ランサーは頭を掻いた。こいびとの悪癖がまたぞろ始まったのである。簡単に言えば、後ろ向き思考。
ランサーにはそういう類いの考えが元からないというか思いつきもしないので少し不思議でもある。一体どこから沸いてくるだろうのか、そんな考えが。
愛しているというのだから信じればいいではないか。信じて愛されているのだと思えばいい。胸を張ればいい。事実、そうなのだから。
だのに自分は、私は、ときた。
こいびとが言うに「私は人からそのような感情を向けられていい存在ではないし、そもそも……」うだうだと言っていたので要約した。好意を向けられていけないことがどこにある。いけないものがどこにいる。
そう言えば、ここにいるよと答えて笑うのだろう。ランサーが望む方向にではなく、内側になにか溜めこんで。
きっとそういう笑い方をする。
「なあアーチャーよ。なんで信じられねえ? 押しつける気はねえよ、だけど普段は渋々な顔してたっておまえオレを受け入れてるだろ。だってのに急に私は云々言いだす。どうしても信じられねえのかオレが、心底ではそう思ってるのか?」
言いながらランサーは思ってなどいない。一度開かせたものが、頑なでも一度は開かせたものが嘘だったなど、実は本音ではなかった、のちに後悔し始めたなどとそんなことはないはずだ。
開いて受け入れたならば自分は信じられた。けれど何か理由があるのだと思い、頭を掻いていた手を戻し、目の前の頭へと両方そろえて伸ばし、触れた。
「アーチャー」
鋼色の瞳は揺らぎ、さ迷いつつも決定的に逃げることはない。
赤色のランサーの瞳を見ている。
額を合わせて視線を絡ませ、じっと。
名前を呼んだきりであとは視線にまかせてランサーが待っていると、低い声が語りだす。
「……私は、腐食、している」
剣の面に似た鋼が揺らぐ。錆び。そこから連想して次の言葉に打ち消された。
「今はここにこうしている。けれど、実態は、実体は腐っているんだよ。もうどうしようもないくらいに手遅れなんだ。……常日頃は、理解している。納得している。だがふと浮上してくるんだ」
―――――だから、とつぶやいて、目が伏せられ、そして上げられた。
「だから、君などが触れれば穢れてしまうんだ」
ひどく後ろ向きな言葉。
それを、まっすぐにランサーの目を見て、こいびとは、言った。
沈黙して視線を絡ませるとランサーはしばらく黙りこむ。言いたいことを言ったのか、それ以上の言葉はなかった。
「……ああ、そうか」
額を離して一度体を遠ざけると、ランサーは全体図を見るかのように重心を後ろへかたむけた。頭を抱えていた手も離し胴の横へ。その格好で自分よりわずかに大柄な体躯を眺め回してから、
「だからか。オレがおまえに引き寄せられたのは」
「何?」
「最初は得体の知れねえ変な弓兵だなあとばかり思ってたんだが、いやそれがきっかけなんだろうが。ここまではまる要因になったのは、きっとな」
言ってランサーは再び手を伸ばして上げられた前髪に触れる。白く色の抜けた髪は硬いのか柔らかいのか、さて。
ただその手触りをランサーが好んでいるのは確かだ。
片手で、指で前髪のひとふさを弄び、いじくる。
「おまえが腐ってるっていうならそうなんだろうさ。てめえの状態はてめえが一番よくわかってるってな」
「……な、らば」
「知ってるか? 果物でも酒でもな、熟れたって頃を過ぎてもう腐りだした頃の方が美味いんだ」
それにたまらなく甘い匂いがする、とささやいてランサーは唐突に身を乗りだした。重ねて食んだ唇はかさついている。
ごく自然に動作を行い速やかに退散。ただし、しっかりと啄ばんではいった。
ランサーとて伊達に最速の英霊との名を冠されてはいない。
「果物なんてぐちゃぐちゃになり始めて、かぶりつく前から汁が滴ってそうなのがたまらなく美味い。で、甘ったるい匂いを遠くから、そうだな……相当遠くからでもわかるくらいにまき散らしてる。そんなのが、たまらなくオレは好きだ」
それがおまえ。
ランサーは言って口端を吊り上げる。吊り上げて、髪に触れていた指を額からこめかみ、頬、顎そうして首筋へと。
「触れれば解るだろうランサー。君が語る果実のようにこの身は柔らかくもない。硬い、男の体だ」
「いやアーチャー。オレはおまえの中を知ってる。おまえの内を知ってるんだよ。そうか腐った果物な、オレも上手いこと言いやがる」
「……上手いものか」
どこか拗ねた口調にランサーは声を立てて笑った。その笑い方が子供のようだと自分でも思いながら。
「きっかけはさっき言った通りだが、引き寄せるのを手伝ったのは腐ったおまえがまき散らす匂いだったのか。なるほど。クランの猛犬なんて異名があってよかったぜ。他の奴らより鼻がきくから真っ先に気づいて誰より先に勝ち取れたわけだろ」
「だから、誰も私のことなど、」
「言い張るならそれでもいいが。……オレは、気づいた」
腐ったおまえの美味そうな匂いに。ランサーは首筋に置いた指を動かさずに言う。赤い瞳を細め、言葉に表情をわずかたじろがせたこいびとを愛しく思った。
告げる。
「感謝しねえとな。おまえが腐っててちょうど食べ頃になっててくれたことに」
鋼色の瞳が瞠目する。ランサーは笑い返すともう一度、唇を寄せた。
今度は深く。長く。口を大きく開いてさながら果実をまるかじりするかのように。
中途から差し入れた舌に拒絶はなく、やがて絡んできた感触に目を閉じる半ばああ、やはり、とランサーは思った。
熟れるなどとうに過ぎ、指が沈みこむほど柔らかく、ぐずぐずになったそれに、似た、感触だった。
腐った果実の、甘い感触だった。



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