海の底から浮上するような。
アーチャーはゆっくりと目を覚ました。眠りの質は上々だ。たとえ前夜がどうであろうとも。
思い出して、軽く嘆息して隣を見やるとやはりランサーはまだ眠っていた。特にアーチャーと比べて魔力が少ないというわけでもないのだろうが。
遠坂凛がまとめて二人を己のサーヴァントとしてから、二人はよく眠ることが多くなった。……同衾の回数も、また増えた。それはまあ置いておこう。朝のさわやかな時間に語ることでもない。
窓から差しこむ光にぼんやりと外を見やって、ああ、朝食の時間はすぎてしまったなと思う。食べたかったわけではない。作りたかったのだ。
ランサーの体温は心地良くて離れがたい。初めは否定していたアーチャーだったがもう慣れた。気持ちいいものは気持ちいい。仕方ない。 こだわるアーチャーがここまでどうでもよくなってしまったのはひとえにランサーのせいだ。おかげ、でも、ため、でもない。せいだ。ランサーのせいだ。
背後から抱きこまれたりすると初めは抵抗していたものだが、前述したとおりランサーの体温は離れがたい。アーチャーと笑いまじりで名を呼ばれるときもあれば低く恫喝されるように呼ばれるときもある。ただ抱きしめられるときもあれば、服をかき乱すように手が動きいたずらされるときもある。いちいちそれにも怒っていたものだが、もう慣れた。
現場を起こしにきた衛宮士郎に見つかって同情されたことがあるがなに。犬に噛まれたと思えば問題あるまい、と返せばものすごく複雑そうな顔をして言った。
……そうか。
「ランサー」
ランサーは目を覚まさない。これは予想範囲内の出来事であるので、アーチャーは嘆息もしなかった。ランサー、ととりあえずもう一度名前を呼んでみる。目覚めない。予想範囲内だ。
がっちりと背後からホールドされているため、不意のキスで起こすといった奇襲作戦も取れずアーチャーはふむ、と首をかしげた。そのあいだもランサーは幸せそうな声を上げてアーチャーを抱きしめている。私は抱き枕かなにかだろうか。一度そう、聞いたことがある。ランサーは不思議そうな顔をして、少し考えて、ああ、と言った。
ああ。おまえ、なんかいい匂いするからよく眠れるんじゃねえのか。
食べ物の匂いかね?
そうじゃなくてよ。おまえの匂いだ。
そう言ってアーチャーの首筋の近くで、すん、と軽く鼻を鳴らしたランサーは、少し驚いたアーチャーに向かってうん、と笑ってみせた。
だな。
なにが“だな”なのか正直よくわからなかったが、ランサーが幸せそうだったので不問にした。
あんたランサーを甘やかしすぎねと遠坂凛は言うけれど、そうだろうかとアーチャーは思う。ちなみにセイバーなどは仲良きことはいいことですともさもさこくこくとアーチャーの作った食事を幸せそうに食べている。
“買収したわね?あんた”
“なんのことかな”
喧々囂々からは少し穏やかに、ほのぼのと言い争うマスターとサーヴァントに騎士王は言った。
“なにを言うのです凛。わたしは本当に仲良きことは美しいことだと思っています。戦乱の世に生きた者なら誰でもそう思うはず―――――あ、おかわりを”
セイバー、と少し感動しかけていた遠坂凛は軽く前のめりになった。やっぱりなのね、と言って苦笑。
衛宮邸は今日も平和である。
さて、話は戻ってランサーの件であるけれど。これは起きそうにない。前夜はりきっていたからだろうか。なにをとは野暮だ。朝、目が覚めて布団の上で裸体で抱き合っている二人がトランプやウノで盛り上がったとでも?
つまりはそういうことだ。
平等に交換したはずなのだがな、とアーチャーは思いつつ軽く身じろいでみる。すると不満そうに唸りが上がってさらに強く抱きしめられた。
少し痛い。ランサー。小声でささやいてアーチャーは締めつける腕を軽く叩く。と、それは緩んで(だけれど、アーチャーを解放するにまでは至らなかった)呼吸が楽になる。筋力Bめ。つぶやく。
ずるいだとかいやだとかそういう思いはなかったけれど、なんとなく悔しかった。
だらんと垂れた手を取ってみる。くちづけてから、噛んでみた。
起きない。
甘噛みして、少し舐めて、吸ってみる。起きない。
鈍い。
思って、アーチャーはあきらめた。どうせ朝食の時間もすぎた。あの面子なら二人が起きてこない理由もうっすらわかるだろう。歯型がついた手を、シーツの上に置く。乱れて皺になった白い布の上に置かれた手は、あいもかわらず健やかに見えた。
健やかに―――――とはかけ離れているけれど。身は清めてあるし、問題ない。
アーチャーは自分にそう言い聞かせ、背後から抱きすくめる男への抵抗をやめた。そして、瞳を閉じて、その体温に身をまかせることにした。
自堕落と言わば言え。
目覚めは、まだ遠い。



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