「ふぇいかぁー」
声が。
伸びきっている、と思った。
幼児退行しているようである。あの英雄王が。慢心王ことギルガメッシュが。「おい、贋作者」と初めは呼んでいたではないか。
それなりにでも、威厳はあったではないか。それが今はどうだ。台所に立つ自分の傍をうろちょろとしながらちょっかいを出し。
“フェイカー”と。
カタカナですら呼べず、“ふぇいかぁー”などとだらけきった有り様だ。
……逃げられる、だろうか。
ふとそんなことを、思った。
相手がこんな様なのなら、包囲網を突破して逃げられないだろうか。降り注ぐ武器という名の快楽、愛撫、毒手。
不道徳すぎる全てを駆使して英雄王はこちらを壊す。壊して、二度と見られなくなるようにぐずぐずに最中は蕩かして、余裕ぶって振る舞うのだ。まあ、事後も余裕綽々で半裸どころか全裸で駄菓子を口にしているのだが。
「…………」
「おい、ふぇいかぁー」
また、呼ばれた。
無言を貫くのもいい加減に辛く、つい視線をやってしまう。
すると、そこには、
「――――!」
待っていたぞ。
などという、トラップを張った男の顔ではなく、
「やっとこちらを見たな!」
はしゃぐ子供の、顔があった。
え?
「我慢比べは我の勝ちだ! 褒美として、今日の夕飯は我の好きなものを」
「え、ええー……」
褒美も何も、いつでも食事は三食おやつ昼寝付きであなたさまのリクエストに応じてるじゃないですかー……。
そんな思いを抱えてけれど反応を控えていると、英雄王はむすっと唇を尖らせた。
「聞いているのか、贋作!」
あ、戻った。
……よかった……。正直、違和感が膨大すぎたから……。
「我に逆らうのか! それならば今ここで、手酷く抱いて」
「君の思うがままに手を動かそう」
即座に言った。手を動かして料理を作って、けれどそれで抱かれるだなんだという物騒な(だがしかし慣れてしまっているのが悲しく辛い)事態を回避出来るのならばどんなにかいいことだろう。
「何が食べたい?」
「カレーだな! もちろん甘口、林檎と蜂蜜だぞ」
「はいはい」
例の麻婆神父のせいか、辛いものを極端に嫌悪するようになってしまった英雄王だった。それは同情せざるを得ない。
だから、この手で辛いものを作ったことは一度たりともないのだ。
「贋作」
「なん――――んッ」
不意に。
奪、われた。
ぬるぬると口内で舌と舌とが絡み、唾液が溢れる。どっ、と中に放たれる時の勢いで増すその甘みに鼓動を乱れさせ、磨かれたシンクに体を押し付けられたことさえも数瞬認識を遅らせた。
「ふ、っ」
目を細める。喉が甘い蜜を飲み下したいと強請る。ひくひくと戦慄いて、さながら別の器官のようだ。
「ん……んんっ、なに、を……!」
ようようやっとで解放され、残念なことに飲みきれなかった唾液で濡れている口元を拭い、抗議しようとして。
「ッ、あ、」
事態は。
それどころの話ではないのだと、気がついた。
「我は甘いものが好きだ」
蕩けるように微笑む赤い瞳。
端正過ぎておぞましい貌。
きらきらと光る金の髪。
全てが嘘のようで、逆にリアルだ。
なんて存在が、自分を見つめていることに気がついて、逃げようと本能が警告して、でも間に合わないことに気が、ついて、
「食事前に。……ちょうど時間もいい。貴様を喰らってやるぞ、贋作」
がたん。
馬鹿みたいな音がして、シンクにもっと押し付けられて、体は痛かったのかもしれないけれど、もう事態は後戻りの出来ないところまで。
「早食いはするなと昨日言われたからな。――――ゆっくりと、時間をかけて喰らってやる。感謝しろよ?」
あーん、と。
大げさに口を開けても、全然みっともなくなかった。
英雄王は、本当に、どうしようもなく、おぞましいほど整っていた。
それに喰らわれる自分を想像し、眩暈がして。


あ、と上げた声は、英雄王の唇に吸われて、中途で消えた。



back.