足音は軽やか。華やかな気配を引き連れて、彼女は背後から一直線に駆けてきた。
「シロウ―――――…………?」
“それ”を胸に抱いたまま振り返ると、いつものように体全体で飛びついてこようとした彼女、小さな姉、イリヤスフィールは眉を寄せ後ずさった。
「イリヤ?」
不思議そうに問えば、イリヤは赤い目でじいっと“それ”を見ている。胸の前で手を組んで、戸惑ったように。
「なんなの、それ」
「ああ、雑木林で見つけた子猫だ。かわいいだろう?」
腕に抱いた感触はあたたかくやわらかい。まるでこの小さな姉のようだと微笑ましくなり、軽く頭でも撫でてやってはくれないかと差しだせば甲高い声が響き渡った。
「いや、近づけないで!」
目を丸くする。その様は敵を威嚇する子猫のよう。
明らかに不機嫌になったイリヤを、とりあえず中へと導き入れた。


緑茶を飲みながらイリヤはだからね、と小さな声でぶつぶつ言っている。
「わたしは猫なんて嫌いなの。理由? そんなの嫌いだからで済む話じゃない」
茶菓子を用意しつつ、その意見に首をかしげる。さて、予想外の反応だ。かわいらしいもの、たとえばフリルだとかレースだとか、そういったものを望む傾向にあるイリヤが、子猫を嫌がるとは思ってもみなかった。
「イリヤ……」
「これ以上何故?なんて聞かないでねシロウ。わたし、あなたをそこまで物分りの悪い弟だとは思ってないんだから」
がっかりさせないで、と髪をかき上げ、ぷいとそっぽを向く。仕方なく追究の言葉を呑んだ。
小さな姉はご立腹だ。
なんとなく済まない気分になって下を向くと、イリヤはちろりと横目でこちらを見てくる。ちらちらと赤いまなざし。
「シロウ」
小さな手が腕を掴んだ。顔を上げると、そこには真面目な顔をした小さな姉の姿があった。
「別に、あなたに怒ってるわけじゃないの。ただわたしはあの生き物が嫌いってだけ。シロウのことは大好きよ」
「イリヤ、そんなにあの子を嫌わないでやってくれないか」
「シロウのお願いでもそれは駄目!」
「そう言わず……」
「駄目ったら駄目なの!」
声を張り上げると、イリヤはまたそっぽを向いてしまった。どうしてそんなにもあの子猫を嫌うのだろう。わからない。
「……妬けちゃうわ」
ぽつり、イリヤがつぶやく。白銀の髪が流れて赤くなった頬を隠している。湯呑みから立ち昇る湯気。
「わたしはシロウがいちばんなのに、シロウはわたしがいちばんじゃないのね」
それでいて、嫌いなものを好きになれなんて言うの。それってひどいんじゃない?
ふくれた小さな姉は、唇を尖らせて。
「でも、それでもあなたのこと嫌いになれないわたしって、馬鹿なのかしら」
「イリヤ」
「好きよシロウ、わたしのかわいい弟。大好き」
立ち上がった小さな姉は、頭を抱えるように腕を回してそっと歌を歌う。どこかなつかしい、うた。
そのか細い腕に手を伸ばし、目を閉じる。あたたかくやわらかい。包みこむような感触。
不意にその歌声が途切れた。にゃあ、と鳴き声。
イリヤは無言で背後に回り、隣室からやってきた侵入者を睨みつけた。
「せっかくシロウをかわいがってたのに、邪魔しにきたのね。そういうところも嫌い。大っ嫌い!」
にゃあ、と子猫が鳴く。
「いーい、シロウはあんたなんかに渡さないんだから。わたしのかわいい弟なのよ、わかってるの」
にゃあにゃあ。
「ああもう、うるさーい!」
……小さな姉と、小さな猫との会話。
それがなんだか妙におかしくて、つい小さく噴きだしてしまった。
「ちょっと、シロウ!」
不満げに振り返ったイリヤの足元に、子猫が怖いもの知らずにも駆け寄っていく。
それに気づいたイリヤは足をぴょこぴょこと上げ下げして、
「あ、ちょっと、やだ、やめてよ、やだったら、こっち来ないで、ねえ、シロウ!」
たすけてと奇妙なステップを踏みながら助けを求める小さな姉を抱き上げて、立ち上がる。すると子猫は足元にまとわりついてきた。
にゃおんと鳴きごろごろと喉を鳴らす。
「あー! やめなさいよ、わたしのシロウにくっつかないで!」
そう言って小さな姉がしがみつくように腕を回してくる。
「わたしのシロウなんだから! 絶対にあんたなんかにあげないんだから!」
ぱたぱた、と細い足が揺れる。腕に小さな姉、足元に小さな猫をくっつけて、やたらとおかしい気分になったことは、姉には秘密にしておこう。



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