狭い部屋はやわらかな密室。外からの干渉で簡単に破れてしまうけれど、それでも今だけはふたりだけの空間だった。
その中で背後からのしかかられて、他人の体温が頑なさを溶かそうとするのに懸命に耐えていた。
それを見透かすように、さらに体重をかけられる。ぐ、と押しつけられる感覚。
「なあ、安心しろよ」
耳元でささやかれる。く、と息を呑んで首を左右に振った。
口を開けばみっともない声しか出そうになかったから、口をつぐんで。
ただただ押し黙る。
「んー……」
つぶやく気配。
のしかかった体が刹那離れていく。
下半身だけは添わせたまま、ランサーは頭を掻いているようだった。
と、突然背中に体温が戻ってくる。素早い動きで丸めた背にのしかかってきたランサーは、これもまた早口でなんで、とささやく。その声が甘く熱っぽい。
「なんでだ? ここにはオレとおまえのふたりっきりしかいないだろ、なのになんで、」
声、聞かせてくれねえんだ。不満そうに言って、ランサーは膝を足のあいだに割りこませてくる。耳元が熱く吐息で湿る。
なあ、なんで、と子供のように聞きわけなく。
首をまた大きく一度振る。うるさくて仕方がないから、吐き捨てるように返事をした。
「上手く、」
「ん?」
ああ体をよせてくるな。
「上手く、声を出せないから、」
―――――沈黙が落ちた。
ランサーは体をさらによせてきて。
「……上手い下手なんて気にしねえよ」
そう、相変わらず耳元にささやいてきた。
「おまえの声でおまえの好きなように鳴きゃいい。誰も強要なんてしねえから」
髪が体を滑って頬を撫でた。その艶やかな感触に背筋が痺れる。
膝ががくん、と揺れた。
「無様、なのは耐えられな、い……」
だから、とまた首を振る。
これだけを言うにも声が掠れてまるで哀願。だからいやだったのに。
「オレが言ってもいやか」
「…………」
「オレが聞きたいって言っても、いやなのか、アーチャー」
不意に泣きたい気持ちになった。情け、ない。瞳が焦点を失う。ぼやけて辺りがよく見えない。その中で聴覚だけが発達して、背後から語りかけてくる声を聞き取る。
「なあ、聞きたいんだよ」
「や、だ」
舌足らずになり、返答は幼くなる。かっと顔が熱くなり幾度かわからないほど首を振った。
「いやだ」
背で感じる温度が、不意に遠くなる。
「―――――ん」
くちづけをされる。無理な体勢で、顎をつかまれて。それでもやさしく。
唇を食むようにゆっくりと吸われると、そこから自分が溶けてなくなってしまいそうな錯覚に陥る。
けれど不快ではなかった。恐怖もなかった。
あたたかい。触れあった場所から体温が伝わってくる。しばらくそうして唇を吸ったあと、ランサーはくちづけてきたときと同じように唐突に離れた。
体は離れたままで、じっと視線を合わせてくる。
「いやか」
じゃあ仕方ねえな。
そう言って苦く笑うと頭を撫でてくる。
抱きしめられて、背中を叩かれる。
子供のように。
「なら、聞かせたくなったときに言え」
存分に聞いてやるから。
そうつぶやいて、ランサーはゆったりと体を探りだした。
やさしくされた、のに。何故だか、取り残されたような気持ちになって。
「―――――いてえよ」
胸に差しこまれた腕に爪を立てれば、笑いを口元に刻んだままでランサーはそう、ささやいたのだった。



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