水の底から浮上する。


瞼に当たる光を感じて目を開けてみれば、まず青い色彩が飛び込んできた。それにぱち、ぱち、とまばたきを二度ほど繰り返しまたも水底に沈みそうになる。
空気の泡を想像上で孕んで、吐きだす。今にも閉じそうな瞼をどこかピンぼけした思想で叱咤してねぼけまなこで手を伸ばし、アーチャーは目的のものを掴んだ。
「…………」
手から逃げそうになるほど(男のものにしては)艶やかな髪。
私は君の髪が好きだなとアーチャーが珍しく自分の意見を言うから、彼はそのうつくしさを保つのだ。
「……ランサー」
彼は、ランサーは、小声の呼びかけに答えなかった。
ただ、ん、んん、とくぐもった言葉だけがアーチャーの肩口で熱を持つ。
何の損得勘定もせずにすり寄せられる秀でた額が何故だか急に微笑ましくなり、アーチャーはランサー、と再度彼の名前を呼ぶ。ランサー、と。
つい先程までのアーチャーと同じく浅い眠りの淵でたゆたっている、精悍な男の名前を。
「ん、ん――――」
するとしばらくして肩口で身じろぐ気配。
やがてランサーは目を覚ましたのか、息を吐いて体を起こした。けれどアーチャーの上からはどかない。身を起こしたままで覆いかぶさるように、両腕をついて自らの体重を支えている。
「ようやっと目が覚めたな、ランサー?」
「……もったいねえ」
何?とアーチャーが問えば、もうしばらく寝ていたかった、と心から思っている風にランサーが言うので、思わずアーチャーは噴きだしてしまった。
「なんで笑う」
「いや、すまない。けれど、」
君があまりにいとけなく見えたもので。
思ったことをついぽろりとこぼしてしまうと、ランサーはむっとした様子で唇を尖らせる。
「一緒に昼寝して、いっちょまえに保護者気取りですってか」
「今の言い様は気に食わなかったかね? 私の本心なのだが」
「余計に悪い!」
くすくすと笑いが漏れる。そんなアーチャーをランサーは苦々しい顔で見つめていたが、なあ、とどこか請うかのように声を、言葉を甘く低く、その唇からこぼれさせた。
「も一回寝直さねえか?」
アーチャーは。
ついさっきの再現のようにまばたきを二度、繰り返して、さも意外であるというかのように返した。
「意外だな。クランの猛犬が昼寝を好むとは」
「で、サーヴァントである私たちには必要のないこと、って切り捨てんだろ? おまえのパターンは大概読めてるぜ」
でもなあ。
「オレに付き合って寝こけてたおまえが言うことじゃねえ」
「…………」
「だんまりか、なあ」
責めるような口調ではなかった。
いっそ責めてくれれば対応のしようもあったものの。
アーチャーは思いながら、しかし即断即決即却下、もせずランサーのしたいようにさせている。頬にくちづけを一度二度、それからその跡を辿るように舐めて、耳元に熱い息をふう、っと。
「……今から寝る輩のすることではないだろうに」
「だってよ、おまえ、寝る気ねえんだろ」
なら別の方法でおまえと触れあいてえんだ。
ランサーはそうあっけらかんと言い、アーチャーは未だ掴んだままの青い髪を引く。
「引っぱるなっての」
「むず痒い……」
くちづけされながら訴える声は見る間に沈み、とろとろとまた果てのない午睡に戻っていこうとするアーチャーを、ランサーが現実に引き戻す。
まったく、先程までぐずる子供のようだったのにと。
ライダー辺りがいたら辛辣に言っていたことだろう。
「あ、」
体にのしかかる重さと温かさが心地よい。
けれども悪戯な白い手はアーチャーを眠りに埋没させず、呼び起こそうと這い回った。
「ん、んん……、ふ、ぅ、」
「やらしい声だな」
「君が…………っ、ん、は」
そうしているんだろう、という声は音にしかならず。
アーチャーが言う“むず痒い”感覚は浅いまどろみの淵にある意識を引き、誘い、浮上させようとする。白い指先が体と意識の両方に絡むその感触に、アーチャーは掠れた声を上げた。
「は――――……」
指先から逃げていった青い髪。
それが指の腹、てのひら、手首を撫でていく際のすべらかさにアーチャーは片方の眉だけを上げる。
腰骨が痺れるほど、息が詰まるほど、つまりはほとんどぞっとした。
「アーチャー」
耳元で名前、――――クラス名ではあったが――――を呼ばれ、アーチャーは軽く目を見開く。なんて。なんて声で、この男は。
ひとの名前を呼ぶのだろうかなんて思ってしまえば、もう駄目だった。
「ランサー……」
呼び返せばぞくぞくとする。頭をかかえるように抱かれ、熱い体を押しつけられた。
決して薄くはない、けれどしなやかに鍛えられた体。
その重みと熱さが途方もなく、心地よく感じられた。
「ランサー、ラン…………ふ、あ、」
背に腕を回して縋りつけば、もっとだ、と言わんばかりに強く抱き返されて。日の高いうちからだとか、何だとか、そういったことは頭からすっかりきれいに消し飛んでいた。
眠りの、まどろみの浅い淵。
それに似た気だるさと多幸感が、いつしかアーチャーの総身を包んでいたのだった。




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