「いい子ね」
膝に乗せられた頭は、彼女には重いのではないかと思う。あまりにも細い膝ではこの自分を受け止めきれないのではないだろうか。
だから、
「イリヤ」
そうつぶやいて体を起こそうとすると、彼女はぷうと頬をふくらませた。そうすると先程までの“姉”としての役割は彼女の顔から失せ、彼女は外見相応の無邪気な少女になる。
「あら、おねえちゃんに逆らう気?」
「いや……そういうわけではないのだが、」
「ならおとなしく寝てなさい。今日は邪魔する者は誰もいないわ。みんな出かけてるもの。リンも、サクラも、セイバーも、ランサーもよ」
あなたとわたしのふたりきり。
うっとりと蜜のように彼女は微笑むと、また“姉”の表情に戻って髪を撫でてきた。小さな手は、正直くすぐったい。まるで子猫が毛づくろいをしてきているかのようだ。
もっとも、彼女は猫なんて嫌いなのだけど。
「今日はあたたかいわね」
「ああ……」
「ねえ、ちゃんと聞いてるの」
「聞いてるさ、イリヤ」
「聞いてないじゃない」
「ああ、すまない……姉さん」
「よし!」
彼女は元気よくそう言い、額にキスをしてきた。思わず片目を閉じてしまうと、かわいいのね、とくすくす笑い声を立てられる。彼女は手を伸ばしてきて、髪をかきあげながら何度も額にキスをする。やはり、それもくすぐったい。彼女の好きな砂糖菓子のようにふわふわと。
いい子ね、と繰り返し髪を梳かれながらキスをされる。その感触は照れくさくも心地よかった。イリヤスフィール。小さな姉。
「さあ、手を握っていてあげる。だから安心しておやすみなさい」
小さな手が畳の上に投げだされた手を握る。指を絡めるようにして、しっかりと彼女は自分をつかまえた。
「姉さん」
「安心して。誰か戻ってきたら起こしてあげる」
そうね、子守唄でも歌ってあげましょうか、と彼女は言った。そうして穏やかな声で歌いだす。


Schlafe, mein Prinzchen, schlaf' ein!
Schafchen ruh'n und Vogelein.
Garten und Wiese verstummt,
auch nicht ein Bienchen mehr summt,
Luna mit silbernem Schein
gucket zum Feaster herein.
Schlafe beim silbernen Schein,
Schlafe, mein Prinzchen, schlaf' ein,
schlaf' ein, schlaf' ein!


「―――――シロウ?」
冬の、ひなたの匂い。
「ねえ、寝てしまったの?」
問いかける。
返事がないことに満足したのか、イリヤスフィールは手を握ったまま自由な方の手でぱさついた白い髪を梳いた。その髪にそっとキスをする。ひなたの匂いがすればいいのに、とイリヤスフィールは思ったが、生憎と何の匂いもしなかった。
「セラに頼んで香水でも持ってきてもらおうかしら」
なんて、ひとりで冗談を言って笑う。そしてはあ、とため息をついた。
大きな弟は冷たくて、だからひなたで眠らせてあたためてやろうと思った。手を握って、キスをして、何度だってキスをして。
「だけど、それってどうなのかしら」
わたしの勝手なのかしら、
「ねえ、シロウ」
こたえて、とつぶやいてみるが、大きな弟は深く寝入っていて目を覚ます気配がない。疲れていたのかしら、とイリヤスフィールは思う。
「いいわ」
おやすみなさい、ゆっくりとね。
また額にキスをして、イリヤスフィールは庭を見やった。
部屋に引っ張りこむ前に大きな弟が干した、白いシーツがはためている。少しまぶしい。
赤い瞳を細めて、イリヤスフィールはどこか遠くを見た。


お眠り 私の可愛い王子様 お眠りなさい


「せめて、わたしの傍では安らかにしていてちょうだい」
それがわたしの願いよ、とささやいて、イリヤスフィールは握った手に力をこめた。
「たとえ、短いあいだでも―――――」
そのあいだは、わたしが守ってあげるから。


銀色の明かりに包まれて
お眠り 私の可愛い王子様 お眠りなさい


太陽の光がまぶしい。
イリヤスフィールは静かに目を閉じた。
「わたしが守ってあげるから」



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