壁に押しつけられて唇を奪われる、ふたりきりになったとたんそれか、と思わなくもなかったが抵抗はしなかった。
目を細める。初めに軽い挨拶を何度か。息継ぎのようにときおり離れて一気に潜るように、深く。当然のように舌が入ってきた。ぬる、とした感触に力が抜ける。壁を伝ってずるずると崩れ落ちた。離れることなくついてきた。髪が頬に触れる。
しばらく絡めあった舌は痺れ、重くなる。持て余して好きにさせれば好きなように弄ばれた。
軽く噛んだり、吸ったり、舐めたり。
舌の根元がくすぐられる。
「あまい」
一度唇を離してそう言う。それに痺れた舌で答える。
「紅茶にずいぶん砂糖を入れたからな」
「そうか」
不明瞭な言葉もきちんと聞き取って納得したようにどうでもいいように言う。どっちだろう。わからない。
どことなく腫れぼったく感じる唇を半開きにして見ていると、口端をなにかが伝った。ぽた、と落ちる。ああ涎だ、
濡れに濡れた口内に溜まった唾液を、飲みこむけれど上手く行かない。喉が過剰な音を立てて動く、ごくり、次の瞬間咳きこんだ。繰り返し咳きこむ。生理的な涙が滲むのがわかった。
子供だって出来ることだというのに。
情けないなと自嘲していると伸びてきた指先が口元に触れて、強くそこを拭った。含まされるかと思った指先は目の前で舐められた。
「あまい」
笑ってそう、言う。
笑ってそう言って、拭ったはしから下から上へ舌を這わせる、くすぐったい、肌の上を這い登ってくる、くすぐったくて片目を閉じる、開いていた方の目に舌が触れた。
閉じた拍子にこぼれ落ちた涙、開いていた目には残っていてそれを唇がすする。あまい、つぶやいて笑って、楽しそうに笑って、おまえどこもかしこもあまいな、そう言って笑って、濡れた目の表面を味見するように舌で舐めた。
視界が薄暗い肉の色になる。暗い赤。しばらくまばたきを封じられた。
舌先が離れていく。ようやく許されてまばたきをしているうちに、また唇を奪われた。
すでに知っているだろうに口内を這い回る舌。一体どこがどうなっているのか、いちいち確かめなくたっていいんじゃないか。習慣的に偏執的に猟奇的に繰り返しているのだからもういいはずだ。もういい、はずだろう。
音だけ聞けば幼い音がだらだら垂れ流されている。幼く淫靡な音が、合わさった唇のその奥から。熱をともなって流れだす、溶けた蝋のように。
あつい。粘膜が熱い。擦られて火照っている。上顎や下顎あらゆるくぼみまるみいたるところが。
これでは舌が性器だ。入れられて、擦られて、火照って、受け入れて、喘いで。
声にならない吐息は吸い取られてしまった。
「―――――」
体が震えている。
「―――――」
ふ、と粘膜から受ける感覚が途絶えた。ほっとして、すぐにぞっとする。
歯列をなぞる舌。硬いそれをどうしようというのだろう、ひとつひとつ、丹念に辿っていかれる。放置された粘膜は火照ったままじんと痺れていた。
そんな口内にあっていまだ硬質を保っていた歯列は執拗に探られている。上も下も、前も奥も。
溶けてしまいそうだ。
溶けてしまいそうだ。
溶けてしまいそうだ。
紅茶に沈めた砂糖のように、白い歯は輪郭を崩して揺らめきながら溶けていく、そうしてこの体も、時を同じくして一気にざあっとぶちまけられた水のように溶け落ちて、あとに残るものは何も。
何もない。


舌は辿る。体の内を。
肺の中の空気をすべて出してしまうように大きく息を吐いて目を閉じれば真っ暗になって、“私”は宙に投げだされた。



back.