「―――――ん、安心した」
体がだるい。
情事のあと、かけられたシーツに包まっていたアーチャーは目尻を舐めていった舌の感触に眩しそうに目を細める。実際、隣で髪を下ろして裸でいるランサーは眩しい。普段は持て余し気味な光の御子という名がよく似合う。
まあそんなことを不用意に言えばだるいもなにも関係なく余計に疲れさせられるに決まっているのでアーチャーは黙っていた。代わりに何がかね、とつぶやいて思っていたよりも掠れていた自分の声に驚く。
「いや、おまえの涙がよ。こう……必要以上に塩辛くなくて、安心した」
「は?」
「いや、だからよ。このまえセイバーたちと一緒に見たんだよ、テレビでよ。なんでも、怒ってたり悔しかったりすると涙が塩辛くなるらしくて、悲しいときや嬉しいときに流す涙はそうでもないんだと」
だから安心したんだ、と言う光の御子に、アーチャーはじっとりとした視線を送ってみせた。
「なんだよ」
「いや。おそらく君は私が悦んで涙を流したものと思っているらしいが、君の言うことが真実ならば悲しんで涙を流した可能性もあるのではないかと思ってな」
「…………」
ああっ!?と頭を抱えて叫ぶランサーの顔は驚愕に彩られていた。どうやら本気で気づいていなかったらしい。
もっともアーチャーは悲しくなどなかったし、実際にはなんだ。その、悦かった。
泣いたときのはっきりした感情など覚えているべくもないが、体がだるくなるまで揺さぶられて悲しみのどん底に陥り、涙を流すほどにはか弱くないし少女のようでも処女のようでもない。
何度も体を重ねているのだ。
その割には、ランサーの手管と情熱に毎度毎度振り回されてこのていたらくなのだが。
ぼんやりとランサーのように煙草を吸うこともできず(舌が鈍って料理が美味く出来なくなる。英霊の身とはいえ、決していいものではない)宙を見ていると急にがしりと横から腕を掴まれた。
「な?」
なんだ?
続きを言う前に真剣な表情に動きを止められる。正面から見ても鑑賞に堪えうるその精悍な造形にまばたきも呼吸も忘れて見とれていると、その唇が動いてとんでもないことを言った。
「確かめる」
「は?」
「だから、おまえが喜んで泣いたのか悲しんで泣いたのか。これから抱いて確かめてやるっつってんだよ」
覚悟しろ、と言うのに今度はこっちが驚愕した。
「なんでさ!?」
思わず素が出た。
「おまえ、なにを……散々やっておいてまだ足りないというのか! いや、そうじゃない、そうじゃなくてだな。違うんだ。そうじゃない。だから、その…………!」
生暖かい他人の粘膜が忍びこんできた。絡め取られて口の代わりに目をせわしなく動かしていると、いったん唇を離され押しつけられていた体をも離された。
体温が遠くなって、思わず惜しそうに、あ、と声が出てしまい次の瞬間に耳まで赤くなる。
「心配すんなって」
するとまた抱きしめられた。溶けあってしまいそうにぎゅうっと。
「これから泣かせてやるけど、別に悲しい涙とかじゃねえんだからな。安心して泣いてろよ、おまえは」
「ばっ……!」
このたわけが!狗が!駄犬が!けだものが!
散々騒いで暴れて抵抗したが、所詮は混乱した頭での抵抗であったし決定的な筋力の差もある。あっというまにアーチャーは制圧されてベッドに転がされてしまった。
「よし」
ランサーは両手の指をわきわきと動かす。まるで、オペだ。
「……泣かせてやるぜ。覚悟しろよ、アーチャー」
クランケであるところのアーチャーは、シーツを手繰り寄せることもできずに小さく体を縮こまらせることしかできなかった。


