庭を見ながら洗濯物を畳んでいると、玄関の方で音がした。この気配はきっと彼だろう。
「―――――っと。たーでーまー」
気の抜けた声。ずいぶんと、腑抜けたものだ。過剰に足音を立ててまっすぐにこちらにやってくる。こちらが向こうの気配をわかるのと同じく、向こうもこちらの気配がわかる、のだろう。そういうものだ。サーヴァントとは。
変わり映えのしない衛宮士郎のいつものシャツを手に取ったところで、青い頭がひょいと現われた。数秒無言で見つめあって、向こうが先ににっと笑う。
「よお。帰ったぜ」
「あれだけの気配を発していて私が気づかないとでも?」
「はは、違いねえ」
あっけらかんとした態度。いつもどおりだ。
それになんとなく安心して作業に戻ると、目の前に差しだされた白い手。
「……何かな」
「何って。飴玉だろ」
そんなこともわかんねえのかと言いたげな顔をしているから、少しむっとして違うと言った。
「私はそういったことを聞いているのではなく。何故、君がそんなものを持っているのかと聞いたんだ」
まさか、また小さな英雄王の持ちだしてきた何がしではなかろうか。この男は小さくなった英雄王と妙に仲がいい。聞いた話では公園で一緒にアイスを食べていたとか。……別に、気にしているわけではない。好きにすればいいと思うし、そもそも自分に縛る権利はない。
どんな付き合いをしようと交友関係を持とうとかまわないのだ。自分に迷惑さえかけなければ。
そういったことをあちこち省いて言えば、男はきょろんと目を丸くして、それから口端を吊り上げた。
「な」
抱えこまれたのは頭。
「ったく、おまえは本当に面倒くせえな。まあそんなとこがまたいいわけだが。……焼きが回ったか、オレも」
「な、なにをひとりでぶつぶつ言っている。離せ。離さんか」
「いやだね」
片腕で軽々と抱えこまれた頭はぐるぐると混乱。とくとくと音がする。胸元に、押しつけられた額。否が応でも意識してしまう。
ぐるぐるぐるぐるぐる。
と、突然解放されて目を白黒させる。宙に投げだされた気分になって瞠目していると、男が正面から視線を合わせてきて、
「おまえな。いい加減慣れろ。軽いスキンシップ程度でそんな反応されたんじゃ、まるっきり犯罪者の気分だ」
眉を下げて、呆れたように。ついでにぐしゃぐしゃと頭を撫でられた。されるがまま。
「……やめないか」
我に返る。小さな声で言って、頭を撫でる手を軽く打ち払った。
「そうそう。そうやっててめえの身はてめえで守れ、ってな」
「馬鹿にしているのか? 私を何だと思っている」
「そうなんだけどよ。……どっか、頼りねえんだよな」
こんな風に。
そう言って、男はいつのまにかセロファンを剥いていた飴玉を口に放りこんでいた。そして、こっちの口へも。
「なに―――――」
言い終える前に唇を奪われる。絡んでくる舌。口内を飴玉ごとねぶって粘膜を翻弄。特に上顎を執拗に攻めてきたかと思えば、舌をとらえる。ねじるように絡まって。
背筋を這い登る奇妙な感覚に目を閉じて耐え、鼻にかかった息を漏らす。けれど視線を感じて、震えるまぶたを開いてみれば思ったより真剣な目がこちらをじっ、と見ていた。
頭の中で、白い光が炸裂した。
「……っ……てえ……」
気がつけば肩で荒い息をついていて、目の前で男が尻もちをついていた。ひっくり返った蛙のような。どうやら突き飛ばしてしまった、らしい。声をかけようとして思いとどまる。
「ふ、ふん! 下らないことを仕掛けてくるからだ!」
何を詫びることがある。むしろこちらは被害者だ。
男はひでえの!と叫び、べえっと舌を出した。子供じみていることこの上ない―――――腕を組んで見下ろしかけ、“それ”に気づいた。
「き、君……」
「へ?」


とんとんとんとん、と台所から包丁の音。イリヤスフィールは頬杖をついて新聞を読んでいるランサーを見上げる。
そのまっすぐな視線は新聞紙をも通過しそうだ。
「ねえ」
イリヤスフィールが口を開く。ランサーは視線だけを彼女に向けた。
「今日はずいぶんと物静かなのね。どうしたの? 気味が悪いわ」
「…………」
「アーチャーもお話してくれないし。つまんない。早くシロウやリンが来ないかな……」
ごろん、とテーブルの上に頭を転がしてぼやくイリヤスフィール。冗談じゃない、とランサーとアーチャーは思った。
『その、舌の色……』
先程の一方的なキスが終わったあとで見てみれば、ふたりの舌はそろって紫色をしていた。子供にもらったのだという大きな飴玉は赤と青。それを足してぐちゃぐちゃとかきまぜると、ほら。紫の出来上がりというわけだ。
まったくろくなことをしない!
口を固くつぐんだままアーチャーは包丁を振るう。その顔は赤い。口の中に放りこまれた赤い飴玉のように。
衛宮士郎はともかく、遠坂凛が戻ってくればきっとバレてしまう。その前に解決法を見つけなければ。
だんだんだんだん、
「アーチャー? なにしてるの?」
危ないわよというイリヤスフィールの声に我に返り、まな板の上の野菜を見たアーチャーはその惨状に額を押さえて甘いため息をついた。


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