―――――仕方ない。元々、こういうことは不得手なのだ。
だから私が悪いわけではない。悪いのはこの男だ。……と。内心で毒を吐いてみても現状が変わるわけではない。
いつものように顎を掴まれて、ゆっくりと唇を寄せられる。この男はらしくなく、直球で唇に触れてくることはしない。まず、口端に唇を置く。そうして、音を立てて吸うのだ。
その音を聞くと背筋がぞくぞくする。やめてほしい。いろいろな意味でそう思う。けれど伸ばしかけた腕は力を失って、だらり、と膝の上に垂れ下がる。
それから、舌が伸びてくる。驚くほどそれは熱い。思わず身を引きそうになってしまうほどだ。
ぬらり、と。わざとなのかそうでないのか、とりあえず耐えられないほどの淫らな動きで舌は肌を舐めまわす。褐色の肌ばかりを舐めて、薄く色づいた唇には触れてこない。なにかの遊びのつもりなのだろうか。
不得手だからわからない。
磨耗した記憶を探っても、遊びでこんなことをした覚えはなかったから。いつでも本気だったから。
相手を愛するときは、いつだって。
睨みつけてみせると男は飄々とした顔で笑って、ほしいか、とつぶやいた。この、狸め。
ほしいと言ってもほしくないと言っても与えるくせに。
だから黙ったままでいると、男はゆっくりと唇を寄せてきた。反射的にさらにきつく、睨みつける。
けれど男は臆する様子もなく、静かに、静かに唇を合わせてきた。
「―――――」
ん、と声が漏れる。塞がれた唇は罵声を放てない。唇を噛んで抵抗するといった案もなくはなかったが、その前に蕩かされていた。
「…………」
「ふ、う」
熱い。
触れた箇所からとろけていくようだ。視線が力を失っていくようで、口惜しい。嫌いではない。嫌いではない、のだけれど。
好き勝手にされるのが、嫌なだけだ。
だからぎこちなく、舌を差しこんでみた。そうすると目前の赤い瞳が面白そうな気配を漂わせる。
奔放に投げだされた舌を掬って、絡めて。たどたどしく吸ってみる。こんなくちづけは、初めてだ。
いつもされるばかりで。自分から仕掛けることなどなかったから。
「ん―――――ん、ん」
「…………」
けれどそれは失敗だとすぐにわかった。男の舌は本当に熱くて、触れた箇所からまるで腐食させるように自分を蕩かせていく。粘膜同士が絡みあうたびに、自分の武器は腐食していった。使い物にならなくなっていった。
とろとろと蕩けて、粘性のある唾液と化していく。口の中に溢れてこぷ、と、恥ずかしい音を立てた。
このまま全部溶けてしまうのではないか。そんな疑念を抱いたとき、背に腕を回されてぎゅうと抱きしめられた。
「な―――――」
「慣れねえことすんな。悪くねえが、まどろっこしくてかなわねえ」
「勝手なことを、」
言うな、と言う前にくちづけられていた。今度は直に、唇に。
表面を舌が舐める。蕩かされる、取りこまれる。
舌は熱くやわらかい。どこもかしこも硬い男の体でも、ここはやわらかいのだな、とぼんやりとそんなことを思った。
唾液を塗りたくった後で、男は本格的に唇を合わせてきた。尖らせた舌が濡れた唇を割って侵入してくる。歯列をなぞられ、上顎を辿られる。くすぐったい。
―――――と。そんな微笑ましい感覚は長くは続かなかった。
先程の攻防で半分蕩けたような舌が、つかまえられる。
「―――――ん、ふ」
本当に己の舌は溶けて短くなってしまったのか、漏れる声は舌ったらずだ。子供のようでみっともない。
だけれど本当にみっともないのは、翻弄されているという事実だ。だから自分から仕掛けようとしたのに、結果はあの有り様。
くちゅくちゅと音がする。目が、霞む。
男の舌使いは荒々しくも巧みで、息が上がる。なるほど、これでは自分の行為など児戯に等しいだろう。まどろっこしいというのも、うなずける。
呆、とくちづけを受けていると、いつのまにか溢れていた唾液が口端を伝って鎖骨に落ちる。その感触にびくり、として目を見張る。
我に返って懸命に、口の中で飽和状態になっている唾液を飲み下そうとする。だが、上手く行かない。
おかしなところに入ってしまって、かふ、と咳きこむと、苦痛と屈辱に眉根を寄せた。


唇が、離された。
男はにやりと笑うと。
「下手だな」
成りばっかりでかくてよ、と続ける。その言葉にかっとなって、こぶしを振り上げる。
だがそれはあっけなく受け止められ、再度、熱いくちづけを受けて今度こそ、すべてが、蕩けた。



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