大らかな男。


それが、ランサーについてのアーチャーの評価だった。
いい意味でも悪い意味でも大らか。広量、もしくは大雑把。言い様を変えるだけで随分と印象が異なるものである。見るものが見れば。そういう、ことだろうか?好意を持つか悪意を持つか。つまりはそういうことなのだろう。
たとえば例を出すと、ランサーは先日、わりかしに取り返しのつかないような失敗を働いた少女をあっけなくゆるしてしまった。
無論ランサーの“女好き”の片鱗が姿を現したのではないとも言いきれない。心に決まったひとがいるというのに(その決まったひと、であるアーチャーはそれについて文句を言うつもりはない。とりあえず)花を見つけると愛でなければ気が済まないようで。
おそらくそれが、女性に対する彼自身の礼儀のようなものなのだろう。はた迷惑ではあるが。
さて―――――その行為を心が広いと見るか?心が定まらないと見るか?
それは、見る者の自由である。
「どうしたよ」
机に頬杖をついて、新聞を眺めていたランサーを見ていたアーチャーは、そう問われてまばたきをする。少し考えるように黙り、そして口を開いて答えた。
「いや。君はなんというか。欲深くないな―――――と。そう、思ったもので」
「はあ?」
わけがわからない、といった顔をランサーはした。それはそうだろう。欲深くないなと思ったので顔を見ていました。それは他人の顔を凝視する理由としては結構な理解不能のそれである。
そんな意味不明のせりふが発端となって、ランサーとアーチャーの会話が始まった。
「オレが欲深くねえって。なにを根拠にそんなこと言うんだよおまえは」
「いや……そうだろう?」
「馬鹿言うんじゃねえよ、オレだっていっぱしに欲くらい持ってる」
あれがしたいこれがしたい。むしろ欲まみれだ、と指折り数えてランサーは主張した。
「煙草が吸いてえ。ちょっとしたメシだって食いてえ。趣味の雑誌も買いてえし、ああ釣りの道具だっているな。だから日銭稼ぐために日々労働してんだよ。……ま、趣味と実益を兼ねてねえとも言いきれねえが」
趣味の雑誌とは。
ちょっとそこのところを問い詰めたくなったアーチャーだったが話が横にずれるのでそれについては黙っていた。代わりに、他の言葉を口にする。
「そんなものは誰にでもある欲だ。セイバーや桜、ライダー…………そうだ、凛を見てみろ。彼女はすごいぞ。具体的に言うと消される危険性があるので口には出来んが」
「おいおい恐ろしいなおまえの嬢ちゃんは。ってそもそもなんでそんな話になった。ん? 言ってみろ」
新聞をばさりと畳んで横に置き、ランサーが身を乗りだした。赤い瞳が「さあ言ってみろ」とアーチャーに迫る。アーチャーは、またも少し考えるように黙り……そして口にした。
「拘束欲」
「あん?」
ランサーが怪訝そうに顔を歪める。アーチャーは淡々と続ける。
「君は私を好いているのだろう」
ランサーが突然噴きだした。と、いってもその顔に特に動揺だの羞恥だのといった様子はなく、ただ純粋に驚いた結果らしい。ごほごほと何度か咳きこみ、ああびっくりしたと言いたげに目を丸くして、おまえなんてこと言いだすんだとアーチャーへ告げた。
「おまえそういう直球放つ性格だったか。オレの認識が誤ってたか―――――まだまだだな、ってオイ」
なに言わせんだ、とツッコミ。それを華麗にスルーして、アーチャーはなおも言い募る。
「好いていないのか?」
「いや好いてるぜ」
めろめろにな。
砂どころかあのカレン・オルテンシアでさえ一撃死させられるのではないかというくらい糖度の高い砂糖を吐けるようなせりふを吐いて、ランサーはけろりとした顔をしている。
「ならば、何故拘束しない。そんなにも好いているというのなら、無茶な手段を取って私の意見などまるっきり無視してでも縛りつけるものだろう。違うか」
「……おまえ、一体どういう奴と付き合ってきた。それがおまえの恋や愛だのに対する基本的姿勢か。なんだかそう躾けた奴に腹立ってきたな」
さすがに不機嫌そうにそう言うとランサーは後頭部をぼりぼりと掻いた。そうして―――――片眉を器用に上げ、真面目さの滲んだ声でアーチャーの目を見据える。
「そうされてえのか、おまえ」
それは、わずかに殺気さえ含んだ声だった。
昼下がりにはおおよそふさわしくない。想いを交わした相手のあいだで交わされるにしてもふさわしくない、声だった。
「意思も体もがんじがらめにされて、それで満足か。そう聞いてる」
「そういうわけではないが……」
「ないが?」
「君が、その。“無茶な拘束”が好きなものと―――――聞いたので」
今回は完全に動揺した様子で、ランサーが噴きだした。今度はなかなか治まらない。何度も何度も肺を患った病人のように咳きこみ続ける。見た目重症である。
「お、まえなあ」
ようやく呼吸を整えて、それでもわずかに上擦った声で……赤い瞳をわずかに潤ませ、ランサーがつぶやいた。先程までの彼愛用の魔槍の鋭さはすっかりからっと消え失せて、どことなく気の抜けた様子でもある。
「どこでそんなこと聞いてきやがった」
「悪いがそれは言えない」
「言えよ!」
