことなど……」
「ランサー」
そんなことは無理だと。
言外にそう言ったカレンを睨むランサーに、アーチャーが向き直る。
「……なんだってんだ、一体どんな策が……」
「君を私に罵らせてくれ」
「―――――は?」
まったくもって「は?」だった。いやおまえ。いきなりなんだっていうかなんなんだその発言。
そう言いたげなランサーに苦渋の決断なのだという声音と表情でアーチャーがつぶやく。
「君は私に罵られ幸福を失い、私は君を罵ることで幸福を失う。これで……イーブンだ」
「いやそれイーブンか!?」
「まあ、面白い」
「喰いついたしよ!」
面白いとか個人の意見丸出しだし!
その場の展開についていけないランサーの前でカレンはうっとりと微笑み、拳を握るアーチャーにこんな言葉を……。


「そういうことなら協力しましょうアーチャー。わたし、それなりにそういった類の語彙はありますから」


いや知ってるよ、とランサーがつぶやいたかはどうだか。
かくして決戦は始まったのだった。


「……はあ……」
興奮冷めやらぬといった様でため息をついたのはカレンだった。白い頬を薄紅色に染め、頬に手を当ててうっとりと余韻に浸っている。荒い息をつくアーチャーにかける声は極甘蜂蜜のように甘い。
「素晴らしいですアーチャー、あなたの飲み込みの速さ、そして容赦のなさ。どんどんと下がっていく幸福値は見事とのひとこととしか言いようがありません」
「ああ……そうかね……」
「わたし、大変満足しました。ですので今回はこれで失礼させていただきますね」
よいしょ、と庭から出て行こうとするカレンだったが誰も止めはしない。
「それでは……“また”」
物騒な言葉を残して、災厄―――――カレン・オルテンシアは退散した。
アーチャーはずっと握っていた拳をいっそう強く握りしめ、がっくりと膝をついたランサーに向かって声をかける。
「……すまない、ランサー……」
言い訳はしない、ただ、すまない。
後悔に押しつぶされそうになるアーチャーに、ランサーが答える。
「……いや」
そう言って顔を上げたランサーの瞳に、アーチャーは信じられないものを見た。
「…………ランサー、君…………」
赤い瞳に宿る、危険な輝き。
それがどんなものだったかは、またの機会にということで。



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