わたしは、かれに、すくわれた。
光の御子。クランの猛犬、アルスターの英雄。
青い髪に白い肌、赤い瞳を持つ彼に。わたしはかれにすくわれた。
決してその方法は優しくなんてなかったけれど。とにかく、事実としてあったのは“彼が私をすくってくれた”“彼が私にすくった”その二点だけ。
とてもシンプルな事柄だ。他に記載すべきことなんてない。
彼は私をすくってくれた。彼は私にすくった。
もう少し詳しく述べるとするならば、必要であれば。
あと少しだけ、語るとしよう。


彼は私を救った。その明るさで。まなざしで。てのひらで。光の側面から彼は私に干渉して、私を底から拾い上げてくれた。
溺れていた私を。絶望にまみれていた私を。
そうやって、名前を呼んで。
アーチャーと。そう呼んで、抱き締めてくれた。
彼の体温はとても温かかった。
彼は私に巣食った。その暗さで。普段は見せない冷酷さで。残忍さで。闇の側面から寄り添って、突き放して。私の心にまんまと巣食った。
ひどい話。どちらか片方でよかったのに。
どうして彼はこんなことをしたんだろう?片方だけでよかったのに、光と闇のどちらかでよかったのに、その両面から私に接したのだろう?
知らなければよかったと、思いはしない。知ってしまった今ではもう。
後悔なんて遅い。とっくに私は彼の虜だ。ランサー。クー・フーリン。
彼は私をアーチャーとしか呼ばない。
私は彼にエミヤと呼べとは言わない。
私は彼に教えるのが怖い。
本当の、自分の名を。
告白してしまえば教えたことで彼にどっぷりと浸かってしまうことが怖いのだ。今だって喉元まで彼に浸かって喘いでいるのに、これ以上彼に依存してしまえば頭の先までとぷんとひたってしまう。自分ひとりで息が出来なくなって、私は速やかに生命活動を停止するだろう。
そうだ。私はもう、彼なしではいられない。
馬鹿な話だが、紛れもない事実だ。わたしはかれにすくわれた。救われて、巣食われた。
言葉遊びのようなことだけど、事実であり、現実であり、写実でもある。
麻薬中毒者のように、私は彼なしではいられない。もし彼を誰かに取り上げられてしまったら、私はくるしい、と、やめてくれ、と、心中で訴えながらそれでも口にはしないだろう。
私は恥じている。こんな様になっても。彼が欲しいと声高に言えない。
こんなにも彼に救われて。
こんなにも彼に、巣食われているのに。
私の心を清らかにするのも彼で、ぼろぼろにするのも彼だ。癒されながら私は泣いている。痛い痛いと端から食われながら泣いている。
それでも彼は私を齧る。痛い、痛い、と訴えても、犬歯を彼は尖らせて、大丈夫だと言って、あいしているとまで言って、彼は私に齧り付く。
腕。首筋。鎖骨。胸元。肩。鼻先。唇。足先。膝頭。
私の体のあらゆるところを彼が辿る。私は感じ入って声を上げる。そうやってやっと口に出来るのだ。
君が欲しい。ランサー。――――クー・フーリン。
そうすれば彼は笑って、私の中に。
ああ。
思い出せば下腹が疼く。中に放たれた感覚を思い出す。忘れられない。忘れない。忘れるものか。それだけは、私のものだ。
誰にも奪わせはしない。
誰にも、持っていかせない。座にいる私の本体にも、この記憶は渡さない。私のものだ。私だけのものだ。
私は末端、分霊でしかないけれど、それでもこの記憶は私だけのもの。記録になんて残さない。
ひとつ残らず私だけのものだ。“エミヤ”のものではなく。
この記憶は“アーチャー”のもの。
それでいい。
それがいい。
そうしてほしい。……でなければ、困る。
だって、“アーチャー”である私など、“エミヤ”に溶け込んでしまえれば何もかも奪われてしまうのだから。
だから、渡さない。これは私のもの。彼のぬくもりも、つめたさも、やさしさも、おそろしさも、全部が全部全部全部。
私のものだ。
誰にも渡さない。彼の記憶は、例え私自身にでも。渡すものか。
……渡す、ものか。


鏡の前で服の前をくつろげる。ボタンをいくつか外してみる。緩んで広がる布。肌が隙間から覗いた。
褐色に焼けた肌。そこに残る無数の跡。
吸われた、噛まれた、撫でられた、触られた、辿られた、無数の跡。
彼の跡。全て彼が残したもの。わたしをすくう際に、わたしにすくった際に、彼が残していったもの。
思い出すだけで脳髄が甘く、じん、と痺れる。指先の感触を思い出す。歯の鋭さを思い出す。髪の、滑る、なめらかさを。
髪が好きで、肌が好きで、声が好きで、けれど一番好きなのは瞳だった。
見られるだけでじん、と体中が熱くなった。泣きたくなって眉間に皺を寄せた。それを勘違いしたかのように、大丈夫か、だなんて彼は。
何だか心配そうに言うから、らしくないとそれを笑った。そうすれば彼は口を子供のように尖らせた後で口端を吊り上げ、余裕があるじゃねえかと私をなぶった。そうされることは嫌いではなかった。好きだった。求めて、求めて、どうしようもなくなるほど。
「ああ」
声にする。待ち侘びているようで、吐き気がした。
「はやく」
君に会いたい、そしてまたすくわれたい、と私は昼間の部屋でひとりつぶやいていた。



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