「そうやって、逃げて」
壁に手を突いて閉じ込める。それだけで大柄な体は身動きが取れなくなったみたいだ。
突き飛ばすなり、蹴り倒すなり――――そうやってすれば、安易に逃げられただろう。体格差からして簡単なこと。
けれど奴はそうしなかった。自分の非力な腕の檻の中。そこで黙って視線を床に投げる。
「そうやって――――ずっと逃げてる気か」
答えはない。ただ奴は逃げ続けている。
内に閉じこもって。こちらの顔さえ見ようとしない。笑い種だ。いつもの態度はどうした?皮肉げな態度はどこへ?なあ、逆だろう?
こうやって相手を揶揄するのは、おまえの得意技だったはずだ。
「……なら」
「――――!」
俺にも考えがある。
そう、温度の高い声でそうささやいて、耳元に唇を寄せると、その、耳朶を。
ぷつんと弾けて口内に溢れる赤い水。いや、ぬるま湯か?
どちらでもいい。問題はそれが誰のものであるか、だ。
わざと音を立てて舌の上に溜まったものを飲み下す、喉を鳴らす。
ついでに舌なめずりをして、見せ付けるように言ってやった。


「逃げ続けた結果が、これだ」


それでもおまえはまだ逃げるのか?


舌の上に残る血が甘い。
戦い以外には纏わなくなったあの衣装のように目の前の顔が赤くなっていく。血のように赤くなっていく。
「なあ、おまえは――――」


まだ。
答えはない。
口の中で、甘い血がぬるりとぬるついた。



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