その日ランサーはやけに上機嫌だった。
「ランサー、戻りましたか……おや?」
玄関が開く音がしたのでセイバーが反応して廊下に出たが、あっさり横を通過されて目をぱちくりとさせる。何事か一悶着あるのが彼と彼女の仲だ。怪訝そうに背を眺めるその後ろから凛が背伸びをするように顔を出した。
「珍しいわね。ランサーがセイバーに何も言わないなんて」
「まったくです。……まさか! アーチャーというものがありながら街で女性を引っかけ、あまつさえ欲望の捌け口にしているのでは」
「どうしてそういう話になるのですか」
「だって!」
駄々っ子のように拳を握って訴える騎士王。いつのまにかやってきていたライダーの眼鏡の奥の瞳を見据えるようにして拳を強く握る。今、聖剣を岩から引き抜くためにその柄を握ったのならひびを入れるかもしくは粉々に破壊してしまうんじゃないかというくらい、こうぎゅううっと。
「だってそうとしか考えられません! だって、ランサーですから!」
「とりあえず落ち着いてセイバー。かなり支離滅裂よ」
華奢だが得体の知れないオーラを発している肩を叩く凛の前になめらかに割って入ると、ライダーはポケットから何かを取り出す。フィルムを素早く剥いて大きく開いたセイバーの口に放り込んだ。
からころと音がしてセイバーのバックで天へと昇ろうとしていたドラゴンが消えていく。
「士郎から渡されていたものがこんなところで役に立つとは」
「保父なの? ねえ保父なの? 士郎ってそこまでセイバーの保護者だったかしら?」
「保護者ですね。悲しいですがそれが現実です」
ライダーが眼鏡のブリッジを押し上げて残酷な真実を告げた。かつて最優のサーヴァントとしてセイバーをなんとしてでも召喚しようとしていた凛はそんな自分の熱情をほのかに疑う。
まっすぐにはとてもではないが向き合えない。若さとは時に自らを見失うこともある要因だった。
からころからころとセイバーは飴を転がしていたが、その音がだんだんと小さくなっていく。凛はとっさにライダーを見上げたけれども彼女はそっと首を振るばかり。
士郎も第二波までは予想していなかったに違いない。
というかセイバーの舐め終えるスピードを計算し違えていた。
「凛! こんなところでぐずぐずとしていてもいいのですか、アーチャーの身が!」
「オーケー、わかったわ、だから落ち着いてセイバー」
「これが落ち着いてなどいられますか! 凛、あなたはアーチャーがみすみすとあの獣の毒牙にかかるのをよしとするのですか!?」
「あーうん。それはわたしもよしとはしないけど、とりあえずセイバーは落ち着くべきだと思うのよ」
―――――だってこのままのテンションで行ったらあなたランサーをぶった斬るでしょう?
―――――はい、ぶった斬ります。
まるで英会話の例題のような折り目正しいコンタクトが成立したことに凛は眩暈を感じる。yes.という短い単語が、これほど力を持って自分を打ちのめそうとは。
「いいですか凛、行動は迅速に! 何事も起こってからでは間に合わないのですよ!」
「まさに猪突猛進ですね。リン、これは士郎を呼んできて令呪でも使わせないといけないかもしれませんよ」
「こんなことに令呪を使わせるんじゃないわよ! ……ああもういい、わたしがついていく! セイバー、ランサーの部屋に行くわよ!」
「わかってくれましたか、凛!」
それではさっそく向かいましょう、と。
言ってセイバーは武装した。
凛は彼女に何も言わず駆けだした。サーヴァントの力であっという間に距離をショートカットできるはずのセイバーより早く、なおかつ前を駆けていった。
今の自分の姿に何も感じないわけじゃない。だけどそんなもんくそくらえだ!
遠坂の信条である優雅たれという家訓も全部すっ飛んでいった。こうなればもうセイバーより先に自分がランサーをぶった斬る、と頭の中では既に術式が組み上がっていて、遠坂凛のヒーロー体質、それに由来する反則パワーで誰より先に全てをなぎ倒すこと決定だった。
最初はセイバーの暴走を止めるはずだったのに。
今の自分が暴走しているとは悲しいかな、気づきもしない凛だった。
「……到着っ!!」
すぱーん!と襖を開け放ち、凛は高々と宣言した。そうして、手の中にある宝石剣を振りかぶり―――――、
「…………、」
ランサーを膝枕したアーチャーを見て、そのまま硬直した。
アーチャーもまた凛の方を見て、目をぱちくりとさせた後で照れるでもなく凛、と小さな声で言った。
「済まないが、今ランサーは疲れて眠っている。久々に休みが取れてな……」
「……、そうなの」
「勝手を言って悪いが、彼に用があるならまた後日にしてくれないか?」
「あ……うん、別に、急ぎの用じゃないから、いいのよ」
「そうか。……済まないな」
「いいのよ」
いいのよ、と繰り返して凛は宝石剣を背後に隠した。隠して、自由な方の手を振りながら横にずれていく。
ずれていきながら、襖に手をかけてそれをゆっくりと閉めた。


「凛! どうして二人を放っておくのです! ランサーは獣です! 野獣です! 早くどうにかしないと……」
「……セイバー。あなたもあの光景を見たら、自分の暴走がすごくいたたまれなくなるわ」
「?」
頭痛が痛い、と少しばかりの混乱に陥りつつ、凛はとりあえず顕現した宝石剣でざくざくと衛宮家の柱に傷をつけるのだった。



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