弓兵の朝は早い。
日が昇る前に起き、着替えをして桜からもらった鉢植えに水をやる。大切に、して下さいね。そう言って優しい丸味を帯びた頬を桜色に染めた彼女は綺麗だった。たとえその背後からにょろにょろと黒い何かが出ていたとしても。
姉には任せられないということだろうか。それは弓兵も同感だが……。
さてそれはさておき、だ。鉢植えの世話を終えたら朝食の準備をする。弓兵のマスターは朝に弱い。以前はめったに朝食など取らなかったのだが、彼が準備をするようになってからは渋々席につくようになった。最初はひとくち、次は半分、最近はほとんどを平らげた上に食後のデザートまで要求する始末だ。
『だって、美味しいものを食べた後は甘いものが欲しくなるじゃないの』
当然のように言われて、用意してしまう自分は甘いと思う。体重を気にするマスターに用意する糖度控えめフルーツムースよりも甘い。
『やだ、単なるヨーグルトとかじゃないの!?』
ほら、フルーツソースとかのかかった。驚くマスターに弓兵はさらりと答える。
『何を言う、凛。私がそんな手抜きをすると思うかね?』
『そうね。……そういう奴だったわ、あんた』
最高のサーヴァントを引き当てたわ。ある意味で。
ある意味というのが気にかかったが、弓兵はそれをさらりと流す。そして、マスターを鏡台の前へと導いた。初めは照れていた彼女だったが今ではもう慣れたものだ。椅子に腰をかけるとお願いねアーチャー、などと言って目を閉じる。
まるでその様がブラッシングを待つ子猫のようで微笑ましく、つい皮肉さを忘れて笑ってしまう弓兵だった。


「ねえ、アーチャー」
「なんだね? マスター」
「あなた、いくらサーヴァントだからって食事も何も摂らないの? セイバーは魔力補給だとか言って死ぬほど食べるみたいよ? 衛宮くん今月の家計がって嘆いてたわ」
「必要ない。……実際にはだな、眠る必要もないのだよ、凛。しかし君が最低限睡眠くらいは取れというから……」
「当たり前じゃないの。寝ずの番も必要だとは思うわよ? だけどね、それじゃわたしが落ち着かないの。いい? 夜は寝るものよ。了解? アーチャー」
「だがな、凛」
「りょ・う・か・い? わ・た・し・の、アーチャー」
「……了解した」
だからこそのこの私服(パジャマ)なのだろう。納得した。否、納得はしないが納得せざるを得ない。
「よし、終わったぞ、凛」
「ありがと。……ねえアーチャー?」
「なんだね―――――ッ!?」
くるり、と視界が回転する。何を!?そう言う間もなく弓兵は先程まで彼のマスターが座っていた椅子に座らされていた。ブラシも奪い取られ、体は強い力で押さえられている。こ、これが少女の腕力か!?まるでバーサーカーではないか!
「なにか言った? アーチャー」
「いや、なにも」
「じゃあかまわないわね」
かまうわ!
……なんてことは言えずに、おとなしく彼女の言葉に従った弓兵だった。
あかいあくまを怒らせるな。
彼女は時にあくまなんかよりも恐ろしい。
「やだ、そんなに怯えないでよ。いつものお礼よ」
「いや、別にそんなに気を使ってもらうわけにはだな、」
「アーチャー?」
「……はい」
うなだれてしまった弓兵に満足げに笑うと、彼女は鼻歌を歌いながら嬉しそうに白い髪をブラシで梳いていく。相変わらず指通り悪いわ。サロンで直売のシャンプーでも貸してあげようかしら。
なんて不吉なことを言うので内心でぶるぶると首を振った。そんな!
彼女と揃いの花の匂いで、しかも髪までさらさらになったとしたら誰に何を言われるか、むしろ何をされるか知れたものじゃない!
「あら、大丈夫よアーチャー」
「!?」
すわ、内心を読まれたかと振り返る弓兵。すっかり前髪の降りたその幼い表情を愛しそうに見て、彼女はその眉間をちょいと指先でつついた。
「わたしがいる限りそんなことさせるわけないじゃない。あの青い狗や、金ぴか慢心王や、ついでに衛宮くんにもよ」
「り、凛、衛宮士郎はだな、除外しても」
というか、万が一そんなことになったら私の手で殺させてくれ。後生だから。
「やだ、嘘に決まってるじゃない。……はい、おしまい」
ちゅっ、と可愛らしい音がして思わず弓兵は褐色の肌を赤くする。
「り、凛!」
「それじゃ学校に行ってくるわねアーチャー。夕飯の準備頼んだ!」
楽しみにしてるからね。
そう言って慌しく扉の方へと駆け出していった彼女の背中を見て、弓兵は妙な安堵感を覚えずにはいられなかった。
遠坂凛。少女のくせして、どれだけ頼りがいがある背なのだろう。
「……さて、買い物にでも行くか……」
今日は和食か洋食か中華か。
そんな所帯じみたことを考えつつ、弓兵はこれもまたマスターからプレゼントされた猫柄のエプロンを外して台所へと向かったのだった。


back.