「言えない」
言えば君、相手を殺すだろう。
物騒極まりない質問をアーチャーが発すれば、おうよ、と大真面目にまたこれも物騒極まりない答えをランサーは返した。
「地の果てまで追いかけて百万回ぶっ殺してやらあ。……いや、それじゃ足りねえ。来世の分まで殺し尽くして、おまけに子々孫々七代過ぎても祟ってやる」
……どうやら、ランサーにとって例の無茶な拘束云々といった趣味嗜好発言は、とっておきの地雷だったらしい。それが真実だからか、それともまったくの虚偽だからなのか。アーチャーにとっては知る手段も何もないのだけど。
「……それで」
まだも瞳に殺気を滲ませながら、それでも懸命に声を押さえてランサーが問いかける。
「一体全体どうして拘束だのなんだのとそういう話になった。誰かに吹きこまれたか、それともおまえ自身なにか不満があるのか、アーチャー」
声を低めたその問いかけに、わずかに下を向き、アーチャーはやや舌を湿らせ……ゆっくりと答える。
「君は大らかな人間だ」
沈んだ声音に、ランサーがぴくりと反応した。それを知りながらあえて無視をして、アーチャーは流れ作業のように理由をランサーへと告げていく。
「細かいことには拘らない。欲が深くない。私は私なりに君を見てきた。そして、これまでの付き合いで自分なりに君のことを理解したつもりでいる」
アーチャーの声は沈んだままだ。鋼色の瞳も心なしか色をくすませ、輝きを失っている。
「君は私を好いていると言った。愛していると言った。そうして、心だけでなく体の関係をも私たちは持った。それなのに君は私を縛らない。私を自由にし、私の好きにさせている」
どんどんと沈んでいくアーチャーの声。ランサーは黙り―――――怒ったように、問うた。
「拘束が愛情だのそういうくだらねえものの発露だって言いてえのか、おまえは」
「おそらくは。……君が私を好いていると言ったのはきちんと理解しているつもりだよ。信じてもいる。それを君が信じるかどうかは、わからないが。君が他の相手に好意を表すのにも不満はない。だけれど、不安になる。時々思うのだよ。君は大らかで欲深くない人間だ。だがしかしそうではなくて……実は、私は君にとって取るに足らないささいな存在なのではないかと。そんなことを考える自分に自分でうんざりするよ。だがなランサー、私は時折そう思ってしまう。囚われてしまう。君の言うことを信じられなくなって、だから縛りつけられたいと思うのだろう。大らかな君を愛しているのに、狭量な男になってほしいと願ってしまう。ただ私を見て、自分勝手に縛りつけ欲のままに弄ぶような男に」
そこでアーチャーの言葉は途切れた。
アーチャー自身が途切れさせたのではなくて、ランサーがそうしたのだ。
ぱん!と派手な音を鳴らし、両頬を両側から白いてのひらで挟むような……というか、叩きつけるような方法で押さえつけたランサーは先程よりも深く濃い殺気を滲ませ、目を見開いたアーチャーを正面から睨みつける。
「ふざけんなよ」
その声は、地獄の番犬のようだった。
「人を馬鹿にすんのもいい加減にしろてめえ。なにが欲のままにだ。オレが本当に心から好いた相手をそうして悦に入るような、下衆な男に見えんのか」
てめえの愛した男はそんなもんか。
そうつぶやいて、ランサーはぎり、と奥歯を鳴らす。
「大らかだ? 欲深くない? は、勝手なこと抜かしてんじゃねえ。てめえ一体何様だ。どこまでオレのこと知ってるってんだ。……オレが―――――いま、どんな思いでいると思ってる」
「ラン、サ」
「自虐もいい加減にしろてめえ!!」
割れるような大声で怒鳴りつけられて、アーチャーの鋼色の瞳が、大きく見開かれた。
「……どれだけオレがおまえを好いてると思ってんだ。どれだけオレがおまえのことを愛してると思ってる。どれだけオレが、おまえに幸せになってほしいと思ってるかわかってんのか」
「…………」
「わかってねえ。おまえ、全然オレのことわかってねえじゃねえかよ。心つなげた体つなげたって。それがどうした。オレだって男だ。好きなやつ抱けりゃそりゃうれしいに決まってる。だがな、それだって相手がオレのことかけらも信じてねえってことになりゃ、帳消しどころかどん底まで落ちんだよ。いまがそうだ。理解してる信じてるっておまえ、全然言ってることとやってることが一致してねえじゃねえか」
アーチャーは何も言えなかった。ランサーの表情が声が怒りではなく、悲痛な様を帯びていたからだ。
彼のそんな顔は、見たことがなかったから。
「全然、大らかなんかじゃねえよ、オレは」
ひとことひとこと区切るように、自身に、アーチャーに言い聞かせるように、ランサーは告げた。
「暇さえできりゃ始終おまえのことばっかり考えてる。それでどうおまえが笑えるか、幸せになれるか考えてる。口や頭ん中じゃあ、嬢ちゃんや坊主たちに幸せにしてもらえりゃいいと思ってるが、本当は他のやつなんかに譲りたくねえって心ん中で考えてるよ。おまえをそうさせられるのはオレだけだって、口に出さねえけどずっと思ってる」
欲まみれだ。
ランサーはつぶやいた。
「全然、おまえの思ってるような男じゃねえよ」