さて。結果から言えば、泣かされた。
それはもうわんわんと。
まずはたっぷりと舌で体中を湿らされて、同時に熱っぽい指先が体中を這い回る。肝心なところに触れそうで触れない。そのもどかしさに身をよじるアーチャーの動きはいとも簡単に封じられた。
そこでもう泣きたくなってしまったのだが、もう、アーチャーのほうも意地である。必死に唇を噛んでこらえて、涙の代わりに血を滲ませた。
するとその唇にランサーが吸いついてくる。わずかに裂けた甘い肉に舌先を入れて、痛がるのを楽しむようにくすぐる。喜ばせるのではなかったか!と叫ぶと彼はにやりと笑って「まあ、焦るなって」とますますアーチャーを煽ることを言い放ってくれた。
焦ってなどいないと言えばじゃあ焦らせてやろうかと意地悪く言うだろうし、焦っていると言えば大声で笑うだろう。
だからアーチャーは黙って唇を噛むしかないのだ。
「……傷がつくぜ。もういい加減やめとけ」
ぞくん、とした。
真面目な声音と真剣な表情に。
いっそふざけたままでいてくれればよかったのにと心底思う。ふざけて、冗談だと言って、手を体を離して。いや、離さなくてもいい。冗談だと言いながら笑っていたぶってくれればよかったのだ。
それなのにそんな顔をされたら、どうしようもなくなるではないか。
どうしようもなくなって袋小路に追い詰められてどん底に落とされて。それで。
「おい、馬鹿、泣くな。……ってああ、泣かしたのはオレか、でもな、そんな顔させるために泣かせたわけじゃねえぞ?」
「どっ……んな、顔をしているというのかね……!」
「見てえのか?」
首をぶるぶると振る。困ったように笑った気配がして、だな、とつぶやくランサーの声が聞こえてきた。
「いろいろと目に毒だ。……オレが悪かった」
その言葉とともに両腕を押さえられて、目尻に唇を寄せられる。舌の感触を想起して体をこわばらせたが、降ってきたのは穏やかでやわらかいくちづけだった。
涙を吸われる。塩辛れえ、とまた困ったように笑う気配がした。
「優しくしてやるから、もうそんな泣き方すんな。惚れた相手を抱くのはオレの信条だが、手酷く泣かせるのは好みじゃねえ」
「……この大嘘吐きが」
「だから悪かったってんだろ。……ほら。泣くなって」
首を振る。シーツに何粒も涙の跡ができた。
「泣くなって……無理か?」
うなずく。
「しゃーねえな……じゃ、責任とって泣かせてやるから許せ、な? もちろん悦い声で泣かせてやるからよ」
うなずく。
「よし」
頭をぽすぽすと叩かれ、笑う気配がした。今度はもう、困ってはいなかった。
アーチャーはなんとなく安らいで、静かに笑った。
「お、泣いたカラスがもう笑いやがった」
「そういう言葉はどこで覚えてくるんだ、君は」
「んー……あ、あれだ。テレビの再放送だ、な?」
「まったく。テレビばかり見ている英雄など私は知らんぞ」
「ここにいるだろ。それにセイバーやライダーだってそうだぜ」
「無駄口は叩かなくていい。……悦くして、くれるのだろう?」
ランサーは驚いたように目を丸くした。そして、はれぼったくなった目尻にくちづけてきた。
「もちろん。オレのアーチャー?」


それから指先でいやというほど丁寧にほぐされて、身悶えて泣いて、挙句に一度放ったあとに入ってこられた。
もう泣くなんてものではない。掠れた声がさらに掠れて聞こえなくなるほどに叫んで、すがってしまった。
自分ほどではないが広い背中に回した腕は、爪は彼を締めつけ、傷つけた。それでもランサーは泣き言ひとつ言わず、眉を寄せて耐えるだけで、アーチャーはますます涙を流す。食いこんだ肉から血が流れて爪先を濡らす感覚がしたが、それにさえ感じた。それは似ていたのだ、体の奥で熱いものを放たれるあの絶頂の感覚に。
「―――――っあ、あぁ、ランサー、も…………っ……!」
黙ったままよしよしとでも言うように背中を叩かれて肩口に噛みつかれて、その瞬間に果てた。密着した体の間で熱がはじけてから数秒、体の中でも熱がはじけてアーチャーは注がれる体液と魔力に身も世もなく泣き叫んだ。


吸われて、舐め取られた涙は塩辛くもなく味気なくもなく、きっと途方もなく甘かったのだろうと、思う。



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