「ごちそうさま」
遠坂凛は席を立つ。口を拭ったナフキンをそっと机に置いて。彼女のサーヴァント、アーチャーの作る食事は美味だ。元々食事にあまり頓着しない彼女だったが、アーチャーが食事を作るようになってからは認識が変わった。
美味しいものを食べたいときに、優雅に食べたい。優雅にというのは、まあ、希望だ。
「ああ、凛。食器はシンクに……」
「アーチャー」
傍にいる彼。その彼の赤い外套の裾を、がっ、と掴む。そしてばさっとまくった。
「り、」
凛!?と慌てふためくのもかまわず裾を持ったままでその顔を睨みつける。
「いきなり何をするのだね!」
「意味は特にないわ!」
ないのか。
硬直するアーチャーをなおも睨みつけると、ゆっくりと手を離す遠坂凛。はさり、とはかない音を立てて外套は落ちた。
こぶしを握りしめ首だけで振り向いたアーチャーは怒りにか羞恥にか赤くなって、細かく震えている。それはまるで暴力夫に無体を働かれた苦労性の妻のようだ。
「――――アーチャー。あなたの作るご飯、とても美味しいわ」
「あ、ああ。それは光栄だ」
「だけどわたしはサーヴァントを召喚したのであって…………」
カッ、と見開かれる瞳。
その異様な迫力に三騎士のひとりと謳われたアーチャーも思わず後ずさる。だがまたしっかりと外套の裾を掴まれていることに気づいた。体が強張る。
「お母さんを召喚したわけじゃないのよ――――!」
まくられた。
そりゃあもう、盛大に。それも何度も、何度も、何度も。り、凛!やめないか!わたしが!召喚!したのは!最強の!サーヴァントで!あって!お母さん!なんかじゃ!ないのよ!
ぜえぜえはあはあ。
双方とも疲労して困憊した。ものすごい勢いで。へたりこんでしばらく動けない。そこで霊体化するなどしてさっさと逃げておけばよかったのだが、それが出来ないのがアーチャーだ。
遠坂凛はきっと顔を上げるとまた外套の裾を掴む。ひっと小さな声を上げて床の上に伸びた片足を引き寄せ、ガードするように前を押さえたアーチャーに笑って彼女は、
「やだ。もうしないわよ」
「ほ……本当か?」
「本当よ」
だからその怯えた小鹿みたいな目、やめてちょうだい。
それとも子猫かしら、と顎に手を当てて考えているマスターが本当のことを言っているとわかったらしいアーチャーは、自分のポーズがあまりにあまりなことに気づいたのかゆっくりと元に戻す。
だがしかし。
「凛……今までの君の行為は……その、あまりにあまりではないかね?」
「だって」
髪を指先に巻きつけくりくりといじくりつつ、遠坂凛は言う。ぷうっと頬を可愛らしく膨らませて。
だって。
「だって、わたしはお母さんを召喚したんじゃないのに」
「だからそのような妄言は……」
「だって、家事万能の上によく気が利いててそれでいてツンデレなんて」
待て。
最後のは特にお母さん云々とは関係ないぞ。あと私はツンデレなんかじゃない!
……アーチャーはそう言いたかったが、言ったが最後、またもやスカート……いや、外套めくりの刑に処されそうなので黙っていた。
彼とて我が身は大事だ。
「そうね……わたしも鬼じゃないわ。今のあんたのポジションはお母さんじゃなくて」
びしっ、と彼女はアーチャーを指差し。


「ペットね」


…………。
「えーと。済まない凛、急用を思い出した。聖杯戦争に参加出来なくなったのは心苦しいが君ならひとりでも戦い抜いていける、どうか――――」
「逃がすと思っているの?」
にーっこり。
突きつけた指先をばっとてのひらに変えれば令呪の強制効果。体が重くなりその上逃げられない!
「さて……と。いきなり逃げ出そうとしたのは許してあげるけど、他の件についての言い訳はある?」
「り、凛! あまりにも酷すぎる言い様ではないか、言うに欠いてペットだなどと……! 家畜扱いとは、」
「いやだ、違うわよ。可愛い可愛い癒しの存在だって言ってるの」
わかる?
わかりません。
「アーチャー、わたし病を患ってるのよ。あなたが様々なことをしてるのを見るたび胸がきゅって苦しくなるの。これって何だと思う?」
「わかりたくもないが……」
加虐精神の表れだろう。言いたかったが言えないアーチャーだった。
「凛、聞いてくれ」
「なあに?」
「いいかね、初回からこのような有り様ではとてもではないが先に待ち受ける聖杯戦争を勝ち抜いてはいけない! 私たちはだな、心を通じ合わせ、一体となっていかないと――――」
「あっ!」
突然の大声にびくっとアーチャーの体が震える。ここ最近の一件で仕込まれた体だった。
遠坂凛はさわやかな笑みをそんな彼に向けて、
「ごめんなさいアーチャー。わたしそろそろ学校に行かないと遅刻しちゃう! その話、また今度でいい?」
「…………」
「えっ? えっ、えっ、なんで泣くの? ちょっと待ちなさいよ、涙で“遠坂凛はあかいあくまだ”なんて書くのはやめてよ! ちょっとアーチャー! どうしちゃったの!?」
朝、遠坂邸。
遠坂凛は、結局学校を休んだのだった。



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