あつい。
頭の中がぐちゃぐちゃで熱くて、汗をかいた体にむしむしとした空気が暑い。面の皮が厚い英雄王は上半身裸で肩にタオルをかけて一人、涼しい顔だ。まったく病が篤い男である。
あつい。
「おい、贋作。どうした。軟弱だな」
「おまえが頑丈すぎるんだろう……!」
「ふむ、それは否定せんな。我は王である。王が軟弱であっては話にならん」
そうのたまって、手にしたペットボトルからポカリスエットをごくごくラッパ飲みする様子に心底ため息を吐く。今の会話で自分だけの声が掠れているのにまたため息を吐く。一緒に魂まで出てしまいそうだ。
いっそ魂も出てしまえば楽になれるのかもしれない。そう思いかけて、やめた。
この英雄王の前で果てるのも癪だし、もしうっかり死に損ねて無防備な体をさらしてしまったらと思うと。一気に辺りの温度が下がった気がして、自らの裸体を自らの腕で抱いてぶるっと震える。玩具だ。
完全に玩具扱いだ。今だって玩具だが、もっと、さらに玩具だ。性玩具だ!
「なにを一人芝居している」
楽しいか?と聞かれて殺したくなった。
「楽しいはずがないだろう!」
怒鳴って、咳きこんだ。喉がやられていたのを忘れていた。
「なにをやっている? 楽しいのか? 我と遊ぶよりも一人遊びするのが楽しいとは暗い男だ。解せん」
「誰が一人遊び……ッ」
「一人遊びであろう。喉を嗄らしてわざと叫んで苦しんで楽しむなどと。……理解できぬとは言わんが、おまえは変態なのか?」
「―――――ッ!!」
よし、殺そう。
殺す。マジで。早急に。即急に。速攻で。ハイハイハイハイ!
軋む体からシーツを滑り落として起き上がろうとすると、がしりと顎を掴まれた。赤い瞳がまたもじっとこちらを見つめている。
それで動きが止められてしまった。ごほ、と喉が咳きこんで、なにを、という間抜けな問いだけが唇からこぼれた。
「それでいい。そのまま口を開けていろ」
雛のごとくな。
英雄王は言い、ペットボトルをあおった。こぽんと空気の抜ける音がして、まったくの前触れもなく唇が重ねられた。
呻き、身を引こうとするが舌が入りこんできて絡まれて生ぬるい液体を流しこまれて動けない。薄甘い体液と同じ温度のそれが渇いた喉に染みこんできて、思わず目を白黒させてしまった。
「ん、んんっ、んふっ、んっ」
「全てこぼさず飲め。王の施しぞ」
「……くはっ、」
後頭部を押さえつけられて、またペットボトルをあおられ、くちづけられて流しこまれる。何故わざわざ口移しなのか。そのボトルから直に分けてくれればいいのではないか。この際間接キスなどというそんな生易しいものを恐れはしない、ただ、この蹂躙だけは……!
「―――――っふ」
もう飲めないというくらいいっぱいに飲まされたあとでようやく解放されて息をつく。水分は補給されたが濃厚すぎるくちづけに酸素は奪われ、頭はくらくらといびつに歪む。いや、くらくらなど生易しい。間接キスほど生易しい。
ぐらんぐらんだ。
指先でつつかれれば椿の花のように落ちてしまいそうなはかなさ。
濡れた口元を押さえて呆然としていると、英雄王は相変わらず平然として仰る。
「どうした? 満たされて嬉しかろう。ポカリはミネラルも塩分も補給できる万能の飲みものなのだぞ」
まるで我のようにな!
ああそうですか。
そうだとも。
へえー。
どんどん雑になっていく受け答えにもめげずに英雄王は軽々と身を起こした。小さな冷蔵庫のある台所まで大股で歩いていって、がちゃりとドアを開け中からまた何か取り出そうとしている。
「おい! 冷蔵庫のドアを開けっ放しにするな! 電気代がもったいないだろう!」
「……こういうときだけは元気になるのだな。そこは素直に讃えてやろう、贋作よ」
ドアを開けっ放しで英雄王はつぶやく。
「いいから閉めろ! いいか、冷蔵庫の中から何かを取り出そうと思うのならそれがそこにあるのかあらかじめ頭の中で確認しておくのだ! イメージを組み上げろ! 想像しろ、強く思え! そして開けるが早いか目的のものを取って、素早くドアを閉めるんだ!」
「うるさいぞ贋作。また口を塞がれたいか」
黙った。
実行される前に速やかに。
「まあ、黙っていても口を塞ぐのだが」
「横暴な!?」
「何を言うか、横暴でこそ我であり王である。やはり贋作はそこがわかっておらんな」
わかりたくありません!
内心で叫んでいるとおお、これだこれだ、などと言いつつ英雄王は青いボトルを取り出してようやくドアを閉めた。おそらくはひんやり漏れる冷気を楽しんでいたのか。もったいない。
もったいない―――――つらつらとそう思っていると、突然目前に英雄王の整った顔。
「ッ!?」
声もなくシーツを身にまとって後ずさる、が英雄王はさらにずいと顔を寄せてきた。近い!近い近い近い!
「贋作よ」
甘いささやき。
白いキャップを外し、よく冷えたそれをまずは自分が喉を鳴らしてあおる。その喉のラインと上半身の裸のラインに、つい見とれてしまって顔が真っ赤になるのがわかった。違う、見とれてない、見とれてなんかいない、見とれてなんかいない……!
「美しかろう? 存分に見惚れよ。我が許そう」
「人のモノローグを勝手に読まないでくれたまえ!」
「わかりやすいのだおまえは。複雑怪奇かと思えば金太郎飴のようにどこを切っても同じ反応とはつまらんぞ。いや、それがまた面白いのだがな」
「金太郎飴!?」
「このまえ商店街の雑種に献上された。なかなか面白いものよな、庶民の考えるものとは」
「なに馴染んでるんだ、英雄王!」
そういえばこのまえも買ってやった覚えのない大判焼きやコロッケを持って歩いていたっけ。
いつのまにか自分の聖地である商店街にまで、この英雄王が侵食してきているというのか……!まさかそんな絶望的な状況……!
「特に年老いた女どもにギルちゃんギルちゃんと呼ばれてな。好みではないが慕われるのはそう悪いものではないぞ」
「ものすごく馴染んでるじゃないか―――――!!」
もういやだ。
「うるさいぞ、贋作」
あ。
「言ったであろう? うるさくても塞ぐ、黙っていても塞ぐと」
逆らうな、なにしろそう我が決めたのだからな。
我様で俺様な英雄王様はそう言って、今度は何も口に含まずにゆっくりとくちづけてきて、至高の唾液を味わえとばかりに思う存分舌を絡めてきたのだった。
みんみんと蝉が鳴いている。
同じくわんわんと泣いてしまいたかった。
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