アーチャーは呆気に取られていた。
「さあ、いくわよアーチャー! コンパクトフルオープン! 鏡界回廊最大展開! Der Spierelform wird fertig zum Transport―――――!」
『Ja, meine Meisterin……! Offnunug des Kaleidoskopsgatter―――――!』
赤光が視界を支配する。それと、心中を、絶望が。
目の前で見慣れた少女は見慣れぬ姿に変化を遂げ……ぶっちゃけ、見るも無残な姿となってアーチャーの前に爆誕した。
「お待たせ! 魔法少女カレイドルビー、ここに誕生! ―――――どうアーチャー? 初めての変身にしては上出来でしょう!?」
……………………。
いや、そんなこと聞かれても。
事の発端はしばらく前。
マスターである遠坂凛と何の因果かある種の魔術がかかった箱に閉じこめられてなんやかんやと一騒動。そして―――――辿りついた先が、これだ。
「あら? どうしたのアーチャーそんな顔して。いつものあなたらしくないじゃない。もう、もっと自信を持って! なにしろあなたは、わたしの大事な大事な相棒なんだから☆」
肩出しに装飾過剰な衣装、異常に澄んだ瞳にとどめは、なんというかその……頭から自然に生えた、ネコミミ。
箱の中に閉じこめられていたときからずっと傍らに存在していた、まるで新都辺りのデパート6Fおもちゃ売り場で売っているような幼女向けの玩具のようなステッキ。それをしきりに凛は遠ざけていたが、やむにやまれぬ事情でその手にとってしまった。
とたん、“呪い”が発動し、彼女は。
精神さえも汚染され―――――このような姿に、変わり果ててしまった。
『うふふ』
暗闇の中から聞くも可愛らしい声がする。だがアーチャーはその本性を知っている。それは、あくまだ。
いや悪の化身だ。権化だ。象徴だ。
『素敵です、素敵です凛さん! 見事な吹っきれっぷりアーンドはっちゃけっぷり! さっきまでイヤイヤごねてた人とは思えませんねー。ルビーちゃんはうれしいです! もうほんとう涙で目の前が……よよよよよ』
いや、君に涙を流す目などないだろう。
呆気に取られつつもアーチャーは律儀にツッコミを入れる。これはもう、生まれついての変えられない業であった。
ルビーちゃん。それが遠坂凛をこんな姿に変えてしまった張本人である。張本人―――――といえど、彼女は人間ではない。
某ゼルレッチの作りだしたマジカル・アイテムだ。声も可愛らしければ見た目も可愛らしいプリティー・アイテムの見本のような存在。だがその性根は真っ黒。某間桐桜嬢の心に潜んだ暗黒面にも負けやしない。むしろ、隠そうともしないので余計に性質が悪いのだった。
凛は―――――いや、魔法少女カレイドルビーは目を輝かせ、ルビーちゃんへと明るく言い放つ。
「ありがとうルビー! あなたには感謝してるわ。さっきまでのわたし、どうしてあんなに意固地だったのかしら? 素直になっちゃえばこんなに楽しいことはないのに! なんてったって魔法少女よ、女の子の憧れよ、無敵存在よ、この世の支配者よ。ああ本当に素敵!」
ちょっと待て。いま相当聞き捨てならないことを言ったぞこの自称正義の魔法少女は。
一体どこに、「この世の支配者」などと言いきる正義の味方がいるものか―――――!
正義には一理ありのアーチャーが内心でツッコミを入れるが、そんなことをしても誰が聞くわけでもないのだった。
「さあ、行くわよアーチャー!」
「え…………その、行く、とはどこにだね、凛」
「いやね、カレイドルビーだって言ってるでしょう? もうおバカさん! ほんと頭固いんだから。そんなんじゃ、そこ行く街のチンピラ共に言葉巧みにかどわかされていいようにされちゃうわよ?」
「なんてことを言うのかね君は―――――!!」
『あ、私もそれ同意見ですアーチャーさん。この際はっきり言っちゃうとあなた、隙がないようで隙だらけです。なんていうか……虐めたいタイプ? 自由を奪って身も心も支配して地下牢に閉じこめて私だけのものにしたいっていうか』
「待て! 待てルビー嬢! それ以上は言うな! それ以上は―――――世界の垣根が壊れる! 境界線が崩壊し並行世界が混じりに混じり、混沌としたこの世の終わりが」
『あははー、またそれもいいじゃないですかー』
「いいものかこの外道がッ!!」
楽しそうで、と着物の裾で口元を押さえる(イメージ)で笑い声を上げるルビーちゃんにアーチャーは絶叫した。なんてことを言うのか、このマジカル・アイテムは。いやもうマジカル・アイテムとかそんな呼び方など生易しい。ラジカル・アイテムだ。暴力と暴虐と暴悪に満ちた、ちょっとしたお茶目心で世界を破壊する真っ先に最優先事項で駆逐しなくてはならない危険物だ―――――!
「もう、なに騒いでるのアーチャー? ああ、こんな狭い箱の中に長いあいだいるからイライラしてるのね! もう、水臭いじゃない! だったら早く言ってくれればいいのに、あなたとわたしの仲でしょ? こうなったら……」
魔法少女カレイドルビーは笑う。なんというかこう。“イッてしまった”笑顔だった。具体的にどこかというと、こう……人として越えてはいけない、向こう側へ。
「さっさとこんなところ脱出しちゃいましょう! 行くわよ!」
『はい、凛さん!』
明るく言い放つカレイドルビーに、ルビーちゃんがやっぱり明るく続く。次の瞬間、信じられないほどの魔力の奔流が狭い箱の中に巻き起こった。
「な―――――!?」
驚愕の声を上げるアーチャー。だがそんなことにはかけらもかまわずカレイドルビーは、
「開けシュバインオーグ! 我は我の望む場所へ、我は我の望む法を! せーの、Sesam, offne dich!」
呪文を。唱えたの、だった―――――。


