「ただいま」
「ただいま」
高低そろった帰宅を告げる声。ビニール袋をどさりと置いて、桜は後ろのアーチャーに向かい微笑みかけた。
「たくさん持たせちゃってすみません。ありがとうございます」
「いや、当然のことだ。それよりも桜、君の方こそずいぶんと重たかったのではないかね?」
「いいえ、大丈夫です。わたし結構力持ちなんですよ?」
えへんと胸を張る桜にアーチャーも微笑する。その場にふわりとした空気が下りてきた、そのときだ。
「サクラ、アーチャー! 戻りましたか」
そっと足音を忍ばせてやってきたのはライダー。何故か焦ったような顔をして居間の方をきょろきょろと見ながら小声でおかえりなさいの代わりの言葉をささやく。
そのまるで聖杯戦争中のような警戒態勢に、桜とアーチャーはそろって顔を見合わせた。…………、と沈黙が場を支配し、しばらくしてから桜が怪訝そうにライダーにたずねる。
「どうしたのライダー? 何かあったの?」
普通のボリュームの問いかけに、ライダーはびくんと肩を揺らし唇の前に指を一本立てた。お静かにとでも言うかのように。
「悪いことは言いません。アーチャー、今すぐどこか遠く、そう、遠くへ行ってください。ここは危険です」
相変わらずのささやき声。なんだか、隠密?
「ライダー、とにかく落ちつきたまえ。まずは事情を……」
「ああ、そんな悠長なことを言っていては間に合わないのです、ですから早く」
両手を組んで神に祈るようにささやいていたライダーの背後に無造作にぬっと人影が現われた。その気配を感じたのか、ライダーが顔を強張らせる。間に合わなかった、そんな言葉が彼女の口から小さく漏れた。
「よお、アーチャー、嬢ちゃん。帰ったか」
のんびりとした調子で声をかけてきたのはランサーで、白いシャツに下は黒の革パンといういつもの格好をしている。
「あ、ランサーさん」
「今戻った」
桜とアーチャーが返事を返すと、ランサーはまあ上がれよ、と顎をしゃくってうながした。
「そんなところでいつまでも立ち話してるのもなんだろ?」
ライダーは眉を寄せて振り返らない。桜とアーチャーがランサーに応えて靴を脱ぎ、室内に上がる最中も、居間に向かうときも、彼女はずっと振り返らなかった。
「おかえりなさい、サクラ、アーチャー」
居間にはセイバーの姿もあった。湯呑みを持って背筋をぴんと伸ばして正座している。それを見た桜は、「あ、じゃあわたし、ちょっと台所でしまうものをしまってきちゃいますね」と言って野菜や魚が入ったビニール袋を両手に持つ。
「では私も手伝おう」
立ち上がろうとしたアーチャーはふと自らの手元に視線を落とす。ランサーが覆うように手の上に手を乗せていた。
「ランサー?」
問いかけて、その真顔に怪訝な顔をする。一体なんだろう、そう思う間もなくランサーはさらりと言葉を吐きだした。


「“にゃー”って言ってみてくれ」


「……は?」
「一度でいい。言ってみてくれや」
桜はビニール袋を持ったままなんともいえない表情で動きを止めている。セイバーは何事も起きていないというかのような平静っぷり。
「……に?」
「だから、“にゃー”」
ちっくたっくちっくたっくちっくたっくちっく、
「……に、にゃー」
言っちゃった!
そんな顔で口元を押さえている桜。目はまんまるに見開かれている。セイバーの態度は変わらない。
「……よし」
何かを得た、という表情で握りこぶしをぐっと握ったランサーは、アーチャーを脇に抱えそれじゃ、と少女たちふたりに向かい挨拶する。
アーチャーはなにがなんだかわからない、という顔でランサーにぷらりと抱えられたままだ。
「え、あの、ちょっと、ランサーさん?」
桜がおずおずと言いかけたところに、ライダーがやってきた。すごいスピードで、背後に士郎と凛を引き連れて。
「ランサー! 馬鹿な真似はやめなさい!」
ライダーが声を張る。背後のふたりはきょとんとした表情だ。それはそうだろう、だって、居間に入って一番最初に目に飛びこんできた光景がアーチャーを小脇に抱えたランサーなんてものなんだから。
「馬鹿な真似じゃねえよ。オレは確信した。あいつらが出来るんだからオレにだって出来るはずだ」
「変な確信をしないでください! あれは特殊な例です、そもそもですね―――――」
「あの、ライダー」
続けて声を張ろうとしたライダーに、背後から士郎が申し訳なさそうに口を出す。
振り返ったライダーのその長身と気迫に少々圧されながらも彼は、正当である疑問を口にする。
「よかったら、理由を話してもらいたい、んだけどさ……駄目、かな」
ちっくたっくちっくたっくちっくたっくちっく、
「は、話をすると長くなるのですが、」
「あ……ごめん、別に困らせるつもりじゃなかったんだ」
気まずい雰囲気になったふたりの間に、さっさと割って入るのは遠坂凛。
「ランサー、あんた何してるの? 長話はいらないわ、要点だけ言ってちょうだい」
姉さん、男前です。
少し赤くなる桜。それはともかくとして。
「嬢ちゃん、今までこいつの面倒を見てくれてありがとうな。だが、今日からオレがその役目を受け継ぐから安心して子離れしてくれ」
「……は?」
図らずとも先程のアーチャーと同じ反応をしてしまう凛。その言葉に抱えられたまま呆然としていたアーチャーが口を開いた。
「ランサー、君は何を言っているのかね? 私が凛に面倒を見られているのではない、凛が私に面倒を見られているのだ」
「アーチャーあんたは黙ってて。……ランサー、頭大丈夫?」
士郎とライダー。
凛とランサー。
噛みあわない組み合わせ、そこに口を出したのは、
「凛。説明は、わたしがしましょう」
茶菓子を食べ終え、緑茶を飲んで一息ついた黄金の騎士王だった。
その威厳に静まりかえる居間に、ことんと湯呑みを置く音がやけに大きく響く。すうと息を吸いこんで、セイバーは言った。
「わたしたちはテレビを見ていました」


