「君はときどき、私の手を離したくならないか」
突然そう言われ、ランサーは怪訝そうな顔で振り返った。自分の手を見てそれがなにも掴んでいないことを確認する。ついでにぶらぶらと振った。身軽だ。
「いきなりなんだ」
「夢に見るときがあるよ。君に手を振り払われて安心する夢を」
「そんなもん見るな。つか、オレの夢なんか見るのか、そもそも夢なんて見るのか、おまえ」
「不思議と。白昼夢かもしれないが」
「起きながら見る夢、か。まさにおまえを象徴するもんだな。……縁起でもねえ」
舌打ちをすると、眉を寄せて困ったように笑う。それは卑怯な表情だろう。少し怒っていたのにこれではもう怒れない。他に手段があるとすれば、呆れることだけだ。
だから、ランサーは呆れた。
なんていう希望を持って自分の後をおとなしくついてくるのかと。けしからんやつだと口調を真似て内心でつぶやけば、怒っているのかとまさに心を読んだような質問がぶつけられた。
「いいや。今はもう怒ってねえ。呆れてるだけだ」
「今は?」
「今はだ」
「呆れている?」
「ああ。おまえにと、それと不甲斐ねえ自分にだよ」
ったくだらしねえ、と空をあおぐ。日曜の空はどこまでも澄んで高く、青かった。馬鹿みたいに。
「どうして君が自分を貶める必要がある」
「おまえが言うな、この自虐野郎。いい加減にしねえとその首に縄くくりつけてふんじばってオレの部屋の軒先に吊るしとくぞ。坊主に許可もらってな」
「小僧のことは言うな。……やりたいのならやってみるかね」
「やらねえよ! 馬鹿かおまえ!」
「君が言ったのではないか」
「オレの言ったことなら全部まるのみかよおまえ」
街の喧騒はとんでもなく平和だ。それにまぎれて不穏なことを言いたくなるし、したくなる。本当にどこかの雑貨店にでも入ってすいませんこの男まるごと縛って吊るしても大丈夫なくらい丈夫な縄ありませんかねと聞いてみたくなる罠。
店員はきっと大いに悩むと思う。なんの騒ぎだと。なんの祭りだと。
そういう趣味があるんですかと聞いてくるならばかなりの猛者だし、はいこちらにありますよーなんて案内してしまうのは店員の鑑だ。たぶん9:1くらいの確立で笑顔のまま汗を流して動かなくなるはずだ。はい、あの、お客さま。なんと申されましたでしょうか。
そう言われたらランサーは笑って隣の男の首ねっこを掴んだまま繰り返す。だから縄ありませんかこの図体のでかいばっかりで自己愛がかけらもない英雄失格の男を縛ってオレの傍にずっと置いておけるくらいの丈夫な縄ですよ。
不毛だ。
「ランサー?」
だからそんな風に名前を呼ぶなと。
ランサーはむっと眉間に皺を寄せて不機嫌な表情を作った。そして無防備に垂らされた手を掴んでやる。
「あ」
声を出してとっさに引こうとしたが許さない。こう、抵抗する魚を釣り上げるように手首のスナップをきかせて食い止めた。なにをするだとか離さないかだとか聞こえたけれど全部無視した。というか、今まさにそうされて安心したと微笑まれて手を離す馬鹿がどこにいる。
少なくともランサーはそうではない。
「ランサー!」
「うるせえよ。でかい声出すな。迷惑だろ」
「迷惑なのは君だ! これでは歩きにくいし人の邪魔になる」
「うるせえ。元々こんな図体の男二人が連れ立って歩いてる時点で通行の邪魔だ、よ、と、そこのお嬢さんかわいいね、名前なんて言うの」
「ランサー!」
「冗談だよ。よく見ろ、ありゃ猫じゃねえか」
ランサーが連れて歩いているのも猫だ。表面は気難しいくせになついてくるともうでれでれ。そのくせ辛くなれば黙って一人で身を引き離れていこうとする。
それってなんて自分勝手?
「よし、どっかの店にでも入るか」
「なんだ、喉でも渇いたのかね」
「ちげえよ。おまえ縛っとく丈夫な縄を買うんだよ。あーあいいよな、近頃の店はテスターとかいうものが置いてあってなんでも自由に楽しめるんだぜ、買う前にな。せっかくだからいろいろと試すぞ」
「は? 理解不能だ。何を言っているランサー」
「おまえに理解されたら終わりだ」
だからオレが代わりに理解してやるよ、と言い捨てて、ランサーはとりあえずどこか適当な場所に入ろうと街中を物色し始めたのだった。


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