しん、と沈黙が落ちた。アーチャーは口をつぐんでいた。何も言えなかった。
口を開けば、みっともなく喚きだしてしまいそうだった。自分の愚かしさと、浅ましさと、恥ずかしさに。
それと―――――ランサーへの、愛しさに。
ランサーも口をつぐんでいた。ただ体だけは動かし、机を乗り越え身を乗りだすと、アーチャーの体へと体温を移すようにするりと腕を伸ばす。そうして、体を抱き寄せた。
「幻滅したか」
耳元で苦くささやく声。アーチャーは、ようやく首だけをおそるおそる左右に振った。
「その……だな。そういうわけだ。だからその……」
耳元で響いていた声が遠のく。アーチャーの耳朶を食むような体勢から肩口に顔を埋めるように体をずらし、ランサーは小さく、
「オレを過大評価すんじゃねえ。あと、自分を過小評価すんな。あと……愛してる。それだけ覚えとけ」
オレだってただの男だ。
困り果てたようにそう言ったランサーは、アーチャーがうなずいたのを感じ取ると、よし、と言ってアーチャーをよりいっそう強く抱き寄せた。


「みっともねえことやらすんじゃねえよ、馬鹿野郎」


大らかな男。
それが、ランサーについてのアーチャーの評価だった。ただし、“かつて”の。
評価が“かつて”と過去のものとなってからもランサーの行動は変わらない。相変わらず女性に声はかけるし、日銭を稼ぐためバイトに出かけるし、そこでとんでもない失敗をやらかしてしまった相手をあっけなくゆるしてしまったりする。
だが、アーチャーはそれについて何も言わない。ただ理解して認識している。それはかつてのままだ。
変わったのは、アーチャーの心中。
言い様を変えるだけで随分と印象が異なるものである。見るものが見れば。
それと同じく、見方を変えるだけで随分と印象が異なるものなのだ。“解かった”ものが。見るものが、見れば。
今日も目の前でランサーは新聞を読んでいる。アーチャーは黙ってそれを見ている。互いに干渉することは特にない。けれど。
「―――――」
ふと、視線が合って時間が止まる。ふたりはしばらく見つめあい、そうして自然と口元を吊り上げ、笑った。
「ちょっくら金ぴかのやつから鎖でも借りてきて、がんじがらめにしてオレの傍から離れられないようにしてやろうか」
「やってみるがいい。する度胸があるのなら」
ランサーはその言葉に目を丸くすると、一瞬後に子供のように顔をくしゃりとゆがめ笑い、新聞を横へと放り投げた。そうして雑な口調で、
「そんなことしなくてもおまえはオレのもんだ。わざわざめんどくせえこと誰がするかよ。ばーか」
そう、余裕に満ちた声で、言い放ってのけたのだった。



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