洗濯機が回っている。
今は白や淡い色の、色移りしないもの。ちなみに女性陣の物が多い。
アーチャーは籠をごそごそと漁りながら、追加する物がないか、分ける物がないかと考えていた。
と、そこに。
「――――と」
ぺろん。
そんな気安さで入っていたのは随分と短い、黒いエプロン。
まるで腰巻のような気安さだ。
一体何だろう?と首を捻って。
「……ああ」
アーチャーの頭の上に(比喩的に)ぴこん!と大きくレトロな電球が点った。そうだ。あれだ。


ランサーのバイト先の、喫茶店のギャルソンエプロン。


「これがな……」
遠坂邸のバトラーと呼ばわれる彼であったが、喫茶店になど当然ながら勤めたことなどなかった。というかそんなこと許しませんっ、と凛様はたいそう過保護である。バイトになど出してもらえない。お家の中で働いてなさいというわけだ。そしてランサーがその代わりに稼ぎ頭。
(……さながら、)
妻と夫のようである、
「なっ」
などと考えてひとりで、独りで顔を赤くしてしまったアーチャーは鏡を見て慌てて顔色を整える。周囲に誰もいないというのに、だがいつ誰が来るかわからない。
凛が帰ってくるかもしれないし、不意の来客があるかもしれないのだ。
「…………」
髪まで丁寧に撫で付けて、一息ついたアーチャーは手の中のエプロンを見た。そしてつぶやく。
「全く、このようなものを平然と洗濯物に出して。そう軽々と洗濯機で洗ってしまっていいものではないだろうに」
手洗いをしてそれから日陰に干し、アイロンをかけ――――。頭の中でくるくると洗濯機の中味のように回る手順。洗面器の中で弱酸性の洗剤で揉み洗いだろうか。
などと思いながらふとアーチャーは、手の中のエプロンを見つめた。ふ、と。
鼻先に、甘い香りが香った、そんな気がして。
手の中には黒いエプロン。ランサーが腰に纏う、細身のエプロン。
アーチャーは気付けばそれを鼻先に持っていっていた。くん、とかすかに鼻を蠢かす。
すれば淡く漂っていた甘い香りがしっかりとしたものになる。これは――――シトラス系の香りだろうか?柑橘系の爽やかな、瑞々しい。
これが。
ランサーの、香水なのだとしたら。
「――――ッ」
どきどきどきどきどき。
途端に胸は高鳴って一気に脈拍は急上昇。視界がぐるん、と洗濯機の比ではなく回る。


「…………」
挙動不審気味に辺りをさっと見回してから、アーチャーは鼻先をエプロンに埋め、もっと深く息を吸ってみた。
「…………!」
どく、ん。
甘い香りの中の、苦い香り。
それはきっと禁煙の喫茶店、けれど休憩中に吸ってしまった煙草の匂いが染み付いてしまって。きっと深い深い、ランサーの匂い、だ――――。
それを意識すればどうしようもなくなってしまって、体は硬直してしまう。どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、
「何やってんだおまえ」
「!」
逃げるべきだった。
物凄い勢いで振り返った先には、額と額がぶつかり合いそうな近さで彼がいて。
その彼からは――――ランサーからは、いっそう強く甘いシトラスと、苦い煙草の匂いが香った。
「洗濯機の前でぼーっと立ち尽くしちまって、声かけても気付きやしねえ。何やってんのかと思えば……」
「な、な、な、ななななななな」
「それオレのエプロンじゃねえか。……顔埋めちまって、どした?」
なんかそんな変な匂いでもしたか?
困ったように言うランサーに、「な」としか言えない機械にアーチャーは化して。
「な、な、な、な、な、」
「あー、それな。随分と長く着てたんだわ。替えがちょうどなくってよ……ったくあの妖怪爺ィ、ストックくらい充分にもたせとけっての」
「な、な、な、な、なっ」
「なー?」
首をくいっと捻って同意を求めるようにアーチャーの顔を覗き込んだランサーは、怪訝そうな顔をする。それから言った。
とても、とても心配そうに。
「アーチャーおまえ……顔真っ赤じゃねえか。どうした? 具合でも悪いか? また嬢ちゃんの魔術の実験台にでもされたか?」
「なっ」
「な?」
「な――――!!」
絶叫してその勢いのままランサーの顔面に全力でストレートパンチを決め、ダッシュでその場から走り去ったアーチャーの行方はその後数週間知れず。
その間、ランサーはあかいあくまに散々ねちねちぐちぐち口撃を決められ、しかもしろいこあくまやくろいくうくう、がおーなきしおうさままで呼ばれてそりゃもう散々な有り様だったそうな。



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