回っていた時間は停止した。すべては終わって、始まった。
それなのに。
「…………」
「…………」
ランサーはよお、と手を上げた。つられてアーチャーも手を上げかける。と、自分のキャラではないと気づいたのかその手をそろそろと下ろした。そのしぐさがおかしくて眉を寄せて笑う。顔をしかめるかと思っていたアーチャーも、困ったように苦笑した。
ふたり、複雑に苦笑しながらも先に口を開いたのはランサーのほうだった。
「忘れ物でも取りに来たのか」
あの最後の夜。ビルの上での、軽いくちづけ。
いたずらっぽく問いかけてみせるとアーチャーは眉間に皺を刻んだ。
少し考える様子を見せて。
「ああ。―――――取立てに来た」
言うと、大股に歩いて。座るランサーに唇を寄せた。
しかしすれすれでそれを止めると、怪訝そうな顔をしているランサーの真横でそっとささやいた。
「誰もいないだろうな?」
目を丸くして。
ランサーは、噴きだした。
「安心しろよ」
触れたかったが、触れずに。
警戒心の強い猫を見るようにやさしげな視線で眺める。触れればすぐさま逃げてしまうだろうから、そんなのは嫌だったから。だって、つまらないだろう?
せっかく会えたのだから。
くっくと笑うランサーをアーチャーは不思議そうに見る。アーチャー。そう、ささやくとアーチャーはわずかに目を丸くした。
「存分に取り立ててくれよ」
「それはお願いかね? それとも?」
「お好きなように」
言って、ランサーは手を広げる。アーチャーは今度は半眼でじっとそれを見た。ランサーはまた噴きだす。
「なんだね、その態度は」
不満そうに言うから、こいつわかっていないのかと腹を抱えてランサーは必死に笑いを堪える。は、と吐息とも嘲笑ともつかないものを漏らし、赤い瞳で鋼色の瞳を見上げる。
耐えきれなくなってにい、と笑って、おまえ、と笑いだす寸前の声でささやいた。
「出来るんだな。そんな顔もよ」
「……?」
ますます眉間に皺を刻んでいつもの表情になったアーチャーは、そんな顔?と繰り返した。そうだ、そんな顔だよ。ランサーも繰り返す。
「たとえばそれは、先日君が言ったような顔かね」
ごく自然に言ったアーチャーの言葉に、ランサーは思わず噴きだした。先刻とは違う理由で。
「おっ……まえ、なあ!」
「冗談だ」
「冗談だとしても、底意地悪すぎるだろ……!」
「相手の意思も関係なく突然襲いかかってきた性悪な君よりはましだと思うが」
「…………ッ」
「けれど」
不意打ちだった。
アーチャーは微笑むと、ランサーの唇に己のそれを重ねた。
離れていく唇にぽかん、とした顔をしたランサーに笑いかけてみせると、アーチャーはその笑いをすりかえる。得意げな、嫌味な笑いに。
「けれど、私はそんな君が嫌いではなくなったよ」
ランサーは真面目な顔になる。嫌いだったのか、まあ、そうだろうなとひとりごちて、そしてたずねた。
「いまはどうだ」
間もなく、アーチャーは答えた。今度は、少年のように笑んで。
「―――――わざわざ取立てに来る程度には嫌いではない、とだけ言っておこうか」


ランサーはまたもぽかん、とした顔をした。そして笑み崩れる。
ずるいやつ、と楽しそうにつぶやいて、褐色の頬に向かって手を伸ばした。アーチャーは逃げない。指先が触れる。アーチャーは、逃げない。
てのひらで頬を包みこむようにして触れると、そのてのひらもそのままにアーチャーが顔を寄せてくる。
夜のざわめきは、もう訪れない。
昼の喧騒の中で、ふたりは静かにくちづけをかわした。
舌も絡めず唇も食まず、穏やかに触れあうだけの静かなくちづけを、長く。



back.