ゆらゆら帝国。
黒いシャツとスラックスといったいつもの格好で夕食のあとの晩酌に参加したアーチャーは、どこか様子がおかしかった。もともと酒に強い方ではない。だが、たった一杯ワインを飲んだだけで真っ赤になってゆらゆらと全身で揺れている。
士郎、凛、桜の三人はそれぞれ三者三様に尋常ではないその様子を見ていた。
「おい、遠坂……アーチャーって、こんなに酒に弱かったのか?」
「それはわたしが聞きたいわよ。どうなのよ? 衛宮くん」
「知らないから聞いてるんだろ!?」
「あ」
「あ、ってなによ桜」
「あのこれ……イリヤさんが持ってきてくれたワインです」
「「それだ!」」
これですか!と桜が叫ぶと、アーチャーはゆらりと顔を上げた。見事に真っ赤だ。
「わ。赤い」
「赤いわね」
「赤いです」
「きりつぐ」
「「「は?」」」
ぽつん、とアーチャーが言った言葉を、三人全員で聞き返す。―――――と。
「きりつぐ! オレ頑張ったよ! きりつぐ!」
「うわあっ!?」
ものすごい勢いでタックルされて、体格差もあってか簡単に畳に転がる。おいこらなにすんだ、と普段の士郎なら怒鳴っただろう。
しかし今回のアーチャーは甘えるようなしぐさで、体は熱くどこか柔らかく、声も猫撫で声だ。
それにすりすりごろごろとされれば、誰が邪険にできただろう。いやできない。
「ふふふ……きりつぐ会いたかった……ん? きりつぐちょっと縮んだ? まあいいや」
「縮んだって……いや問題はそこじゃなくて! アーチャー! どうしたんだよおまえ! 俺は切嗣じゃなくて」
「……きりつぐだろ?」
「……きりつぐです。」
あっはははは、と凛が笑っている。桜は萌えている。ちょっと黒い。こういうときのお約束だ。
その頃ようやく今日の洗い物当番だったランサーがエプロンを外しながら居間に戻ってきた。テレビをつけているわけでもないのに、やたらと騒がしい居間に怪訝そうな顔をしている。
「なにやってんだおまえら……ってうおい! アーチャー! 坊主! なにやってんだ一体!」
当然の疑問である。アーチャーは間近で聞こえた叫びに不思議そうにランサーの方を見やると、へにゃりと表情を緩ませた。
「あ。ランサー」
ずきゅん。
「姉さん、ガンド撃ちましたか?」
「撃ってないわよ。こんな楽しいもの見れるの滅多にない機会だもの」
「じゃあ今のは?」
「ランサーの心臓が貰い受けられた音ね」
「ですか」
いつのまにか実況中継係になった姉妹である。騒動がよく見える、だが被害はない場所に陣取って観戦だ。まったくよくできたお人柄である。
「ランサー、助け」
「聞いてくれランサー。オレ、大きくなったらきりつぐのお嫁さんになるって決めてたんだ!」
「はあ!?」
「だってきりつぐが好きなんだもん」
「だもん!?」
「……きりつぐはオレのこと、嫌いなのか?」
「好きです。」
「坊主のバカ―――――!!」
ものすごい勢いで突き飛ばされて、士郎はアーチャーの下から吹っ飛ばされていった。ああっ、とアーチャーと姉妹の声。
「ちょっと筋力B! いくら頑丈な衛宮くんでも死んじゃうわよ!? なにやってんの!」
「だ、だって坊主が! 坊主がオレの」
「あんたがアーチャーを好きなことは知ってる! だけど自重しなさいよ、いい大人でしょ!」
「見た目は大人中味は子供でいいよオレ!」
「変なアニメに影響されてんじゃないわよ!」
「……知ってたんですね姉さん」
アレ面白いですよね、安っぽくて、といろんな方面に影響を及ぼす桜の発言と共に、アーチャーの心配そうな声が居間に響き渡る。
「きりつぐ!? 大丈夫か!? きりつぐ!?」
「ああ……何故か生きてる。なんとか。マジで。奇跡的に」
「よかった! あ、血が出てる」
言われて見ると、確かに。ちょこっとだけ、血が出ている。
「あ、ほんとだ。……舐めとけば治るよ、こんなの」
「ん。じゃ、舐める」
ぺろ。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「いたいのいたいのとんでけー。……へへ、きりつぐ、昔よくオレにやってくれたよな。覚えてる?」
頭をなでなでされて、硬直した士郎に固まった姉妹、同じく固まったランサー。
初めに我に返ったのは凛だった。慌ててビデオカメラを用意して、自分が機械が苦手なことに気づき、ちっ!と乙女らしからぬ舌打ちをする。それにハイタッチで答えたのは桜。ビデオカメラを受け取ってサムズアップ。凛は呆然とそれを見てから、ものすごいイイ笑顔でサムズアップを返した。
「ちょ、なにやってんの遠坂、桜ああああ!?」
「頑張って衛宮くん! わたしたち応援してる! 日頃疲れてるわたしの、わたしのアーチャーを癒してあげて!」
「そうです先輩! 頑張ってください!」
「遠坂二度言うな! 桜助けてくれないの!? マジで!?」
「きりつぐ」
騒動の中、アーチャーの声に全員の動きが止まる。全員でじりじりじり、とオルゴールのねじを巻くようにアーチャーの動向を見守った。
「……な。きりつぐ、オレ頑張ったよ」
「あ、ああ」
「だからさ……その……あたま、なでて?」
フリーズ。
「な……!」
「しっ!」
「黙ってください!」
それぞれてのひらと黒いアレで口を塞がれて、ランサーは涙目だ。
「あ、あたま!?」
「…………」
「よし。よし、よーしよしよしよし。頑張った! よく頑張った、頑張ったぞ!」
グッジョブ!
ラヴィ!
そんな声が天から降ってきた。
アーチャーは士郎にわしわしと頭を撫でられ、前髪がすっかり下りてしまっても気にせずにこにこしている。なんというか、その、かわいい。かわいい。二回言うほど、かわいい。三回目であるが。四回目もあるかもしれない。それほどかわいい。
「なあきりつぐ?」
「ん?」
「だっこ」
「はあ!?」
「……きりつぐ、オレだっこするのいやなんだ」
「や、いや、いやっていうか、体格が、いやその、ってうわー! 泣くな! 泣くな! だっこする! する! ほらこい! さあこい!」
「わーいきりつぐー!」
まるでどこかのドイツのお嬢さまだ。
アーチャーは無邪気に士郎に向かってむしゃぶりついていく。士郎はやけになったようにそれを抱き返す。よーしよしよしよし。
それを見たランサーはさすがの筋力Bで凛と桜の拘束をぶっちぎると、だん!と卓袱台に足を乗せて叫んだ。
「オレだって一児の父だ!」
「へ?」
「だからオレだってきりつぐとかになれる! なれるんだ! 坊主ばっかりずるい! ずるいぞー!」
足を乗せたまま両手を広げて畳にダイブ。じたばたと暴れだしたランサーに士郎は半眼を向けた。
…………どうしろと。


衛宮邸の夜は更けていく。



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