台所。
紫煙に顔をしかめながら、アーチャーは器用に野菜の皮を剥いている。くるくるするすると手と野菜を回して長いリボンのようなものを延々と作っていく。そのあいだもランサーは床に横着そうに座りこんで煙草を吸っていた。
「暇なら手伝わないか。それか、出ていってくれたまえ。煙が鬱陶しくてかなわん」
「あー……? どっちもお断りだ」
「何故」
「面倒くせえ。それに、寂しい」
アーチャーは眉間の皺を深くした。ランサーはフィルターをがじがじと噛んでいる。まったく相手の様子などかまわない、といった風だ。寂しい?と問われれば素直におう、と返す。
「さて、君はそんなにか弱かったかな」
「か弱いぜ。寂しいと死んじまうんだ」
「初耳だ」
「初めて言ったからな。内緒だぜ?」
「―――――誰に言えと」
「坊主とか嬢ちゃんたちとかだよ」
水滴が落ちた。
蛇口の栓を閉めなおすと、アーチャーは肩をすくめる。このまま首根っこを掴んで放りだしてしまおうか。それとも、少しばかり戯れに付き合おうか。などと仕方のないことを考える。ランサーはまだフィルターを噛んでいる。不意に、その唇と舌の味を思いだした。
味蕾が人以上に発達しているせいか、それとも別の理由かわからないが、アーチャーはよくその味を覚えていた。苦味と甘味が強かったように思う。
包丁を置く。
くだらない。
「出ていくか、その不快なものをやめるかしたまえ。そうすれば見逃してやろう」
「怖ええなあ。どっちも寂しいから嫌だって言ったじゃねえか」
「そんな態度で寂しいと言われても信じられんな」
「ひでえの」
笑っている。なにがおかしいのか。くつくつ体を揺らして、それでも煙草を口から離さない。
エプロンで軽く手を拭く。作業は一段落していた。そもそも時間をたっぷりと取って始めた作業である。まだ時間は昼すぎで、これは夕飯の仕込みだ。メニューは豪華で人数は多かったがなに、アーチャーの手腕ならすぐに片付くだろう。
それよりも駄犬の始末だとアーチャーはランサーの隣にしゃがみこんだ。
「ランサー」
煙が目に入って、目を細める。ランサーはそれに嬉しそうに声を上げて笑った。
「わざわざ不味いものを口にして楽しいか?」
「別にこの味が気に入ってるとか、そういうわけじゃねえ。ただ口寂しいんだよ。わかんねえかな、言っただろ」
「わからん」
「おまえ、そういうのねえの。なんとなくこう……物悲しいっつうかよ。無性になにか食んでたくなるっていうかよ。まあ、そんなわけだ」
「わからないな」
首を振ると、堪えられなくなったようにランサーは噴きだした。さびしいなあ、とまた口に出す。なあ、さびしいんだよアーチャー。
その白い指先が軽く無残な音を立てて煙草の先端に点った火を押しつぶす。焦げる匂いがしたが、どちらもなんの反応もしなかった。


「口よこせ。吸わせろ」
唐突に言われてアーチャーは身を引けなかった。顎を下から指先でなぞられて、そのままがっちりととらえられる。唇を合わせられて、ああ、やはりさっきの覚えは正しかったのだ、と思った。ランサーの唇は煙草の味で苦く、けれど甘かった。
一度軽く合わせたあとは、表面をべろりと舌で舐められる。潤すようにか遊ぶようにか判別がつかない。ただ、しつこい。
それだけで唾液がこぼれて口端を伝う。くすぐったさにアーチャーは片目を閉じた。
さんざんそうして満足したのかランサーはようやくまともにくちづけを始めた。上唇と下唇のあいだに舌を入れてこじ開けると今度は、上顎の粘膜を弄びはじめる。またもやくすぐったい。
「ん、」
抗議するようにアーチャーは声を上げて身を捩ろうとしたが、いつのまにか顎を押さえていたはずの手は離れて、両腕をつかまえられていた。感覚を逃すことすら上手く行かなくて抗う。舌先を尖らせてランサーは上顎ばかりをくすぐる。アーチャーはとうとう両目をぎゅっと閉じてしまった。
逃せない。
くるりと反転するように舌先が矛先を変えて今度は舌を直に狙ってきた。今度こそ逃れようと奥へと引いた舌はやすやすと掬われて柔い粘膜同士がぬるぬると触れ合う。苦くて、甘い。慌ててアーチャーは目を開けた。感覚が鋭敏になりすぎて耐えられない、と、赤い瞳と視線が真っ向から合ってしまいそれはそれで戸惑う。
じっと逸らさずに見つめてくる瞳からどうにか逃げようとしても蕩けてきてしまった瞳ではどうにもならない。必死に下を見てどうにかしようとするがどうにもならない。赤い瞳に縛られていた。
濡れた音とちゅう、ちゅ、というやけにかわいらしい音が重なり合うとなんだかとても卑猥だ。体に力が入らなくなる。
とうとう抵抗をやめた舌を、引っぱり出されてきて吸われた。
口の中も、外も、すでに唾液まみれだ。つかまっているので拭うことも出来ずに多少気持ち悪い。だがそんなことよりも、吸われる舌の方が問題だった。
ランサーは吸うあいだにも軽く噛んできたり、表面を舐めたりして遊ぶ。いや、遊ぶにしては真面目すぎただろうか。まるでなにか探索するかのようにランサーはアーチャーの舌を翻弄した。
もうどこにもランサーの触れていないところなどないほどに口内を侵される。溢れ出るようにこぼれた唾液が口端を伝った。
「…………だらしねえ顔」
舌なめずりをしてから、その唾液を指先で拭う。焦げつきざらついた感覚にアーチャーは軽く覚醒した。と、すぐさまその指を口に含まされてまた一段階覚醒する。だというのに反射的にその指を吸ってしまった。
火で焼かれた指先はまだ熱を持っていて、いや、それはまた別の熱だったろうか、いや、そんなことはいいのだ。どうでも。
アーチャーは懸命に指を吸った。口寂しいというランサーの言葉の意味がよくわかった。先程までランサーに満たされていた口内が急にからっぽになって、アーチャーは間違いなく飢えていたのだ。
指先はごつごつとしていて、それでも細い。アーチャーは焦れる。
ランサーは言った。


「おまえ、今の自分がどれだけいやらしい顔してるかわかってるか?」


わからない。どうでもいい。
にやにやと笑うランサーの気配を全身に受けて、アーチャーは一心にその指を吸いつづけた。
そこがどこだか、このあとのことだとか、そんなことはどうでもよかった。
口寂しかった。



back.