戦え、と声がする。それは己の内側から響く本能の声だ。弓兵はそれに素直に従った。
剣戟の響き。心地よく耳を侵すから、陶然とせずにはいられない。散った火花が目を焼くことさえ愛しい。いとしくてたまらない。鋼の瞳を片方だけ閉じて剣を振るう。槍の先端に弾かれて後ずさったところにもう一撃。それをもう一方の剣で弾いた。
―――――は、と心底楽しそうに笑う声が聞こえる。戦う、対峙している相手、槍兵のものだ。掠れて低く、甘い。まるで情事のときのような声を出す、とついおかしくなった。そこで気づく。
おかしいのは自分もだ。
弾かれる剣を次々と投影しながらまっすぐに、時に回転斬りなどもくわえつつ弓兵は攻撃を緩めない。手を止めてしまっては負けだ、というよりも槍兵に対して失礼な気がしたのだ。ほら、槍兵だってそう思っているのだろうから、
「向かってこいよ、弓兵!」
朗々とあたりに響き渡る声で叫ぶのだ。
その声にぞくぞくと走る震えを止められず、弓兵は駆けた。間合いをあえて気にせず特攻し、とっさに目前にかざされた槍を刀身で打つ。また散る火花。宵闇に美しく散る。夜に足を踏みいれる、少し手前の時間。
魔が。
うごめきだす、一歩手前の時間だ。
「どうした、足がもつれてるんじゃねえのか!」
「それはこちらのセリフだ。疲れが見えるぞ槍兵?」
「は、馬鹿言うんじゃねえよ。誰が……」
三度、散る火花。予想外の輝きに飛びすさろうとした足が掴まれる。舌打ちをし、瞬間宙に固定されたまま手首を逆の足で蹴りつけるがびくともしない。裂けたように広がる口から、まばゆく白い犬歯が覗いた。
「疲れてるってんだ!?」
コンクリートに叩きつけられて、刹那、呼吸が止まる。体を丸めて軽く咳きこむと、顔のすぐ横に槍が突き立てられた。
血のように紅い魔槍。それはコンクリートを土くれかなにかのようにやすやすと抉り、深い穴を開けていた。
弓兵が嘆息して上を向くあいだにもぴしりぴしりとひびが入っていく音がする。
「君は荒っぽいな、相変わらず」
「そうか? 普通だろ、これくらい」
「普通……」
どうやら認識の程度が違うようだ、それも大幅に。
槍兵は鼻で笑うと、あおむけに横たわったままの弓兵のおとがいを指先でなぞる。上から下へ、下から上へ。さて、どうしてやろうか。口では語らずとも表情が語っている。さて、どうされるのか―――――弓兵も内心で思う。
立てなくなるほどにひどくされるのは勘弁してほしいと思う。今日はマスターに命じられた夜間の見回りがあるのだ。それを敵との戦闘と性交のせいで出来ませんでした、などと報告するのはあまりにも屈辱的かつ間が抜けていると思う。嘘をつくのは、出来ない。だから程々にしてほしいと言おうとした弓兵の耳は、ぴしり、という決定的な音を聞きつけて思わず口から違う言葉を漏れさせていた。
「……まずいな」
「ああ?」
「……墜ちる」
なにがだ、と聞き返そうとした槍兵は、すぐさまその言葉の意味を理解することとなる。
巨大で強大な力に貫かれたコンクリートはあっけなく限界を迎え、その上に槍兵と弓兵を乗せたまま丸く崩れた。そして彼らを道連れに、がらがらといくつもの塊になって落下していった。
数十階分からの高さの落下。人の身にとっては生死に関わる問題でも、英霊には単なる刺激的なアトラクションにしかならなかった。
槍の切っ先と剣の切っ先でそれぞれ落ちてくる塊を破壊しながら、ふたりは最下層まで墜ちていく。
ずずん、と地響きがし、建物全体が大きく揺れた。
「…………」
「…………」
灰かぶり。
無事着地したあとのふたりを言い表すなら、このひとことにつきた。
細かい粉塵までもは避けられず、そんな気もなかったふたりはねずみ色に汚れてなんともみっともないありさまだった。
きょとん、と互いに武器を持ったまま、見つめあい。そうして耐えきれなくなったように、槍兵は快活に大口を開け、弓兵は口元を押さえて笑いだす。
「なんだこのザマは! ったく、みっともねえったらねえぜ」
「同意せざるをえないな。一度霊体化すれば元通りだが……」
「よせよせ。それこそみっともねえ」
こうなったなら受け入れて楽しんじまうのが道理だろ。そう槍兵は言って灰に汚れた弓兵の褐色の頬を舐めた。
べろり、と犬のように舌なめずりをし、美味いもんじゃねえなとつぶやく。
弓兵は呆れたように額に手を当て、あたりまえだろうと嘆息した。
「だよなあ。美味いといえば、やっぱり」
たわむれるように懐に入りこんできた槍兵に怪訝そうな顔をする弓兵。と、肩に唇が寄せられる。
何故?疑問に思ったが弓兵は問わず、槍兵の好きにさせる。ちらりと赤い舌がのぞいて、
「―――――……っ」
ちり、とそこに痛みが走った。
「やっぱりな。おまえのコイツは格別だ」
口元を食事も上手く出来ない子供のように汚した槍兵は、そう言うとまた弓兵の肩にかぶりついた。それで、弓兵は自らの左肩が裂けていたことに気づく。濡れた音を立てて加減なく傷口をすすられ、顔を歪めるが、弓兵はか細い呻きだけを漏らして苦痛をやりすごした。
だんだんと夢中になってそこを舐め回す、その様に喉を鳴らして笑いながら槍兵の広い背中を何度か軽く叩く。
「今回の報酬は、これで充分ではないかね?」
あやすような声は、ゆっくりと顔を上げた槍兵の視線によってその効力がまるでなかったと弓兵に悟らせる。
「まさか。……きちんといただくぜ。こっちを堪能した後で、な」
冷たくも熱い、矛盾した温度を持った瞳はまばたきする間にゆるんで上機嫌一色に塗りつぶされる。そうしてまた傷口に顔を埋めた槍兵に、弓兵は空を仰いで嘆息した。
「まったく……大概強欲だな、君も」
そんな言葉も聞く耳持たずで、ひとつに束ねた尻尾のような髪をいまにも左右に振りだしそうな上機嫌さを見せる槍兵に、その行動とのアンバランスさにとうとう我慢しきれなくなった弓兵は枯れた喉で笑い声を上げた。
ああ、喉が枯れていたのかと。そのとき、ようやく己の状態に気がついたことに気づき、それさえもおかしくなって、さらに笑った。



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