どっと絨毯の上に放りだされる。しばらくしてから魔の空間から開放されたのだと気づき、アーチャーは周囲へと視線をめぐらせた。
華美な家具、調度品、等等―――――確かにここは遠坂邸の一室だ。
手段はともあれ無事に戻ってこれたのだと、いろいろなことを放り捨て安堵のため息を吐こうとしたアーチャーは、ふと己の身に起きた異変に気づく。
体に違和感。イリヤスフィールに悪戯されたときの、手足が自由にならないような。
「…………え?」


手足が。
縄で、縛られていた。
「なああああああ!?」
「ふー! ようやく脱出できたわねアーチャー! これであーんしん、でしょ?」
「あーんしん、ではないわ! 凛! これは一体どういうこと……」
言いかけてアーチャーは気づく。ルビーちゃんは言ってはいなかっただろうか。彼女はあらゆる並行世界から、手にした者が望んだあるべき可能性の姿を持ってくるのだ、と。
しばしのシンキングタイム。ざあ、と血の気が引く。
「……凛?」
「さあ、これで邪魔者はいないわ。……わたしのアーチャー? たっぷりとかわいがってあげる。どんな方法がお好みかしら? その口でかわいくおねだりしてみせて? わたしがなんでも叶えてあげる」
にーっこり、と微笑むカレイドルビー。
アーチャーは青ざめて声も出ない。
これは、その。
やわらかに言って、“支配者”だとか、“調教主”だとか、“陵○者”だとか、そういった可能性の遠坂凛、なのだろうか―――――!?
「ままままま待てっ、落ち着け凛! 君は正気ではない! あのアイテムに操られているのだ! そもそもだな、相手の意思を無視してのこういった行為はだな、」
カレイドルビーは。
いつのまにか手にしていた黒い革製の鞭をびしり、と鳴らし、晴れやかな笑顔で答えた。
「問答無用☆」
「とおさかああああああ!!」
つい素が出て絶叫したアーチャーは、横から注がれる視線に気づく。それはふたつ分、唖然呆然としたものと……憤怒に満ちたもの。
青ざめたままおそるおそるそちらを見たアーチャーは、


「と、遠坂……なに、してんのさ?」
「……外道だ外道だとは思っていたがこの女狐……衛宮にだけでは飽き足らず、アーチャーさんにまで手を出すとは……!」
遠坂凛の級友。
美綴綾子と、柳桐一成の姿を目撃した。


「ええい今すぐその縄を解いてアーチャーさんを自由にしろ! そ、そもそも相手の同意なく淫らな行為を行おうなど不届き千万! 神仏が許そうとも、この俺が許しはせん!」
「あ……あたしはそのさ? 他人の性癖に口を出すつもりはないけど……その、コスプレ? っていうのかそれ? そういう特殊な趣味が遠坂にあったとは、知らなかったな……あ、はは、ははは……」
「なによ、黙っててくれないかしら柳桐くん? アーチャーは“わたしのアーチャー”なの。わたしのものをわたしがどうしようとわたしの自由! そもそもアーチャーはこうされることが好きで」
「喝! 喝! 喝!! 汚らわしい汚らわしい汚らわしい! い、言うに事欠いて人を己の所有物扱いとはどこまで外道なのか貴様は!」
「あの……なあ、遠坂……お邪魔みたいだから、あたし、帰ってもいいかな?」
アーチャーは。
手足を拘束され、床に転がされたまま、箱の中のラジカル・マジカル・アイテムへと向かってひっそりとつぶやいてみた。
「……なあ。君、マジカル・アイテムだというのならこの状況をどうにか……」
『無理ですねーあははー☆』
言いきられた。
『私はそもそも女性専用のアイテムですので。あ、ですがある意味女性のアーチャーさんでしたら機能限定で私を使用することも出来るかもしれな』
「いい! いい、もうこれ以上絶望するようなことは聞きたくもない! もうたくさんだ! 私は―――――私はこの世界を抹殺する!!」


こうして、愛と涙とカオスに満ちた何周目かもわからぬ今回の“繰り返す四日間”は、臨界突破したアーチャーの手によって、終わりを告げたのであった。



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