庭が見える。昨日降っていた雨は止んで、澄みきった青空が広がっていた。
朝干した洗濯物はすでに乾いていて取りこまれている。それを黙々とたたんでいたアーチャーはふと顔を上げた。
「なんだ」
君か、とつぶやいて再び手を動かし始める。現われた相手、澄みきった空と同じ色の髪をした赤い目の男はひとなつこく笑ってなんだはねえだろうと言う。少し責めるような口調で、けれどあくまで笑顔のまま。
「働いて帰ってきたのに労いの言葉もねえのかよ」
「言ったら言ったでどうしたのかと言いだすくせに」
「はは、違いねえ」
男はゆっくりと部屋の中に入ってくる。アーチャーはただひとこと、邪魔はしないでくれとだけ言って洗濯物を片付けていく。
「しねえって」
言ったそばから後ろに回りゆるりと腕を伸ばして抱いてくる男、アーチャーはそれでも手を休めない。いつものことだからだ。この程度、“邪魔”には入らない。
体躯に似合わず甘えじゃれつくように男はアーチャーを抱き寄せた。後ろに引かれ、つい洗濯物を取り落とす。はかなく広がったそれを、アーチャーはため息と共に手に取った。
男がアーチャーの髪に鼻先をうずめる。
「んー」
「どうした」
「言うなよ、当てるから」
そう言って髪の匂いを嗅ぐ男。しばらくしてから、積まれた洗濯物の中の一枚をつまみ上げる。
「こいつか」
にまり笑う気配。アーチャーは手を止めて、数秒考え、己の服の匂いを嗅いでみる。
「移ってしまうものかな」
「そりゃ、これだけの数をこなしゃ当然だろ」
指摘されたのは柔軟剤の香り。甘くほのかなそれが体から香るのだと男は言ってまた髪の匂いを嗅いだ。
「だけどまあ、」
上機嫌そうに男はささやく。
「おまえの本来の匂いは残ってるがな」
これくらいじゃ消せやしねえよとなんだか矛盾したことを言うので、アーチャーはおかしくなった。こっそり口端を上げてすぐ戻す。
「さすがクランの猛犬。嗅覚はずば抜けている」
だが笑いが声に滲んでしまった。男は聡い。ずば抜けているのは何も嗅覚だけではないのだ、しっかり察知するだろう。
ほら。その証拠に、ぴったりくっつかれた背中が細かな振動を伝えてくる。
耳元で低い笑い声がして、おまえな、とだけささやかれた。
さらに体を密着させられた拍子に長い髪が頬をかすめて、腕にひとふさ垂れ下がる。アーチャーはそれを捕まえた。
しなやかな青い髪。息を吸いこんでみれば、
「……おい、こら」
堪えきれずに肩を揺らして笑いだしてしまったアーチャーに男がとがめるように言う。決して棘のない、おおらかな声で。
「なに笑ってんだ、おまえ」
「いや、君らしいと思ったのだよ」
「オレらしいってなんだ」
「そのままの意味だ」
ひなたの匂い。
まるで子供のように無邪気な匂いが男の髪からはした。それがあまりにもらしくて、笑わずにはいられなかったのだ。
「外はいい天気なのだな」
つぶやけば、しばらく沈黙があってから返答が返ってきた。
「ああ。散歩日和だぜ」
それが終わったら出かけるか、と男が言ったがアーチャーはいや、と短く返した。
「昼寝でもすることにしよう。なんだか、眠くなってしまったからな」
君のせいで。
さらりと言うと男が瞠目する気配が伝わってくる。それに笑いを返して、アーチャーは次の洗濯物を手に取った。
ひなたの匂い、あたたかな体温、規則正しい鼓動。
目を閉じるとアーチャーは背後に向かって問いかけた。
「君も一緒にどうだ?」
返事はわかっていた。それでも、多少待たされた。
ただ、ひそやかな笑い声と共に引き倒されるように床に転がされたのは、予想外の展開だった。



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