がらんごろんと音がする。壊れていく廃墟はかすかに油と埃くさくて、少し眉間に皺を寄せた。それでも立ち去らずに留まっているのは何故だろう。
(何故だろう)
身のうちに問いかけても返事が来るはずはないのだ。同じなのだから。がらんどうだ。
この崩れていく建物のように自らも。
風が吹いて傷んだ髪を乱す。さわやかとは言い難いそれはコンクリートのかけらとこもった匂いを巻き上げる。もっと吹けばいいのに。もっと強く。もっと激しく。そして壊してしまえばいい。この中途半端に傾いだものを。
だれか。
「何してんだ」
強い風が吹く。振り返りながら反射的にひるがえる裾を手で押さえた。なにしてんだって、と男が笑っている。
「減ると思った」
「はあ?」
「……君に見せるとな。なんとなくだ」
「おまえな。嬢ちゃんでもあるまいし、ケチケチすんなよ」
ああ、彼女か。彼女ならきっとこんな風景の中でも凛々しく立っているだろう。あの黒髪は美しくなびき灰色を切り取る。真っ赤な彼女。うつくしいあかいあくま。
「彼女なら」
「……おい」
「彼女なら、叶えてくれるかもしれない」
「おいこら、待てよ」
「彼女なら。……凛なら。君でもいい。アルスターの御子。最速の英霊なのだろう」
「待てってんだろ。勝手に突っ走るな、阿呆が。君でもってなんだ。オレは二番目か? 保険かなにかかよ」
「なかなか上手いことを言う」
「言ってねえ。いいから待て。その足止めて、少しそこで待ってろ」
言うが早いか青い影が飛んだ。見事な跳躍にわずかに驚いて目を瞬かせると、切り貼りされたフィルムのように男が目の前に立っていた。不機嫌そうな顔をしている。風に青い髪がなびいていて、綺麗だと思った。じっと見つめられて身じろぐ。それでもそこを動かない。
「減ると思った、」
「は?」
「とか言わねえのか。穴が開くほど見られてんだぞ」
「……あ。ああ。そうか」
「見とれてたのか?」
「かもしれないな」
「こういう時だけ素直になりやがって……」
もっとなるべき時があるだろ。そう言われて顎を持ち上げられて、初めてその熱い温度に驚いた。
「で、なんだ。このまま穴が開くほど見られつづけて、この眉間に風穴開けられて消えたいってのか?」
「それもいいかもしれん」
「いいわけあるか、馬鹿」
「君はさっきから阿呆だの馬鹿だの……」
「その通りじゃねえか。わざわざ親切に言ってやってんだぞ、ありがたく思えよ」
この死にたがりが、と吐き捨てられてようやく気づいた。そうか。
「私は死にたがっていたのか」
だから留まっていた。うらやましくて。
今の瞬間も崩れていく建物がうらやましくてずっと立っていた。中途半端に傾きながら。
一陣の風に吹かれてそのまま崩れてしまえたらいいのにと。


「―――――ッ」


薄くて熱い唇にかさついたそれを覆われた。嫌ではなかったけれど多少、驚いて声を上げた。
「何を?」
「いつから立ってた? 埃の味がするぜ」
「……覚えていない」
正直に答えると男は肩をすくめた。はあ?と調子外れの相槌。青い髪をがしがしと掻いて、男はもう一度唇を寄せてきた。
くち、と濡れた音がする。表面を舐められて潤される。むず痒くて結んでいたのをほころばせると舌先が入ってきた。清浄だったと思われる男の唾液は自分に触れたせいかぼんやりと不浄な味がした。
唯一体外に露出した内臓、それが口内を思う存分に蹂躙し、そこかしこの粘膜と接続する。
「…………」
「…………」
「…………」
「……ランサー」
唇が離れた。粘膜との接続も離れてしまい、残念そうな声になる。ランサー、ともう一度男の名前を呼ぼうとしたが、唇に当てられていた指先によってそれは遮られる。
「喋るなよ」
爪先が唇に食いこみ、何度か叩かれて離されればついと糸を引く。
「頭悪いこと考えられねえようにこうやって繋いどいてやるから、おまえはずっと黙ってろ」
足元で瓦礫の崩れていく音がする。
小さく頷くと男はまた唇を寄せてきた。
(このまま、)
くちくちと音が鳴る。
(このまま溶かされてしまえば楽なのに)
考えたが、言えば機嫌を損ねるだろうから黙っていた。ただ、熱い唇の動きにすべてを委ねていた。
足元で瓦礫の崩れていく音がする。
自らの内でなにかが崩れていく音はもうしない。



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