そこから始まる騎士王の回想。部屋にはサーヴァントが三騎、セイバー、ランサー、ライダー。
ライダーは本を読み、セイバーが茶菓子を頬張る中、ランサーは頬杖をついてテレビのチャンネルをパチパチと変えていた。
面白い番組が見当たらないという顔でチャンネルを変えていくランサー、茶菓子を頬張りながらそれを横目で見るセイバー。
スライドショーのように切り替わる場面で、ふと、ランサーの指が止まった。
それは動物番組。大型犬が子猫をその大きな舌で舐め、毛並みを整えてやっている。どうやら親を失った子猫を大型犬が保護したらしい。
流れるテロップは“種族を越えた愛情、犬と猫の親子”。
ランサーがぽつりと言った。


オレとアーチャーみてえだ。


居間は耳が痛いほどの沈黙で満たされている。
「……というわけなのです」
語り終えたセイバーは、顔色ひとつ変えず周りを見渡す。
ライダーの視線は床に。それ以外は一斉にランサーに集まる。
それをすべて受け止め、おおらかに微笑んだランサーはよっとアーチャーを抱えなおし、
「それじゃあな、嬢ちゃん」
「ちょっと待ちなさいよこの大ボケすっとんサーヴァント」
「なんだ、やっぱりアーチャーが恋しいか?」
「恋しいとかそういう問題じゃなくてアーチャーはわたしのアーチャーなのよ、ってそんな話がしたいんじゃないわ! いいからおとなしくアーチャーを離しなさい、駄犬!」
「ああオレは犬だ……クランの猛犬さ。そしてこいつは」
ランサーは抱えたアーチャーに愛しげな視線を向ける。
「親からはぐれた猫だ」
やばいまずい馬鹿がいる。
士郎は思った。口にはしなかったが。
もう止まりませんねこの最速のサーヴァントは。
ライダーは思った。心の内にとどめておいたが。
桜はおろおろしている。
「わたしの! アーチャーだって! 言ってるでしょうが! あんたに面倒見てもらう必要なんてないのよ、いい? ……十数える内に離さないなら……」
「遠坂! ちょっと待て! ここでもめごとを起こすのはやめてくれ、頼むから!」
「関係ないのは黙ってて!」
あの。
俺、家主なんですが。
一喝された士郎はしおしおと引き下がる。
状況がよく飲みこめていないアーチャーの頭をぐりぐりと撫でながら、ランサーは挑戦的な笑みを浮かべてつぶやく。
「なんだ嬢ちゃん、やる気か? 最初に言っておくが、今のオレはかなり強いぜ?」
「ええやる気ですとも、わたしも言わせてもらうけど、負ける気がしないわ……!」
赤と青の闘気が迸る。
桜はもっとおろおろしている。
そこに、清浄なる声が響き渡った。
「凛、ランサー、わたしの話を聞いてください」
凛々しく顔を上げた騎士王。口の端に菓子のくずがついているのはご愛嬌。
険しい顔をしたふたりに見つめられても微動だにしないその威厳に、天の助けかと士郎、ライダー、桜が思ったそのとき。


「アーチャーはこう、猫というよりは獅子の仔のようだと思うのですが」
ちっくたっくちっくたっくちっくたっくちっく。
駄目だ―――――!!
「ほお、セイバー、おまえもこいつが欲しいのか」
「セイバー、まさかそんなこと言わないわよね」
「獅子の仔は……愛らしいです」
いつのまにか武装をまとったセイバーが言い、最後の茶をすする。
こうしてここに、うちのコ(アーチャー)争奪戦in衛宮邸が幕を開けたのだった。



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