相変わらず英雄王は家事を手伝わない。手伝われても気持ちが悪いし、仕事が雑そうなのでまかせたくなかった。一度面と向かってそう言ったら子供のように不機嫌そうに頬をふくらませて、なにをいうか、と吐き捨てた。
「―――――何を言うか、贋作よ。この王である我を馬鹿にするか」
「別に馬鹿にしている気はないが」
「我に出来ぬことがあると思うか、愚か者め。いいか? 特別に教えてやろう。出来ないのではない、なにしろ我は万能の王であるぞ」
「では一体…………」
「しないのだ」
しないのだ。
しないのだ。
しないのだ。
……のだ……のだ……のだ……。
低音にエコーがかかって、ああ、これは駄目だ。と悟った。だから困ったように笑って家事に戻った。
「ぬ? 贋作よ、どうした? 何故笑う? 特売日のことでも思い出したのか?」
違います英雄王様。
首をかしげてまわりを回りながら、エプロンの紐を引いてたずねるので笑ったままで答える。首をかしげるのに合わせて、首をかしげて。こういうときの扱いは上手くなったと自嘲的に思った。なのに何故、上に乗られてしまうと手綱を取られてしまうのだろう。
ああそうだ贋作、舌を出して我に挨拶するが良い。許してやろう。特別だ。どうした、我の言うことが聞けぬか。贋作ごときがいい度胸ではないか、だがしかしそんなところを屈服させ我の所有物にするのもまた乙というものよ―――――。
ぞっとした。
赤い瞳と、唇と白い歯。激しい行為の中だというのに、汗のひとつもかいていなくて髪の乱れもない。一張羅のライダースジャケットもぴしりと芯から漆黒だ。だというのに自分といえば、中途半端に脱がされた柔らかい素材の黒の上下がその黒さの焦点を失ってぼやけている。服を着ているのではなく、四肢に絡めているだけだった。
「贋作」
呼ぶ声がする。
「贋作」
記憶の中から。
「贋作」
呼ぶなというのだ。
「おい、贋作」


ざざっと後ずさった。端正な顔がすぐ目の前にあったので、反射的に。
ぬ、と英雄王はつぶやくとまたも先日のように頬をふくらませてみせた。そうするとある少女いわくモデルのような風貌がとたんに幼くなる。
「不愉快であるぞ。我が話しかけてやっているのにあろうことか無視し、しかもその反応はなにごとか」
「あ、ああ。済まない。……少し、考えごとをしていて……」
「よいか贋作」
顎を掴まれた。いつものことなので叫びもせず、目を白黒させて済ませると英雄王は尊大に言い放つ。
「我は他のことを考えていても良い。だが、貴様は許さんぞ。常に我のことだけを考え、我だけに尽くせ。我の言うことのみを聞くのだ。わかったか? 贋作よ」
「ああ…………」
掠れた声でつぶやく。承諾ではない。
嘆息だ。
だが英雄王は満足そうにうなずくとよし、と胸を張った。
こういうところが扱いやすくて、本当にうれしい。愛らしいとさえ思う。間違った認識だとは理解している。だけど愛らしい。
愛すべき馬鹿だ。
「ところで贋作よ、話題を変えるが貴様を呼んだのには訳がある」
「うん?」
「今夜の夕食の件だ」
あ、よかった。
夜伽とか言われなくて。
同じ夜で、“食べる”でも大違いだ。
「なにか食べたいものでもあるのかね」
「秋刀魚という魚だ」
「秋刀魚か……」
なるほど、秋の味覚か。英雄王もなかなか風情を好むところがあるのだな。頭の中で献立を考える。米は……大家から貰ったものがまだ残っている。とすると、調達すればいいのはメインの秋刀魚とサブの付けあわせだ。
「どうやって食べたいのだ? シンプルに塩焼きか? それとも蒲焼き風? ああ、照り焼きという手もあるな。それとも洋風にムニエルとでも行くかね。焼くのが嫌ならば当座煮、マリネ、カレー衣揚げも出来るぞ。君はカレーが好きだっただろう? 英雄王」
英雄王は林檎と蜂蜜の甘口が好きだ。舌は意外と庶民派である。
まあポカリを好んだり商店街で大判焼きやコロッケをぱくついたりしている時点で、意外ともなにもないが。
「うむ」
顎に手を当ててまたも首をかしげてみせると、英雄王は言った。
「我は生が良い」
「生? ああ、刺身か」
「内臓は苦くて不味いと聞いた故にな」
「そうだな……だが、新鮮なものは甘く、決して不味くはない。少なくとも君の不得手ではないはずだ。珍味は好きだろう」
「好みだな。それで贋作よ。我はとある珍味を所望したい」
「なんだろうか」
家庭料理では満足ならないということだろうか。少し期待をして心の中の包丁を研ぐと、英雄王に問いかける。
英雄王は言った。
「男体盛りというものを」
「黙れ!」
プレッシャー。圧力、圧迫。てのひらで思い切り口を押さえる。むごむごむが!と続きを遮られた英雄王は不満そうな目つきをして幾度かまばたきをすると、己の口を押さえたてのひらを舌でべろりと舐め上げた。
「…………ッ」
思わず顔を真っ赤にして離れると、眉間に皺を寄せて英雄王はのたまった。
「何をする」
「こちらの台詞だ!」
王のすることか!と叫ぶとわざとらしく耳に指を差しこんでみせて首を振る。まるっきり子供だ。
「しかも言うにこと欠いて、な、男体盛りなどと……」
「馬鹿にするな贋作。我とて知っている。一般的には女体盛りと言うのであろう? セイバーなどに盛るのが好ましい。だがセイバーは少々厄介な女だ。手がかかる。それで手近な貴様で手を打とうと」
「打つな!」
「またも叫んでばかりだな。そんなに喉を痛めたいか? ならば乞うがよかろう。手酷く抱いてくださいと」
「誰がだ!」
「貴様に決まっているだろう?」
「聞くな!」
「そうか」
やけに素直に納得した英雄王は、次の瞬間にやりと笑った。…………ああ。


「ならば、貴様の意見など聞かずともかまわんな?」
嫌な予感はしていたのだ。この英雄王と暮らし始めたときから。
受難の相が自分には出ていると理解していたのに、何故自分は実家へ、遠坂邸へ帰らないのだろうか。
いまさらのようにそう思いながら、迫ってくる英雄王の姿を見る視界が複雑な感情からこぼれた涙で滲んだ。



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