「ただいま帰りましたー!」
その声にアーチャーはびくりと肩を揺らす。玄関口でよいしょと靴を脱ぐ金髪の子供。整った顔立ち、白い肌。利発そうな子供だ。
子供は両手にビニール袋を持ってにこにこ笑いながら中へと入ってくる。
「遅くなっちゃいましたか?」
「いや、そんなことはない。……まったく、な」
「よかった。あ、これ食べませんか。商店街で肉屋のおばさんにもらったんです」
あれ食べこれ食べと商店街の肉屋の女主人はアーチャーにまで勧めてくる。この子供が相手ならなおさらあげてしまいたくなるだろう。
「こっちが野菜コロッケでこっちがコーンコロッケです。どっちがいいですか?」
「…………」
「お兄さん?」
じいっと見つめてくる赤い瞳。いつのまにか至近距離に近づかれていたのに驚く。目を丸くしてがたんと体勢を崩せば、子供はますます不思議そうにアーチャーを見つめてきた。
「大丈夫ですか? どこか、具合でも悪いんですか?」
「……そんなことは、ない」
「本当ですか? 無理したり、我慢したりしたら駄目なんですからね?」
「大丈夫だ」
「それならいいんですけど。……あ、」
子供がなにか思いついたように声を上げる。それにも過敏に反応してしまうのがアーチャーだ。
どうしたと聞こうとして固まる。小さきものの笑顔はウイークポイント。
「このコロッケ、ふたりではんぶんこしましょう! ね、お兄さん!」
アーチャーは。
憔悴した様子で、ずるりと背にした壁から畳に崩れ落ちた。テレビだけがやかましく笑ってはしゃいで騒いでいる。どうしたものか。
アーチャーは、思った。
―――――どうしたものだろう。


ある朝だ。目を覚まして昨夜も夜更かししていた英雄王を叱ろうと隣を見た瞬間、アーチャーは固まった。
ちいさい。
とてもとても小さい子供が、隣の布団で寝ている。金髪の子供。
背中に汗がたらりと流れる、どこの子供だろうかと。どこから迷いこんできたのか……なんて、あるわけない。いくらこのアパートが築何十年ものだとしてもアーチャーとギルガメッシュがいれば警備は鉄壁。ねずみどころか蟻一匹だって入ってはこれない。
と、すると、だ。
ううん、と子供が声を上げる。そうしてすっきり健やかな様子で目覚めると、その赤い目を何度かまばたきさせて、アーチャーを見て、そしてにっこりと微笑んで言った。
「おはようございます、お兄さん!」
子供にたずねてみれば自分はギルガメッシュだと言う。確かに金髪、赤目とくればぴったりとくる特徴なのだが、あまりにも印象が違いすぎないだろうか。たとえば朝、いくら揺さぶっても目を覚まさない大きな英雄王に比べて、小さな英雄王は自分から目を覚ました。
寝ぼけて壁や柱に頭や顔をぶつけたりもしないし、ちゃんと顔も洗って歯みがきもする。
“おい贋作、この歯みがき粉は我は好かんと言っておるだろう! 苦いのは好かん!”
だなんてわがままも言わずにしゃかしゃかと完璧に磨きあげた。
朝食の準備をするアーチャーの傍に立って、「手伝うことはありませんか?」だとか、「あ、ボクが取ります」だとか、いろいろ気配り。何故か、それはうれしいはずなのにやけに違和感がつきまといなんだか朝から疲れてしまった。
手を合わせていただきますと言い、箸を器用に扱って焼き魚をきれいに食べるこの子供があの英雄王だとはどうしても思えないのだ。
挙句の果てに家事を手伝おうとするし。
いや、いいのだ。いいことなのだ、それは。
ただ、なんだか気味が悪いだけで。
脳内に浮かぶ健やかな笑顔の大きい英雄王。そんなビジョンがついつい小さな英雄王の善行をだいなしにする。そもそもどうして子供の姿なのか、前に自分に使った薬なのか、一体どうしてわざわざ子供になんてなったのか。
聞こうとするが、声が上手くかけられない。不審者のように挙動不審になってしまって、振り返ったギルガメッシュ(小)に輝く笑顔でなんですかお兄さんなどと言われてしまっては何も言えない。
「―――――」
はあ、とアーチャーはため息をついた。ギルガメッシュが商店街で買ってきた食材で昼食を作って、茶を淹れて一息ついたころに自然と出てしまったため息。
それを聞いたギルガメッシュはきょとんとした顔でアーチャーを見やる。
「どうしたんですか? お兄さん」
「ああ、いや、なんでも」
「なんだかすごく疲れてるって顔してます。やっぱり大人のボクが迷惑かけてるんですね」
しゅんとしおらしくなられては困るというものだ。ギルガメッシュ(大)が迷惑をかけているとはまさにその通りなのだけれど。
「ごめんなさいお兄さん」
「……君が謝ることではない」
「でも、ボクがしたことですから」
ギルガメッシュはしばらく困り顔をしていたが、手をぱちんと叩いて。
「お兄さん!」
瞳を輝かせて身を乗りだしてきたギルガメッシュに、アーチャーは自然と後ずさってしまう。きらきら輝く目が、天使のような微笑みが癒しとなるはずなのにダメージとなる。
「いつも大人のボクに振り回されて疲れてますよね。だからボクがお詫びにマッサージさせてもらいます!」
「……は?」
「上手く出来るかどうかわからないですけど、一生懸命やりますから!」
さあさあと促されていつのまにかうつぶせに畳の上。ぴょんとギルガメッシュはその上に乗り、小さな手でぐいぐいとツボを押してくる。 軽い体は羽根のように重さを感じさせず、押してくる指はくすぐったい。
それでも、一生懸命さは伝わってきた。
だからアーチャーもやめてくれとは言えずにされるがままになる。
小さな手が、体中をほぐしていく。ゆっくり、ゆっくりと―――――。
「!?」
はっ、と顔を上げる。いつのまに眠ってしまったのか、外は夕暮れ。体には毛布がかけられていて、上半身を起こして辺りを見回せば、台所にギルガメッシュの姿があった。
「英雄王―――――」
どこで見つけたのか子供用のエプロンを着たギルガメッシュは食材を手にして、にっこりと微笑む。
「おはようございます、お兄さん。これから夕飯の支度しますから、お兄さんはそのまま休んでてください」
「いや、それは……」
「お兄さん」
天使の笑顔。
その口から飛びだした言葉は、アーチャーの硝子の心にクリーンヒットした。


「寝顔、かわいかったですよ。思わずキスしたくなっちゃいました」


呆然とするアーチャー。間を置いて、ぼっと顔全体を真っ赤にする。
それを見てくすくすと声を立てて笑うと、ギルガメッシュはしませんでしたけどね、と言う。
「相手の意思がないときを狙ってそんなことするなんて、最低ですから」
ああ。
なんで。
この英雄王、子供の時の方がまともな人格をしてるんだろう……?
育つ過程に一体何があったんだ、と思いつつ、頬の熱を冷ますのに必死になるアーチャーだった。



back.